第102話 急な呼び出し③

「彼氏と別れたんだ……」


美紗兎がえぇっ、と驚いた声を出す。寝ていたと思っていた茉那が突然声を発したからか、それともまったく思っていなかったような言葉を出されたから驚いたのかは曖昧だった。


「なんか違ったから、さっき別れてきた」


「そ、そうなんですね……」


美紗兎は茉那だけを愛してきて、人と付き合ったことなんてなかったから、別れるというのがどういう感情なのかはよく分からず、曖昧に頷いた。


半年前の夏休みに会った時に彼氏と別れた話は聞いていたけど、あれから短期間でまた付き合って、そしてまた別れたということなのだろうか。


なんて返したらいいかわからず、曖昧に返事をしてしまう。


「彼氏といても、全然心埋まらないや……、全然あったかくならない」


そう言いながら、絡めていた美紗兎の手を持ち上げて、茉那の胸へと持っていく。


「わたしの心、みーちゃんじゃなきゃ、あったかくならない……」


茉那はギュッと美紗兎の手を胸に押し付けた。


茉那の心臓の鼓動が通常通りのテンポを刻んでいることがわかってしまう。逆に美紗兎の心臓の鼓動を聞かれたらきってものすごい速さで鼓動しているに違いない。


茉那の言葉がどういう意図なのかわからなかった以上、迂闊な返答はできなかった。静かな美紗兎のことを気にせず、茉那は続けた。


「ねえ、みーちゃんはわたしのそばにずっといてくれるの?」


「いますよ」


即答した。


「わたしに彼氏ができてもずっとそばにいてくれるの?」


嫌な想定だな、と思った。とてもわがままなことを言われている気がするから、本当はNoと答えないといけないはず。それなのに、美紗兎は曖昧に笑ってしまう。


「茉那さんに彼氏ができたら、邪魔できないからすぐそばにはいられないですけど、できるだけ近くにいますね」


「できるだけじゃなくて、すぐそばにいて!」


茉那が突然、美紗兎の首に手を回して、真正面に位置を変えて抱きついてきた。突然のことに美紗兎がわっ、と声を出して、そのまま茉那に体重を預けられて後ろに倒れ込む。


ちょうどクッションに頭が乗っかった。一緒に倒れ込んできた茉那の顔がすぐ目の前にあった。体全体に茉那の温かさが伝わってきて、美紗兎の心臓の鼓動が普段の倍くらいになっている気がした。


「わたし、やっぱりみーちゃんじゃなきゃあったかくならないんだよ。だから、時々みーちゃんにあっためてもらわないと、ダメになっちゃう」


茉那が寝転がったまま、美紗兎の胸元に顔をくっつけて、啜り泣き出した。


「今まで誰とつきあっても、みーちゃんよりもあったかくしてくれる人なんていなかったもん……」


「でも、わたしと付き合ってはくれないんですよね……?」


吐き出しそうなくらい緊張して、美紗兎が言ってみた。彼氏にフられた隙に乗じるみたいで少し悪いけど、もしかしたら、ついに積年の片思いが実るかもしれない。勢いで茉那と恋人同士になれるかもしれない、そんな少しやましい気持ちを持ちながら尋ねてみた。


だけど、茉那はうん、大きく頷いてしまった。


「みーちゃんとは付き合えないんだ……、ごめんね」


清々しいくらいの即答にショックがないと言えば嘘になるけれど、それでも今は茉那を慰める方が優先だった。


「気にしないでください……。わたしは茉那さんに彼氏ができても、結婚しても、できるだけそばにいますから、大丈夫ですよ」


「できるだけじゃ嫌……」


「そう言われても……」


「彼氏がいても、彼氏のことなんか無視してそばにいてよ」


酔っているせいか、どんどん茉那の言葉が訳のわからない方向に向かってしまっている。


どう返答しようか、とても困ってしまう。


だけど、幸い次の言葉はいらなかったようだ。スースーと可愛らしい寝息を立てて、茉那が美紗兎の胸に頭を乗っけたまま本当に寝てしまった。


「茉那さん、重いですよ……」


美紗兎はさすがに苦笑してしまった。茉那の全身が脱力状態で乗っかっているから、小柄な茉那でも普通に重たかった。


起こしたら申し訳ないな、と思いながらも、そっと茉那を退かして、美紗兎も体を起こした。


茉那はぐっすり眠ってしまっていて、起きなかったから、そのまま床に寝かしておいた。ベッドまで連れて行きたかったけど、美紗兎の力では茉那を担いでベッドまで運ぶことはできなかった。


仕方がないから、布団だけかけてあげて、家を出た。生ぬるい風を体に浴びながら、夜道をトボトボと歩いて帰る。


(わたしも早く寝よっと……)


走ってきた行き道の倍以上の時間をかけて、美紗兎は帰宅したのだった。


次の日、茉那からスマホにメッセージが届いていた。


『昨日、もしかしてみーちゃん家に来てくれてた……?』


どうやら昨日は酔いすぎてほとんど記憶がないみたいだ。


『行きましたよ』

『わたし、もしかしてみーちゃんに何か変なこと言った……?』

『何も言ってませんよ。ただちょっと玄関で雑談して、そのまま帰ったんです』


美紗兎は告白に近いことも言っちゃったし、茉那もかなりいろいろなことを言っていたから、なかったことにしてくれるのならそれに越したことはない。


『そっか……』


納得してくれたのかしてくれてないのかわからないけれど、それからメッセージは止まった。20分ほどしてから、またメッセージが入る。


『家に来てくれてありがと。今度家に来てくれた時には玄関先じゃなくて、部屋でゆっくりお喋りしようね』


「本当はもう部屋には入ったんですけどね……」と一人で苦笑しながら、『楽しみにしてますね』と返事を打っていたのだった。

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