第98話 また会うために④

帰り道、同じ方向に向かって美紗兎は茉那と歩いていた。夏休みの終わり頃の夜道は、少しだけ涼しい風が吹いていて、季節の終わりが近づいていることを感じさせる。


同じマンションに住んでいるから、帰り道も同じ。パスタのお店から家まで距離は近いから、5分もすれば着いてしまいそうだった。


茉那との別れが嫌だったから、とってもゆっくり歩いた。茉那も合わせてほとんど止まっているような速さで歩いてくれる。それでも、すぐにマンションの前まで辿り着いてしまう。


明日も朝早いけど、茉那と離れたくはなかった。美紗兎が茉那の手をギュッと握って立ち止まった。


「みーちゃん?」


「あの、もうちょっとだけ……、あと5分くらいで良いから一緒におしゃべりしてもらっても良いですか?」


美紗兎が恐る恐る確認すると、茉那が優しく微笑む。


「もちろんいいよ。でも、明日も朝早いんだったら程々にしようね」


はい、と美紗兎が頷く。


「マンションの前の公園でいっか」


小学生の時に一緒に花火を見て、茉那と初めてキスをした小さな公園は、あの頃よりも、もっと小さく感じた。あの時にはもうすでに、茉那のことが大好きだったっけ、と美紗兎は思い出す。


茉那に恋をした日から、今までずっと茉那のことだけを愛してきた。茉那とほとんど関われなかった中学時代には、性別や学年関わらずいろいろな人と友達になったけど、茉那以上に魅力的な人には出会えなかった。


茉那と美紗兎はベンチで隣り合わせに座る。せっかく時間をもらったけど、美紗兎は少しの間、何も話せなかった。茉那と少しでも長い間一緒にいたいという気持ちがはやりすぎて、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。


早く何か言わないと、と心の中であたふたしていると、突然茉那の手がベンチの上に置いていた美紗兎の手に絡んできた。思わず茉那の方を見てしまうと、茉那の澄んだ顔が真っ直ぐ前を見つめていた。美紗兎と目は合わせない。


「わたし、彼氏今はいないよ」


「え?」


「さっきお店で恋人がいるかどうか、みーちゃんに聞かれたの答えるの忘れてたから」


夏の夜と緊張で汗が滲んでいて恥ずかしかったから手を離したかったけど、その手を解くことは出来なさそうだった。茉那の温かい手に触れていたい。


本当に忘れてたんですか? なんて野暮なことは聞かない。


、なんですね」


うん、と茉那は静かに頷いた。茉那は可愛いから、きっと大学に行ってたくさんの人に言い寄られたに違いない。


「いろいろあって、もう別れたんだ」


茉那が自嘲的な笑みを浮かべる。握ってくる手の力が強まった。


「大学生になると、いろいろあるんですね」


深くは考えずに相槌をうった。


茉那は手の力を抜いて、ゆっくりと美紗兎の手を離していった。


「いろいろあるよ、本当に」


茉那がため息をつく。意味あり気なため息をついた茉那の横顔を、美紗兎が不安そうな目で見つめた。


(茉那さん、何かあったのかな……)


大学受験をやめて、今すぐ茉那の一人暮らしをしている家の近くに引っ越してしまいたいくらい不安だった。


中学時代にクラスメイトとの恋愛関係のトラブルに巻き込まれていた時みたいに、誰も頼れる人がいなくて、一人ぼっちで震えているんじゃないだろうかと思うと美紗兎は泣きそうになってしまう。


「大丈夫なんですか……? わたし、すっごい心配です……」


美紗兎が自分の胸元にギュッと両手を当てて尋ねると、茉那は小さく頷いた。


「大丈夫だよ、ありがたいことに良い先輩にも出会えたから」


茉那が一人で震えているかもしれないというのが杞憂だったようで、少し安心した。良い先輩がいて、恋もするようになった茉那はもう一人ボッチになることなんてないのかもしれない。


きっと美紗兎が一緒にいなくても楽しい毎日を送れているのだろう。そう思うと、体の力が一気に抜けてしまった気がした。


茉那は美紗兎がいなくても何の問題もなく毎日を楽しく過ごせていることは間違いなく良いこと。なのに、なぜだかとても寂しい気分になってしまう。


だけど、そんな美紗兎の気持ちを知ってか知らずか、茉那は続けた。


「まあ、その代わりたくさんの人に嫌われちゃったけどね……」


「えっ……」


茉那が寂しそうな顔を浮かべた。放っておけないような儚い表情が月に照らされている。


「みーちゃん、わたし本当は寂しいんだ。信頼できる先輩もいるし、彼氏もいたけど、それでも寂しいんだ……。やっぱり、みーちゃんがいないと寂しいな……」


茉那がベンチにぐっともたれて、手をだらりとベンチの上に投げ出した。そんな投げやりな姿を見てしまったら、茉那のことを放っておくわけにはいかなかった。


美紗兎がソッと、ベンチの上に投げ出された茉那の手の甲の上に、手のひらをくっつけた。


「あの……、茉那さん……」


「ん?」


「もう半年だけ待っておいてもらってもいいですか?」


「半年後に何かあるの?」


「わたしが茉那さんと一緒の大学に行きます」


本当は高校で再会した時みたいに偶然を装って驚かしたかったけど、今の寂しそうな茉那の様子を見ていると、そういうわけにもいかなかった。


「わたしの大学実は結構難しいよ」


"結構"どころかめちゃくちゃ難しいし、だからこそ美紗兎は夏休みを放棄してずっと勉強しているのだ。茉那とまたずっと一緒にいたいというモチベーションがないと、絶対に目指そうなんて考えもしない大学。


「知ってます」


「そっか……」


茉那が姿勢を正して、美紗兎の方に体を向けて、微笑む。


「みーちゃんは優しいね」


すぐ近くで視線を合わせるのが恥ずかしくてサッと目を逸らしてしまった。そんな美紗兎の様子を見て、茉那が上半身を包み込むようにして、抱きしめてくれた。


「やっぱりみーちゃんあったかいね」


「夏ですからね」


「そういう意味じゃないよ」


茉那がクスクス笑う。耳元で茉那の吐息が当たって、くすぐったかった。


「待ってるね……」


寂しそうに、縋るように耳元で溢れた言葉を聞いて、美紗兎は力強く頷いた。


改めて、茉那と一緒の大学に行くための覚悟ができた美紗兎は、また勉強漬けの日々に戻る。


その甲斐あって、次の春には無事に茉那と同じ大学に行けたのだった。

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