第71話 距離感②
セミの声がすっかりうるさくなり、もうすぐ夏休みがやってくることを知らせている。そんな暑い日に茉那は一人寂しく帰り道を歩いていた。
また前と同じように一人になっただけなのだから、そこまで悲観することはないと頭ではわかっているけれど、やっぱり辛かった。
美紗兎だけは特別なのだから。
夏休みは中学時代ほとんど会えなかった分まで美紗兎といっぱい遊びに行くつもりだったから夏期講習も何もするつもりはなかったけれど、このままでは美紗兎と会えない上に志望校にも受からないなんてことにもなりかねないし、適当な予備校の夏期講習にでも行った方がいいかもしれない。
でも、せっかくの夏休みに自分だけ友達がいない中、周りの子たちが楽しく大学合格に向けて一緒に頑張っている姿を見るのもなんだか憂鬱だ。それなら一人で家で勉強していた方がいいのかもしれない。夏休みくらいは独りぼっちの姿を浮き上がらせたくはなかった。
茉那は大きなため息をついて、ふと顔を上げると、一瞬心臓が跳ね上がるくらいに大きく鼓動を打った。
(みーちゃんだ!)
久しぶりにみつけた美紗兎の姿を見て茉那は声をかけようかと思ったけど、拒まれているところに声をかけるのも良くないと思い、結局声をかけることはできず、咄嗟に電信柱の影に隠れてしまった。
(待って、これじゃあわたし、みーちゃんのこと尾行するみたいになっちゃってる……)
人の後を付けるのはよくないことは分かっているのだけれど、思わず隠れてしまった以上、今更顔は出せない。美紗兎がどこかに行ったらまた顔を出そうと思い、息を潜めていると、今度は予期せぬ人物の声が聞こえてきた。
「じゃあ、頑張ってね美紗兎ちゃん」
大人びていて、落ち着いた声が灯里のものであることはすぐにわかった。どうして美紗兎と灯里が一緒にいるのだろうか。茉那は不安になってしまう。
「灯里さん、ありがとうございました!」
「いいのよ、別に。わたしはただ話を聞いただけなんだから気にしないで」
話を聞いた? 灯里に何を話したのだろうか。あの二人の共通点は茉那の友達ということだけど……。茉那のことを何か話したのだろうか。
「あ、あの……。これまでのことは茉那さんには言わないでもらっても……」
「ええ、当たり前でしょ。こんなこと茉那には言えないわよ」
灯里がクスクスと笑ったのに続いて、美紗兎も笑っていた。避けられていたところに、昨年まで茉那と対立していた灯里と楽しそうに談笑しているのだから、嫌な想像が巡ってしまう。
(わたしの悪口で盛り上がってるんじゃ……?)
その嫌な考えを必死に否定する。美紗兎が茉那の悪口なんて言うはずないし、灯里だってもう仲直りしたんだから……。
でも、それならあの2人で一体何の話をしていたのだろう……。
どうしてもモヤモヤとした納得できない感情が渦巻いてしまう。
そんな考えを巡らせている間に美紗兎と灯里がそれぞれ背中を向けて歩き出した。
このまま何事もなく帰ることは、この先も美紗兎と灯里に疑念を抱きながら残りの学校生活を送ることと同じだ。けれど、逆方向に歩いていった二人からまとめて話を聞くのは難しそう。
だから、追いかけるのは片方だけ。どちらか一人からかは絶対に話を聞かなければならない。
茉那は急いで走りだした。
美紗兎のことは疑いたくない。
追いかけたのは灯里の方だった。
「灯里ちゃん、待って!」
茉那が言い終わるよりも先に灯里が慌てて後ろを振り向いた。それと同時に茉那は灯里の手首を縋るように掴んで、潤んだ目で見上げた。
「どこから聞いてたの……?」
灯里が恐る恐る聞くと、茉那の目がさらに潤んだ。ずっと賑やかに鳴いていたセミの音も一瞬止まったみたいに、2人の間の空気の全てが止まり切ってから、茉那がしゃくりあげながら言葉を発する。
「灯里ちゃん……、わたしからみーちゃんまで奪わないで……!」
「……え?」
必死な口調の茉那に灯里は気の抜けたような返事をした。
「今度はみーちゃんのことをわたしから遠ざけようとしてるの?」
柄にもなく、茉那は断定的に灯里のことを加害者だと決めつけるような嫌な言葉を投げかけた。これが茉那の被害妄想だった場合はもちろん、真実だとしても灯里からは怒られて、嫌われてしまうだろう。
でも、もうどうせ美紗兎に嫌われてしまっているのだし、そのほかのことなんてどうでもよかった。灯里にまた怖い口調で怒られることは覚悟していた。だけど、灯里は優しく微笑んだ。
「とりあえず、うちでちょっと話さない? いろいろ慌ててしまっているみたいだし、お茶でも飲みながら一回気持ちを落ち着かせたほうがいいわ」
灯里は手首を掴んでいた茉那の手をゆっくりと離してからそっと握りしめる。そ
して、なぜか手を繋ぎながらゆっくりと歩き出した。
「灯里ちゃん怒らないの?」
茉那は拍子抜けしてしまう。
「怒ることなんて何もないわよ」
ふふっ、と笑う灯里の横顔はとても優しそうだった。
身長差と上品な所作のせいで泣いている子どもが母親に手を引いて家に連れて行ってもらっているような感覚になってしまう。灯里は美衣子が関わらなければ同い年とは思えないくらい大人びて落ち着いている。そして、とても優しい。
「ついたわよ。さっきまでうちで美紗兎ちゃんと一緒にいて、ちょっと話し込んでいたのよ」
ほんの1分ほどで着いた目的地は灯里の住んでいる家は、近隣住宅3つ分ほどの土地に建っている豪邸だった。
「凄い。灯里ちゃんって豪邸に住んでるんだね」
「豪邸って大げさね。別に普通の家よ」
テニスコートでも作れそうなくらい大きな池付きの庭がある家を豪邸と呼ぶのは大げさではない気がする。おまけにお手伝いさんが出迎えてくれるし、灯里の家に茉那は驚かされっぱなしだった。
ドアを開けてくれているお手伝いさんに軽く会釈をして小さな声でお礼を言ってから大きな玄関から入る。灯里に連れられて奥にある応接室に入り、ふかふかのソファーに座って灯里と向きあった。
大人が大事な話をするようなきちんと部屋だから緊張してしまう。お手伝いさんが持って来たお菓子もトロトロのプリンと高そうなチョコレートだし、茉那の家のものとは全然違っていた。綺麗に装飾された部屋はそれ自体が一つの芸術作品みたいで、思わずキョロキョロと部屋中を見回してしまいそうになる。
(いけない、今日は遊びに来たんじゃないんだから……)
茉那は灯里の家の豪華な雰囲気に呑まれながらも、とりあえず話をする気持ちを整えた。
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