第107話 茉那の先輩③

「違うよ、みーちゃん。この人見境がないだけ。恋ができれば、近くにいる人誰でも良いんだよ……、って、ひゃあっ!?」


呆れたように視線を梨咲に向けていた茉那が、突然手を梨咲の口から離した。


「なんで舐めたんですか! 梨咲さんは犬か何かですか?」


梨咲が茉那の手のひらを舐めたらしい。茉那がお手拭きで手を拭う。


「ああ、もう。ごめんね、みーちゃん。梨咲さんちょっと変わってるから」


呆れた茉那に続いて、梨咲が美紗兎の方に笑いかける。


「ごめんね、引かないでねぇ」


どう反応したら良いのかわからず、美紗兎がえへへ、と中途半端に笑った。その後に、梨咲が真面目な調子で、茉那の顔を見ずに、とても小さな声で茉那に伝えた。


「たしかにあたしは見境ないけど、ナー子だけは別だからね? わかってるでしょ?」


茉那が目を瞑って、小さくため息をついてから、はいはい、と困ったように返事をした。


いろいろとお茶を濁されそうになってるけど、梨咲が茉那のことを好きなことや、告白したことは間違いなさそうだった。


「梨咲さんは茉那さんのこと本気で好きなんですね……」


美紗兎が落ち込んだ調子で言うから、茉那が慌ててフォローした。


「違うよ、みーちゃん。梨咲さんは誰にでも『あなただけは特別』っていうんだよ。自分のことドラマの中のヒロインだって思いこんでるだけだよ」


「えー、なんだか心外だなあ。まあ、いっか。今日はミサトちゃんの前だからそう言うことにしておいてあげる」


梨咲がふざけた調子で言った。


「ていうか、さっきから意味深なこと言ってみーちゃんのことからかってるけど、そもそも梨咲さん彼氏いるじゃないですか……」


「もー、ナー子ネタバラシしないでよぉ」


え? と美紗兎が困惑した声を出してしまう。話せば話すほど、2人の関係性が全然読めなくて、美紗兎は困ってしまう。


「ていうか、梨咲さん遊んでる場合じゃないですよね? さっさとエントリーシート書いててくださいよ。せっかくわたしとみーちゃんで楽しくおしゃべりしてるんですから、お邪魔虫はどっか行ってください」


茉那が呆れたようにため息をついた。言葉はトゲトゲしているけど、言い方は柔らかかった。茉那の言葉を聞いて、梨咲は楽しく笑っている。


今日の茉那は、普段美紗兎といるときよりも、色々な感情を出しているように思えた。


「茉那さん、とっても楽しそうですね」


モヤッとする感情を隠すように、美紗兎が作り笑いをした。


「全然楽しそうじゃないよ、構ってあげないと梨咲さんが拗ねちゃうから」


またまたぁ、と梨咲が呑気な口調で答えていた。


「でもまあ、せっかく2人で仲良くしてたところお邪魔したら悪いから、あたしは別の席に行くね。エントリーシートも書かないといけないから、ナー子と遊んであげてる場合じゃないし」


「別に頼んでませんよ」


茉那がまたため息をついた。


「あの、別に同席してもらっても大丈夫ですよ」


美紗兎が小さく声を出した。本当は2人だけで一緒にいたいけど、茉那は梨咲と一緒にいた方が楽しそう。


美紗兎の声を聞いて、梨咲が笑う。


「ミサトちゃんはナー子の幼馴染なのに、ナー子と違ってすっごく良い子だね」


梨咲は美紗兎に対して優しいことを言ってくれたけど、茉那が悪い人みたいに言われて少しだけムッとしてしまった。


「そうだよ、みーちゃんはすっごく優しいんだから。あと、わたしは梨咲さんに比べたらずっと良い子ですからね」


けれど、茉那が楽しそうに言い返していたから美紗兎は何も言わなかった。軽口を叩き合えるこの2人の関係に美紗兎が入っていける気はしなかった。むしろ美紗兎が退席した方がいいのだろうかと考えていると、梨咲が立ち上がった。


「ま、あたしはどのみちゆっくりエントリーシート書くから席移動するね」


そう言って去っていこうとする時に、そうだ、と小さく呟いた。


「ね、美紗兎ちゃん、連絡先教えてよ」


スマホのメッセージアプリを開きながら梨咲が言う。とくに断る必要もなかったので、美紗兎はQRコードを見せた。


「ありがと」


スマホが震えて、梨咲のアカウントが追加された。


「ミサトちゃんには毎日『愛してる♡』って送ってあげるね」


美紗兎に話しかけてるのに、梨咲は茉那に視線を送っていた。美紗兎はどう反応して良いのかわからず、困ったように笑った。


「わたしのみーちゃんにちょっかいかけたら怒りますからね」


「ナー子酷いなあ。そのくらいの分別はあるよぉ。ナー子がミサトちゃんを可愛がってる気持ち考えたら、そんなことできないよ」


梨咲がクスクスと笑う。


「ほんっとにこの人は余計なことばっかり……」


茉那は顔を顰めてから、手の甲を梨咲に向けてシッシッと追い出すようなポーズを取った。


「もう、わかりましたから。さっさとエントリーシート書きにどっか行ってください」


はぁい、と間伸びした声で去っていく梨咲の耳元に、茉那と同じ星の形のピアスがしてあることに気がついた。2人になってから、美紗兎が茉那に聞いた。


「ピアス、お揃いなんですね?」


「……うん、一緒に空けたんだ」


少し迷ったように間を空けながら茉那が答えた。その不自然な間が2人の関係性の歪さを表しているみたいで、なんだか不安になってしまった。


けれど、結局梨咲が席を離れてからは、梨咲の話は全く出なくなり、それ以上探ることはできなかった。

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