第62話 新しいお友達①
茉那はアンティークな雰囲気の喫茶店で灯里と向きあっていた。目の前で背筋をしっかりと伸ばして座る灯里はとても穏やかに微笑んでいる。
「知っていると思うけど、わたしは美衣子が絡むとおかしくなっちゃうのよ」
灯里が水の入ったグラスを揺らすと、氷がからりと音を立てた。そのまま口元に運んでいくと、それだけで絵になった。客観的に見ると、灯里はとっても綺麗な人だと茉那は思う。
今の灯里は前髪をかなり伸ばしていて、眉どころか、目元まですっかり覆ってしまって一見すると暗い雰囲気になってしまいそうなのに、それがミステリアスな美少女を創り出していて、より魅力を引き出している。高校2年生の頃には灯里は前髪は眉毛の上あたりで切りそろえてパッツンヘアに近い感じにしていたから、新鮮な感じであった。
灯里に見とれている茉那のことを気にせず、灯里は続けた。
「でもね、美衣子が絡むとおかしくなるとしても、茉那のことを傷付けてしまったことには間違いないわ。本当にごめんなさい」
座ったまま、深々と頭を下げると、長い前髪がだらりと机の上に乗っかった。いつも灯里は茉那のことを名前で呼ばずに”あんた”と呼んでいたから名前を呼ばれて少し嬉しかった。
「いいよ、本当に気にしないで。もう過ぎたことだし」
「そういうわけにはいかないわ。あなたにどれだけ酷いことをしたかを考えると……」
その表情は演技には見えなかった。灯里は本当に心の底から反省している。
茉那がずっと見ていた灯里は美衣子に執着する怖い人だったけど、灯里には成績学年トップの優等生の面もある。しかも高校1年生のときには生徒会の副会長もしていたくらいの本物の優等生だ。
「わたしはカプチーノにするけど、茉那は何にする?」
灯里はメニュー表を見る前に決めてしまって、茉那のほうにメニュー表の字がよく見えるように、開いて渡す。
「灯里ちゃんはよくこのお店に来るの?」
「ええ、半年ほど前くらいからよくここには一人で来るのよ。嫌なことがあったときとかはここに来ることが多いわね。2年生のときに茉那に美衣子を取られちゃったときくらいからはとくに重宝したわ」
クスクスと口元を抑えて和やかに笑う灯里と、つい数か月前まで茉那のことを敵視していた灯里が同一人物だとは思えなかった。
「ねえ、灯里ちゃんはわたしのこと嫌いなんじゃなかったの?」
こんな質問、少し前の怖かった頃の灯里にはとてもじゃないけど聞けなかった。だけど、今の灯里は優しく包み込むような笑みを浮かべて答えた。
「言ったでしょ。あなたが美衣子と関わらなければわたしは何もしないって。なんならあなたのことは個人的にはとっても気に入っているくらいよ。同じ子を愛しているという、とっても大きな共通点があるのだから」
茉那は内心、さすがに灯里ほどの執着心はないのだけど、と否定したかったけど、せっかく仲良くなってきているのに、それを言うのは野暮かなと思い何も言わなかった。
そんなことを考えていると、突然灯里の顔が険しくなる。いつもの刺すような視線を茉那に向けた。
「一応、念のために聞いておくけど、あなた美衣子と会っていたりはしないわよね? 信用はしているけど、確認はしておくわ」
茉那は慌てて首と手を横に振って、メガネが落としてしまいそうなくらい全力で、おさげ髪を大きく揺らしながら否定した。
「もう会ってないよ、ほんとだよ!」
その答えを聞いて、再び灯里は何事もなかったかのように微笑む。
「そこまで必死に否定しなくてもいいわよ。あなたのこと疑っているわけではないから」
灯里の気持ちがまた落ち着いてくれたようで茉那はホッとした。
だけど、よく考えたら今の灯里はきっともうすでに灯里と仲直りしていて、いつも美衣子と一緒にいるだろうから、茉那とほんの少しでも関りがあったら気が付くのではないだろうか。
高校2年生のときには隠れて美衣子と2人だけでカフェに行ったら一瞬で気づいてしまうくらい鋭いのだから、クラスは変わってしまったとはいえ、美衣子と休み時間や帰り道に2人きりでいれば不審なことがあればすぐに気づくのではないだろうか。
だから、茉那は不思議がって尋ねる。できるだけ冗談めかして、対立する気がないことをアピールするために全力で微笑みながら。
「灯里ちゃんなら美衣子ちゃんとわたしが一緒にいたらすぐに気づきそうだけど、念のために確認するんだね」
「いくらわたしでも学校に行ってないのに美衣子の動向はわからないわよ」
灯里はふふっと穏やかに笑いながら言ったけど、茉那は聞き流せなかった。
「……学校に行ってない?」
驚いて尋ね返した茉那に、灯里は平然と「ええ」と頷いた。
「え、灯里ちゃん、なんで……?」
なんで? の後に続けたい言葉はいっぱいあった。なんで学校に行ってないの? なんで仕方なく美衣子ちゃんと会わないようにしてあげてるのに、肝心の灯里ちゃんが学校に行っていないの? なんで美衣子ちゃんを独りぼっちにしちゃうの……?
この間美紗兎と一緒に公園にいた時に見た、独りぼっちの美衣子の後ろ姿が脳裏をよぎった。茉那は不安そうな顔で灯里のことを見つめる。
「これは美衣子に見せたくなかったのよ」
灯里がゆっくりと前髪を持ち上げた。そして眉毛の少し上の辺りを指差した。よく見ないと気が付かないくらいの小さな縫い後ではあったけど、それがあの終業式の日、茉那が押したせいでできた傷があるのがわかった。
ぱっと見ではわからないくらいの傷ではあるけれど、大好きな美衣子の前では一番可愛い姿でいたいことは、茉那にもわからないではない。
「ごめんなさい……」
灯里の綺麗な顔に傷をつけてしまったことへの罪悪感があらためて募る。
「元々はわたしのほうが茉那に酷いことしてたんだから、謝られても困るわ」
灯里は困ったよう笑う。
「それに、もう前髪伸びたからゴールデンウイーク明けには学校に行くわ」
だから前髪がかなり伸びていたのかと茉那が納得した。
「そうしてあげてくれると嬉しいな。今美衣子ちゃん一人で帰ってるみたいだから……」
「ええ、そうするわ」
灯里がそっと微笑んだ。
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