第113話 壊れた感情②
恐る恐る扉から覗くと、すぐそばに茉那がいた。
だけど、その姿は普段安心感を与えてくれる姿と真逆で、美紗兎は一瞬固まってしまった。真っ暗な部屋の中に、お人形みたいに静かに佇んでいる。生気を感じないその様子が、明らかにいつもと違うことはよくわかった。
「茉那さん!」
美紗兎が両手で口を覆って、思わず大きな声を出してしまったけど、茉那は何も答えない。
玄関でアヒル座りをして、ペタリとお尻をついて座っている茉那には感情が無いように見えた。茉那はとっても感情に出やすい人だから、嫌なことがあったら簡単に泣いてしまうのに、今は何もない。
感情が何も読み取れない茉那を初めて見たから、思わずその場で半歩あとずさりをしてしまう。茉那から、近づいてはいけないオーラのようなものを感じてしまったのは初めてだった。
「あの、茉那さん……。大丈夫ですか……?」
喉の奥から声を絞り出すみたいにして、尋ねる。だけど、茉那は何も答えないし、まったく動かない。
美紗兎のことを無視する茉那のことも初めてみた。恐る恐る茉那に近づいて、しゃがんで目線を合わせる。だけど、茉那は一切視線を合わせようとしない。
瞳は動かさず、ずっと何もないところをぼんやりと見つめていた。
「茉那さん……、どうしたんですか……?」
美紗兎が不安そうに見つめ続ける。頭の中から不安の感情が溢れそうになった。どうしたら良いんだろうか、そんなことを考えていると、茉那が小さく口を開く。
「帰って……」
「え?」
元々茉那は声が大きい方じゃ無いけれど、その声は消え入りそうで、真っ正面にいたのにほとんど聞こえなかった。
「帰ってよ……」
もう一度、茉那が続けた。
(茉那さんが帰ってって言ったんですから、帰った方が良いんですよね……?)
美紗兎が恐る恐る立ち上がる。
正直なところ今の茉那と2人でいるのが怖かった。だから、お言葉に甘えて帰ろうと思った。
恐る恐る、摺り足のようにしながら、半歩ずつ後退りをしていく。だけど、茉那は美紗兎の方をチラリとも見なかった。
今までなら、美紗兎に寂しいから一緒にいてほしい、みたいなことを伝えてきた。言葉には出さずに、表情だけで伝えることもあったけど、少なくとも茉那は寂しさに対して怯えを見せていたのに……。
何も伝えてこない茉那をこのまま置いて帰っても良いのだろうか……。美紗兎がもう一度、茉那の方をじっと見たけれど、やっぱり感情はわからなかった。こういうときにどうすればいいのかわからない。
『みーちゃんはあったかいね』
ふと、茉那が何度も言ってくれたことを思い出す。ずっと美紗兎の温かさを求めてくれていた茉那。夏だから暑いかもしれないけど、美紗兎には茉那のことを抱きしめるくらいしか、方法が思いつかなかった。
抱き着こうと思ったけど、今の美紗兎の服は汗と夕立でびしょびしょになっていた。この状態で抱きしめるのは、さすがに申し訳ない。
(茉那さんを助けるためですから……)
美紗兎は覚悟を決めて、濡れた服を脱いでいった。ブラとショーツだけになって、キャミソール姿の茉那を抱きしめるのは恥ずかしいし、なんだか緊張してしまうけど、部屋は真っ暗だし、気にしないでおこうと思って、静かに近づいていく。
(やましい気持ちなんてないから……、わたしは茉那さんのことが心配だから抱きしめるだけだから……)
フッと息を吐いて、少しでも緊張感を和らげてから、ギュッと茉那を抱きしめた。
触れ合った肌からモチッとした柔らかい感触が伝わった後、じわりと少しずつ汗が染み出してくる。間違いなく美紗兎は茉那の肌の暖かさを感じている。
(茉那さんにも温かさが伝わってくれるといいんですけど……)
とにかく何か反応をしてくれるまで抱きしめ続けていよう、そう思って茉那のことを抱きしめた。茉那が感情を表にだしてくれるまで離すつもりはない。
暖かさで茉那の感情が戻ってくれるなら、それはもちろん嬉しいし、じめじめとした汗の不快感で何か反応してくれるのなら、それでもよかった。
何でもいい、とにかく茉那に感情が戻ってほしいという一心だけ。
ただお互いの小さな呼吸音だけが耳元で聞こえる中で、じっと動かず抱きしめ続けたのだった。
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