第119話 茉那はどこへ③

『なんで大学辞めちゃったんですか???????????』

『茉那さん、なんでですか?』

『わたしのこと嫌いになっちゃったんですか?』

『なんで??』

『答えてください……』

『無視しないでください……』

『あの夜、わたし何か間違えちゃったんですか……?』


茉那にメッセージを連打したのは初めてだった。


足に力が入らなかった。廊下でペタリと床にお尻をついて、アヒル座りをしたまま動けなくなってしまった。


スマホを持っている手がだらりと床につく。通りかかる人がみんな美紗兎の方をチラチラと見ていくけど、そんなことはどうでもよかった。


何も考えたく無かったし、何もなければきっとそのまま何時間も動けなかったと思う。


だけど、思ったよりずっと早くスマホが震えれくれたから、体は反応する。


茉那からのメッセージ。今、唯一美紗兎を動かしてくれるガソリン。美紗兎が放心状態から一瞬で帰ってくる。


急いでメッセージアプリを開く。内容はとても短い。


『ごめんね』


「4文字だけじゃ何もわからないよ……」


美紗兎はうわ言のように呟いてから立ち上がり、ぼんやりと歩き出す。目を擦っても擦っても、涙は枯れてくれなかった。


2年間、大事な高校生活を捨てて、必死に勉強した。ただ茉那に会いたくて、たくさんの楽しいことを捨てて勉強した。


大学に入ってからも、茉那はまともに相手をしてくれない時の方が多かった。そして、挙句の果てに美紗兎を捨てて、勝手に大学をやめてしまった。


「茉那さん、ひどいです……」


何がなんだかわからないうちに、茉那に捨てられてしまった。せめて、理由くらいは言って欲しかった。


さすがに今回ばかりは茉那のことが理解できなかった。


(だけど、それ以上にわたしは自分のことがわかんないや……)


今美紗兎は間違いなく茉那に対して負の感情を抱いている。今度ばかりはさすがに酷いと思ったし、茉那のことを嫌いになってもおかしくないと思った。


それなのに、美紗兎は気付けば電車に揺られていた。


何も持たずに、特急列車を乗り継いで片道3時間以上かかる道を揺られ、茉那の実家へ向かう。


茉那への怒りの感情は本当はたくさんあるはずなのに、茉那に会いたいと思う感情に比べたら何も無いに等しかった。茉那への好きの感情は、ブラックホールみたいに他の感情を飲み込んでしまう。


酷いことをされたはずなのに、とても茉那に会いたかった。そんな自分の感情が、訳がわからなかった。


茉那が実家にいる確証はなかったけど、この場所が今美紗兎にとって唯一手がかりを得られる場所だった。


そして、ラッキーなことに、茉那はそこにいた。とても暗い表情をしていたけど、ドアを開けてくれたのは茉那だった。


「なんで……、みーちゃん、何しにきたの?」


泣きそうな顔で、茉那が尋ねてきた。きっと茉那にとってもこんなに早く美紗兎が訪ねてきたのは予想外だったのだろう。


もし実家を訪ねてくるとしても、お休みの日とか講義が終わった後とか、少なくとも遠出の準備をしてから来ると思っていただろうから。


「茉那さんに会いにきました」


「なんで? わたし、ずっとみーちゃんからのメッセージ無視してたんだよ?」


今にも落涙しそうな瞳で茉那が尋ねる。泣きたいのはこっちなんだけどな、と内心美紗兎は思いながらも無理やり笑顔を作った。


「茉那さんに会いたかったからですよ!」


「わたしが実家にいなかったらどうするつもりだったの?」


「どうしてたんでしょうね……、わかんないです」


美紗兎がえへへ、と震えた声で笑った。


「そっか……」と茉那は困ったようにため息をついた。目の前の美紗兎の扱いに困っているのはよくわかった。


そして、茉那の表情がずっと暗いままだったから、きっと実家に帰ってからも、あの夜からの日々と同様にほとんど笑っていないのだろう。


「じゃあ、わたしは忙しいから、そろそろ帰ってもらってもいいかな」


茉那が淡々と言うから、美紗兎が震えた声で確認する。


「そろそろ帰ってって、わたし大学からここまで急いで来たんですよ……?」


「勝手に慌ただしい時に来られても、わたしも困っちゃうよ。これから引っ越しの準備するんだから」


「引っ越し?」


「うん。実家に帰ってきたのは一時的で、また別の家で一人暮らしするつもりだから」


「そうなんですね……。じゃ、じゃあ、引っ越し先教えてください! 茉那さんのお家に遊びに行きたいです!」


無邪気に尋ねる美紗兎のことを見て、茉那はゆっくりと首を横に振った。


「ごめんね、教えられない」


へ? と美紗兎は間の抜けた声を出す。


「みーちゃんともう会いたくないから大学辞めて実家に帰ってきたんだから、察してよ」


俯きながら小さな声で茉那は言う。まだ十分暑さが残っていて、風も吹いていない日なのに、とても冷たい風に吹きつかれたような気分になった。

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