第109話 束の間の平穏②
近くのコンビニを目指しながら、美紗兎は中学時代のことを思い出していた。
美紗兎より先に中学に入学した茉那は、なぜかあれだけ仲良くしてくれていた美紗兎のことを避けるようになっていた。
マンションのエントランスですれ違っても、俯きながら挨拶をした後、そそくさと逃げるようにして家に向かってしまった。家に遊びに行っても、大抵は宿題で忙しいとか、お腹が痛いとかで会ってはくれなくなっていた。
まだ小学生だった美紗兎は不思議に思っていたのだけれど、その原因は中学生になってから、割と早い段階で知ることになってしまう。
悲しいことに、中学に入学してバドミントン部に入った美紗兎は、入部してすぐに茉那の悪口を聞くことになってしまったから。
ある日、美紗兎が3年生の先輩や、家が同じ方向の同級生の子たちと一緒に帰っている時に、茉那とすれ違ったのだ。私服姿だったから、多分茉那は学校から帰った後だったのだと思う。
中学に上がってから、人見知りを隠しながら無理に明るく振る舞う毎日を送っていた美紗兎は、茉那の顔を見て自然と笑みが溢れた。茉那の姿を見ている時だけは、緊張感がフッと解ける。
茉那も美紗兎の方を見て、同じように微笑んでくれた。だけど、その微笑みはすぐに消えて、慌てて顔を逸らされてしまう。
茉那に声を掛けようと思った時に、先に美紗兎の先輩がボソッと声を出した。
「ねえ、今、月原こっち見て笑ったよね、キモいんだけど」
聞きたくないような言葉が美紗兎の耳に入ってきてしまった。茉那の優しい微笑みをキモいと表現するなんて、信じられない。けれど、しっかりと聞こえてしまったのだ。
せっかく温かくなっていた美紗兎の心が痛くなる。すれ違い様に言ったから、たぶん茉那にも聞こえていた。
さっと後ろを向いて、茉那の姿を確認したけれど、茉那は俯いて早足で去っていっていた。本当は先輩に文句を言うべきなのに、中学を入学したばかりの美紗兎にはそんな度胸はなかった。
「あの、月原さんって人と何かあったんですか?」
美紗兎が尋ねた。当然茉那と知り合いであることを隠しながら。
「わたしは何もないよ、でもうちのクラスの子が前にあいつに彼氏取られたって言ってたから」
茉那ちゃんがそんなことするわけないじゃん! と当時の美紗兎は心の中で怒りを必死に抑えていた。下唇を噛んで、感情を押し殺した。
今の茉那ならともかく、小学生の頃に一番近くでずっと優しく面倒を見てくれた茉那がそんなことするわけないことはよく知っていた。美紗兎にとって、茉那は本当に優しくて、面倒見の良いお姉さんみたいな人なのだったから。
だけど、その時の美紗兎にはグループの秩序を乱してまで茉那のことを庇う度胸はなかった。そんなことをしたら、美紗兎は間違いなく部内にはいられなくなるし、一瞬で悪評は広まってクラスでも一人ぼっちになってしまう。
結局、美紗兎は先輩の話を聞いても曖昧に引き攣った笑みを浮かべることしかできなかった。
その日から、茉那は以前にも増して、美紗兎を見かけると露骨に避けるようになった。遠くから美紗兎の姿を見かけると、わざと道を曲がって、美紗兎に会わないようにしたり、美紗兎の横を通るときは駆け足に近い速度になっていたり、意図的な拒絶を続けていた。
(茉那ちゃんに意地悪してる子たちと一緒にいたわけだし、嫌われちゃうよね……)
なんとか弁解したかったけれど、帰宅部の茉那と部活をしている美紗兎の帰宅時間は合わないし、そもそも茉那は露骨に美紗兎を避けているし、なかなか会うのは難しかった。
(もしかして、このまま茉那ちゃんに嫌われたままずーっと疎遠になっちゃうんじゃ……)
美紗兎の背筋がヒヤリと冷たくなった。そんなの絶対に嫌だ。
美紗兎はなんとかして、多少強引になことをしてでも、きちんと茉那に謝りに行こうと心に決めた。
「すいません、わたしちょっと今日は部活お休みさせてもらいます……」
お昼休みに美紗兎の声を聞いて、部活の先輩が一瞬嫌そうな顔をしてから、作り笑いを浮かべる。
「いいけど、大会近いよ?」
「ごめんなさい、どうしても家の用で……」
「大会よりも大事な用事なの?」
先輩からの圧力で思わず半歩ほど後ろに下がってしまう。今年のバドミントン部の3年生はメンバーが揃っていて、全国大会を狙えそうなくらい強い。
1年生はほとんど雑用だから、コートには立たせてもらえないし、シャトルに触れられる機会もほとんどない。だけど、休めない。練習のお手伝いをしなければならない。
それでも、茉那は先輩の圧に耐えて、恐る恐る頷いた。
ふうん、と訝しげな目で見た後、先輩は不機嫌そうに「今日だけだよ」と言って、辛うじて休ませてくれた。
明日から先輩が美紗兎に対して冷たい態度を取るかもしれない。だけど、茉那に嫌われたまま離れ離れになってしまうことに比べれば、そんなことは些細な問題だった。
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