第103話 優しい時と冷たい時①
「みーちゃん、いらっしゃい!」
茉那が玄関のドアを開けて、嬉しそうに美紗兎のことをギュッと抱きしめてくれた。ここ数日、茉那はあまり華美なメイクをしなくなっていた。
あの夜に呼び出された日以降、茉那が美紗兎のことを家に呼んでくれることが多くなった。会うたびに抱きしめられてしまうのは少し恥ずかしいけれど、誰も見ていない2人だけの場所だし、何より嬉しいから何も言わなかった。
「そうだ、茉那さんお菓子持ってきましたよ」
そう言って、美紗兎はデパートの紙袋に入れたお菓子を取り出した。
「わざわざ買ってきてくれたの? でも、この近くにデパートってあったっけ?」
「買ったんじゃなくて、クッキー焼いてきたんです。袋は家にあったの適当に持ってきました」
「わざわざ焼いてきてくれたの? すごいね!」
茉那の驚きが先ほどよりも大きくなった。
「別にそんなに驚くことじゃないですよ」
美紗兎が照れ臭そうに笑ったけれど、茉那が大きく首を横に振った。
「そんなわけないよ。クッキーなんてわたし絶対焼けないもん。すごいなぁ」
茉那が受け取った紙袋の中身を覗き込みながら感嘆の声を出した。こんなに喜んでくれるとは思わなかったから、美紗兎は嬉しかった。
「さ、みーちゃん部屋にあがってよ。早く食べよ」
無邪気に喜ぶ茉那について行って、美紗兎も部屋に入る。
見た目の雰囲気や、時々突き放すような態度をとっていた茉那を見て、変わってしまったと困惑してしまったけれど、こういう無邪気なところは子どもの頃から変わらなくて、美紗兎はほっとした。美紗兎の大好きな茉那が久しぶりに帰ってきてくれたような気分だった。
カーペットの上に座ると、茉那が紅茶を入れて持ってきてくれた。この間酔っていた時とは違って、今日は茉那の正面の席に座ったけれど、茉那はとくに何も言わずに微笑んだ。
「この紅茶すっごい美味しいやつみたいなんだ。この間もらったんだよ」
美紗兎がカップを上げると、桃の甘い匂いが漂ってきた。一口飲んでみると、口いっぱいに桃の甘みが広がる。砂糖も何もいれていないのに、とっても甘くて、不思議な気分になる。紅茶に詳しくない美紗兎でも、これが良い紅茶であるということはわかった。
「ほんとだ、すっごい美味しいです」
素直に感想を伝えた後に恐る恐る尋ねる。
「えっと……、これって元カレさんとかにもらったんですか?」
「やだなあ、みーちゃん。元カレにもらったものみーちゃんに飲ませるなんて酷いことしないよ。ちゃんと大事な先輩にもらったやつ。とってもオシャレで美味しいものとかも知っていてすごいんだよ」
茉那が笑って答えた。
美紗兎には元カレなんてものはいないから、元カレにもらったものを人に上げるのがまずいことなのかどうかもよくわからないけど、ピーチティーが美味しいことはわかった。茉那の言葉に、そうなんですね、と美紗兎が頷いてからもう一口飲んだ。やっぱり桃の甘い風味が口一杯に広がった。
「みーちゃんの作ってくれたクッキーもとってもおいしいよ! 洋菓子のお店で買ったみたい」
茉那がサクサクと美味しそうに口に運んでいくから、美紗兎も自然と笑顔になった。茉那に喜んでもらえるのが一番嬉しい。茉那に喜んでもらいたくて、何度も失敗しながら作ったから、うまく焼けるようになって嬉しい。
一体ここまでのクオリティを出せるまで、何十枚の半生のクッキーや焦げたクッキーを食べただろうか。茉那は照れ隠しで簡単に作れたとは言ったけど、しばらくクッキーを食べたくなくなるくらいには、たくさん失敗した。
「喜んでもらえて良かったです。いっぱい食べちゃってくださいね!」
そうやって、楽しいお茶会の時間を過ごしたのだった。美紗兎にとっての楽しい大学生活がようやく始まったような気持ちになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます