第74話 お誘い②

いつの間にか美紗兎は端っこしか見えない花火を見るのに飽きてしまい、またリンゴを食べるのを再開していた。


「ウサちゃんリンゴってどうやって作るの?」


美紗兎が目の前にうさぎの形をしたリンゴを持っていき、ジッと見つめながら尋ねた。


「包丁で切って作ってるんだよ」


「ウサちゃん切っちゃうの?」


美紗兎が不安そうな目で聞いてくる。


「えっと……、切るのはリンゴだよ……」


「リンゴがウサちゃんになるの?」


うん、と茉那が恐る恐る頷いた。その伝え方で正確に美紗兎に伝わっているのだろうか。少しだけ心配になる。


「凄いね。リンゴはウサちゃんになるんだね!」


茉那は苦笑いをしながらもう一度頷いておいた。


美紗兎はじっとウサギのリンゴを見つめていた。美紗兎は遠くで煌めいている花火よりもすっかりウサギ型のリンゴに夢中になっているようだった。


茉那はのんびりと時折発光しているマンションの隙間に視線をやりながら、美紗兎がシャクシャクとリンゴを食べる音に耳を傾けていた。美味しそうなリンゴの音を聞いていると、茉那もリンゴを食べたくなってしまう。


「わたしも一個もらうね」


茉那がリンゴに手を伸ばそうとしたら、それより先に美紗兎のリンゴを持つ手が茉那の口元に伸びた。まだ口をつけていない、ウサギの形がそのまま残っているリンゴを茉那の唇にくっつけられる。


外気に触れて少し温くなったリンゴが唇に触れる。いいよ、と美紗兎が言っているので、きっとこれを食べてもいいということなのだろう。茉那がゆっくりと口を開けてリンゴを食べた。


「美味しいね」


「でしょ?」


美紗兎が楽しそうに笑うから、茉那も笑った。二人でリンゴを食べている傍らで花火は一番最後のものが打ち上げられたようで、空は今日一番明るくなっていた。


花火はあんまり見られなかったけど、美紗兎と一緒に外でリンゴを食べただけで満足だった。遠足に来たみたいで楽しかった。花火が打ち上げ終わったらすぐに帰る約束だったからさっさと帰ろうと思って立ち上がった。


「あ、そうだ! 茉那ちゃん、一個忘れてた!」


「何か忘れ物でもしたの?」


美紗兎は首を振ってから、相変わらず無邪気に続ける。


「ううん、お友達から借りてた本に書いてあったんだ!」


「書いてあった?」


一体どう言うことなのだろうと思って茉那が立ち止まる。それと同時に、美紗兎が立ち上がって背伸びをしながら茉那に顔を近づけた。


「みーちゃん……? ん?????」


ただ顔を近づけてきただけだと思った。なのに、唇がピットリとくっ付いたのだから、茉那は慌てた。柔らかい美紗兎の唇から、リンゴの味がワッと溢れてくる。茉那は慌てて美紗兎から顔を離した。


「え? みーちゃん、顔近かったけど……???」


近いと言うよりも思いっきりキスをしていたのだから、茉那は混乱した。


「チューだよ!」


「え? チューって……。え???」


茉那が両手で頬を押さえた。顔もきっと赤くなっている。そんな混乱している茉那のことは気にせず美紗兎が元気に言う。


「借りた本に書いてあったの! 好きな子とはチューするんだって」


「す、好きな子???」


告白ってこと??? と思って困惑するけど、美紗兎は屈託のない笑顔で大きく頷いた。


「茉那ちゃんのこと大好き!」


その好きは恋愛感情ではなく、友達として好きであると言うことはすぐにわかった。緊張していた茉那の心も一気にほぐれていく。


「ああ、そっか。嬉しいな」


恋としてではなく、仲の良い年上の幼馴染として好きということかと理解して、ホッと大きく息を吐いた。ビックリしたけど、ごく普通の感情で良かった。


「わたしもみーちゃんのこと大好きだよ」


茉那は美紗兎のことをぎゅっと抱きしめながら頭を撫でた。美紗兎も茉那の腰の辺りに手を回して、「茉那ちゃん大好きー!」と無邪気に喜んでいた。


これは一応茉那にとってのファーストキスの瞬間だったけど、これはノーカウントと思っている。あのリンゴの味は、キスの味じゃなくて、ただの戯れなのだから。


そんな昔の出来事を思い出しながら、茉那は花火大会の日に美紗兎と会えることを楽しみにしていた。

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