第77話 花火大会③

出店のある場所からそれなりに離れてくると、もう祭囃子もほとんど聞こえないくらいの距離になっていた。


市街地から離れ、虫の音やカエルの鳴き声がしっかりと聞こえているような場所。茉那が美紗兎と一緒にやってきたのは、誰も人のいない、川沿いから少し離れた田んぼ付近の小さな空き地だった。


「かなり遠くに来てるけど、本当に見れるの?」


花火の時間が近づいてきて、少し不安になった。そんな茉那のことをチラリと見てから、美紗兎が少し言いづらそうに伝える。


「すいません、茉那さん。本当はここでちゃんと花火が見られるかわからないです……」


「え?」


「本当はわたし、花火見られる場所を探してたわけじゃないんです……。茉那さんと一緒に、2人だけで居られる場所を探してたんです……」


茉那の視線の先で一発目の花火が上がっていた。遠くだから、少し小さいけれどきちんと綺麗に見えている。美紗兎に良い場所を選んだね、と伝えてあげたい。


けれど、美紗兎の心は今花火には向いていないようだった。美紗兎の背中側で花火は打ち上がっているけれど、そちらは全く見ずに、茉那の方だけを見つめていた。茉那も、不安そうな美紗兎の瞳をじっと見つめ返す。


「あの、茉那さん……、ここ数週間ずっとお誘い断り続けてすいませんでした……」


美紗兎が震えた声で伝えてくる。


「そんなの気にしなくてもいいよ」


本当は茉那は不安な日々を過ごしていたけれど、今はそんなこと伝えるべきではない。今の美紗兎の感情は、扱いを間違えたら今すぐにでも割れてしまいそうな、とても脆い陶器のように思えたから。


茉那は慎重に言葉を続けた。


「お泊まり会の日に何かあったの……? わたし、何かしちゃったの……?」


茉那の質問を聞いて、美紗兎が泣きそうな目で頷いた。肯定した。


「でも、茉那さんが悪いわけじゃないんです……。茉那さんはとっても優しかったです……。ただ、わがままなわたしの感情が揺らいじゃっただけなんです……」


「感情……?」


美紗兎が目を潤ませながらゆっくりと頷いた。


「わたし、自分の気持ちと向き合うのが怖くて、ずっと茉那さんのこと避けてました……」


「怖くてってわたし何か酷いことしちゃったの……?」


「違うんです! 本当に茉那さんは酷いことなんてしてないです……。茉那さんはずっと優しいです……。でも、それなのに……」


美紗兎の瞳から涙がこぼれ落ちる。啜りなく声が花火の音にかき消されていく。


「みーちゃん!」


茉那は美紗兎のことをギュッと抱きしめた。


「落ち着いて、みーちゃん」


可愛らしく結った髪型が崩れないようにゆっくりと頭を撫でると、美紗兎が泣きながら小さな声で呟く。


「好き……、なんです……」


「え?」


聞こえるはずのない言葉が聞こえた気がした。


「ダメだってわかってるんですけど、でも好きになっちゃったんです……。ずっと今の関係を壊したくなかったから隠してたんですけど……、あの時のお泊まり会で、もう好きの気持ちが隠せなくなっちゃって……」


茉那の心臓の鼓動が速くなる。美紗兎から今、とても大事なことを告げられている。美紗兎はゆっくりと茉那の体から離れた。そして、改めてじっと瞳を見つめた。美紗兎はとても綺麗な瞳を潤ませている。


「茉那さん、わたし茉那さんのこと大好きなんです……」


溢れかえった大好きの感情が意味することは鈍感な茉那にもしっかりと伝わってきていた。小学生の頃とは比にならないくらいの真剣な好きの感情。


美紗兎はもう泣くのを堪えることも無くなった。大きな声で子どもみたいにワンワン泣きながら手で目をゴシゴシと擦る。せっかく綺麗にしてきたアイメイクが崩れてしまっていることも気にせずに。


「わたし、茉那さんとずっと仲良くしたかったからこんな感情を持ったらいけないことはわかってるのに……。でも、でも……」


すっかり感情が荒ぶっている美紗兎のことを茉那がもう一度ゆっくりと抱きしめた。


「伝えてくれてありがと」


鼻を啜りながら小刻みに震える美紗兎にどう答えたらいいのかわからずに、何も言わずにただ静かに髪を撫でていた。このまま有耶無耶になってくれたらいいのにと思いながら。だけど、美紗兎が涙声で伝えてきた。


「茉那さん……、答えてはくれないんですね……」


美紗兎が無理に笑う。


「すいません、忘れてください……、って言っても無理ですよね……」


美紗兎は、あはは、と乾いた笑いを泣きながら伝える。茉那は何も言えずにただ静かに髪の毛を撫で続けた。美紗兎のほうが背が高いから、茉那は俯いて、泣き顔をみないようにしながら。そんな2人のことは気にせず、花火の音が静かな公園に鳴り響いていた。


茉那がゆっくりと口を開いた。


「ごめんね、みーちゃん……」


どうしたらいいのかわからず茉那まで泣き出してしまった。感情が昂ったら泣いてしまうのはいつものことだけど、さすがに今は茉那が泣くのはおかしいことはわかっている。


「茉那さんが泣かないでくださいよ……」


「ごめんね……」


「2回も謝らないでくださいよ……」


2人だけの公園で抱き合いながら泣き合っていた。暫くの間、お互いに体を触れ合わせ合っていたけれど、ようやく美紗兎が体を離した。


「もう花火クライマックスですね」


何事もなかったかのように美紗兎が花火の方を指を差す。茉那も目を擦りながら頷いた。


「綺麗だね……」


「はい」


次々とあがっていく綺麗な花火は今の気まずい雰囲気を簡単に塗り替えてくれた。重たい感情を下ろしてしまった美紗兎はこの公園に来る前に比べてずっと元気になっている。


そして、今度はその重たいものは茉那に移された。わたしもみーちゃんのこと好きだよ……。なんて言葉をかけてあげられたらよかったのだろうけど。茉那には美紗兎の愛に応えることはできなかった。


美紗兎との今の関係を崩すのが怖いのは、茉那も同じだった。いや、同じどころか、きっと茉那の方が美紗兎よりも強く思っているだろう……。


恋人になるというのはとても素敵だけど、万が一その関係が崩れてしまえば、きっともう二度と今の関係には戻れない。美紗兎との関係が壊れてしまうなんて、考えただけでゾッとしてしまう。


派手に上がった花火が終わった頃には、美紗兎の表情に笑顔が戻っていた。


「そろそろ帰りましょうか」


行き道には美紗兎の手の温度で心地よかった手は、帰りには熱帯夜の生ぬるい風に吹きつかれていた。それでも、行き道の緊張感に比べたら随分と普段通りに近い帰り道だったことを覚えている。


その後、新学期が始まってからは、1学期の頃と変わらずお昼休みには楽しくお弁当を食べたし、一緒に帰りもした。いつもと同じように帰りには寄り道をしたりもした。何も変わりのない、ただ楽しいだけの関係が繰り返された。


大学入試が控えていて、学校での補講もあったから頻度は少なかったけど、夏休みに告白されたことなんてなかったみたいに元のような関係に戻っていた。


そのことに、茉那は心の底からホッとしたのだった。

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