第106話 茉那の先輩②

「誰ですか?」


茉那に小さな声で尋ねた。


梨咲りささん。めんどくさい先輩だよ」


へー、と美紗兎が小さく相槌を打った。梨咲さんという女性への第一印象はオシャレな人という印象。今の茉那の隣にいるにはしっくりくるけれど、高校時代の茉那の隣にいると違和感がありそうな人。つまり、今の美紗兎とはあまり相性が良くなさそうな人。


長いつけまつげに、派手なネイルチップとか、美紗兎があまり親しくしたことのないようなタイプだから、緊張してしまう。髪の毛は墨で塗ったような黒さだったから、たぶん黒染めをしている。茉那の先輩なら4回生以上だから、就活生なのかもしれない。


自然と茉那の横の席に座った梨咲は早速茉那の頼んだチーズケーキを指差した。


「これ、美味しそう。食べていい?」


「勝手にどうぞ。その代わり、あとでお金払ってくださいね」


「いくら? ナー子のあたしへの愛情割があるからタダでいっか」


「全額に決まってるじゃないですか」


「えー、それぼったくりじゃん。ナー子ヤバいよ」


「開口一番に人のチーズケーキ食べようとする人の方がヤバいですよ」


「じゃあ、一口だけちょうだい。あたし金欠なんだ」


梨咲の言葉を聞いて、茉那がため息をついた。


「一口だけですよ」


茉那がお皿を梨咲の座っている方に少しだけ滑らせた。だけど、梨咲はお皿に乗せているフォークを手に取ろうとはしない。


代わりに、茉那の方に向かって目を瞑って、口を大きく開けていた。


「ナー子、食べさせて」


「まったく……」と言って食べさせようとしたところで、茉那がチラリと美紗兎の方を見て、手を止めた。


「嫌ですよ、自分で食べてください。子どもじゃないんですから」


「えー。ナー子のケチ」


そう言いながら、梨咲は茉那のチーズケーキを一口食べた。三角形の頂点が欠けて、ホロリとケーキが崩れる。


「やっぱりここのお店のチーズケーキは美味しいねぇ」


梨咲が頬を押さえて微笑んだ。


「で、梨咲さんは何しにきたんですか? わたしとみーちゃんのデート邪魔しに来たんですか?」


呆れたように梨咲に言い放つ茉那の正面の席で、美紗兎はほんのり顔を赤らめた。梨咲への軽口で言っただけだとしても、デートと言われると、なんだか緊張してしまう。


「就活用のエントリーシート書こうと思って来たんだ。今時手書きなんてすっごいめんどい」


「お疲れ様ですね」


茉那が気怠そうに、無意識に梨咲の頭をポンポンと触って労っていた。


「ナー子、代わりに自己PR書いてよぉ」


「嫌ですよ、わたし梨咲さんのこと何も知らないから無理です」


「2年以上一緒にいるのに、何も知らないなんて言わないでよぉ。あたしの良いところいっぱい知ってるでしょ?」


「食い意地張ってるところとか?」


「全然良いとこじゃないんだけど!」


梨咲がわざとらしく頬を膨らませた。目の前に美紗兎がいるのに、2人でかなり親そうに話を進めている。


オシャレな2人と垢抜けない美紗兎、同席するだけでも気まずいのに、このままずっと2人で喋り続けられたらもっと気まずくなりそうと思いながら、どうしようかと悩んでいると、梨咲の視線が美紗兎の方に向いた。


「あ、ごめんね。勝手に同席しちゃってた」


「ほんとですよ。梨咲さんが図々しく話に入ってきたから、わたしの可愛いみーちゃんが困っちゃってます」


(わたしのみーちゃん……って言ってくれた!!!)


茉那の言葉が明らかに軽口だということはわかっているのに、それでも嬉しくなってしまう。


「ごめんね、みーちゃん。この人すっごい馴れ馴れしい人だから」


「馴れ馴れしいって、先輩にしつれいだぞぉ」


梨咲が冗談混じりに茉那の頬を軽くつねった。


「やめてくださいって」


茉那が適当に手を払った。今まで長いこと茉那と一緒にいたけれど、こんなにもはっちゃけてる茉那を見るのは初めてだった。高校時代までは、ほんのり影のあるタイプだったのに、今の茉那はとっても明るい。


もしかして、これが本当の茉那の姿で、その本当の姿を引き出せるくらい梨咲が茉那に信頼されていると言うことなのだろうか。


なんだかモヤモヤとした感情が渦巻いてしまう。美紗兎と一緒にいるときよりもずっと楽しそうな茉那の姿。なんだか居た堪れなくなっているときに梨咲が美紗兎に話しかける。


「あたし梨咲。ナー子の親友なんだ」


よろしくお願いします、とぎこちない笑みで美紗兎が返していると、茉那がため息をついて、梨咲に声をかけた。


「親友じゃないです、知り合いです」


「えー、ナー子あたしのこと嫌いなの?」


「嫌いじゃないです。ただ、梨咲さんとの関係は説明するのがめんどくさいんで、知り合いが一番近いと思っただけです」


「ふーん、さすがあたしのこと振っただけあるねぇ。塩対応だ」


へ? と美紗兎が間の抜けた声をだしたのとほとんど同時に、茉那は手のひらを思いきり梨咲の口に押さえつけて、塞いだ。


「振ったって、え……?」


茉那は、混乱する美紗兎を申し訳なさそうに見た後、梨咲の方を軽く睨んだ。


「ほんっとにおしゃべりな口ですね……」


「あの、茉那さん……。さっきの振ったって、梨咲さんも茉那さんのこと好きだったってことですか」


美紗兎が困惑気味に尋ねた。茉那は梨咲と話す時とは明らかに口調を変えて優しい口調で話し出す。

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