第17話 彼女の話④

「なに?!」


けたたましく鳴り響く私と隼くんのスマホ。


「……地震です!」



隼くんがそう言ったのと同時に、スマホの方からも緊急地震警報だという音声が流れた。


「え、ちょっとすごい大きい!」



すぐにガタガタと音がして、立っていられないくらい大きな揺れが起こった。


「机の下に隠れてください!」


隼くんは私にそう言いながら、私達が立ち話をしていたすぐ近くにあるドアを少し開けてドアガードを設置した。



私は隼くんに言われたまま、部屋の机の下に隠れた。


隼くんはドアから離れると、ベッドにある大きな枕で頭を覆った。


「まだ揺れてるね……」


ここまでの間、約10秒。


その間もずっと大きな揺れが続いてる。



「ここ、最上階だから余計に揺れが大きく感じるんだと思います。…大丈夫ですか…?」


「私は大丈夫よ。」


「よかったです。あと少しで収まると思うので……机の下にいる限りはほとんど大丈夫ですよ」



私は地震が大の苦手だ。


みんな苦手だとは思うけど、軽微な揺れでもすごく恐ろしく感じてしまう。


そんな私の不安を汲み取ってくれたのか、隼くんは心配そうな目を向けて優しく声をかけてくれた。








「……収まりましたね」



大きな揺れから数分後、やっと揺れを感じなくなった。


「怪我とか大丈夫でしたか?」


「うん、ありがと」


「また余震が来ると危ないですから、すぐ隠れられるようにそこの椅子に座ってて下さい。ちょっと電話したくて……すみません」


「わかった。いいよ」


「ありがとうございます」



隼くんはそう言いながら、色んな人に安否確認の電話をかけていた。



そういえば、春馬が隼くんはキャプテンだと言っていたのを思い出した。



キャプテンだから特別に一人部屋なのかな。



さっきの地震のときの落ち着きぶりやテキパキした行動を見ると、すごくいいキャプテンをしてるんだろうなと思った。



「みんな大丈夫そう?」


隼くんがあらかた電話をかけ終わったとき、私は声をかけた。


「はい。大丈夫でした。けど、今日は部屋から出られなくなっちゃいました」


「外で何かあれば危ないもんね。ご飯とかはどうするの?」


「ここに来る前、少し早いですけど別のところで食べてきました。優香さんは食べましたか?」


「私はまだ……まあ、別に隼くんたちみたいに自由行動ができないとかではないからいいんだけどね」


「そうですよね。一人ですよね?…気をつけてください」


「ありがとう。隼くんもね」


「僕は大丈夫ですよ。こう見えて、地震には慣れてるんです」



あまり慣れるものでもないですけどね、と笑いながら隼くんはさっき設置したドアガードを外しに行った。



「なんで慣れてるの?」


「僕、小学校の途中まで東北地方にいたんです。太平洋側の沿岸部だったので…小さな地震なら日常茶飯事だったんです」


「だからとっさにドアを開けたりできたんだね」


「そうですね…閉じ込められたら危ないですから」


「私と一緒にいて閉じ込められた事が分かれば余計にややこしいことになるもんね」


「まあ…そうですよね…」



隼くんは笑いながらそう言って私を見る。


「でも……納得行かないんだよね私。私達は被害者じゃない。なのにどうしてコソコソしなきゃいけないんだろうって思わない?」


「その通りですね。なんだろう、世の中の目とかそういうことじゃないですか?法律上とかは大丈夫だと思いますが…」


「世間の目ねえ……もういまさらだっての。散々好奇の目で見られてきたんだから」


「そうですよね…僕はともかく、優香さんが一番大変だったと思います」


「もう懲り懲りよ。人間の裏の面を沢山見られたのはいい勉強になったけど」


ため息をついてそんなことを言う私の話を、隼くんは見守るようにして頷いて聞いてくれていた。


話を聞くときの表情も相槌のタイミングも、ついこちらがどんどん話してしまうくらい絶妙だった。





「ねえ隼くん、なんでそんなに聞き上手なの?人生3周目?」


隼くんの部屋を訪ねてからずっと思っていたこと。

普通の中学生ではあり得ないくらい話をちゃんと聞いてくれるし、落ち着いて答えてくれる。


仕事柄、年頃の男子と話すこともよくあったけど、大体はふざけてるか自分の話ばかりするか逆に女の人を意識しすぎて何も話してくれないかのどれかだった。


「隼くんと話してると、大人と喋ってるみたい」


私の素直な感想は声に出ていた。



「残念ながら人生は一周もしてませんよ。僕は大人の人の前で大人ぶってるだけです。友達とかといるときは普通に子供ですよ?」


「子供な隼くんを見てみたいなあ……」



自分で言った後に、何を言ってるんだろうと思った。


「あ、いや……想像できないからさ。それこそこの件で人の2面性とかに興味持っちゃって?それで…」


しどろもどろになりながら、私は咄嗟に自分の言葉を弁解する。


私としたことが、後先考えずに思ったことを漏らしてしまうなんて恥ずかしい……




「もしよかったら明日、練習試合なんですけど見に来ますか?結構大きいコートでやりますし、10校くらい集まるので応援の人たちも沢山来るので…」


「え?」



私の言い訳を聞いていた隼くんの提案に、私は一瞬自分の耳を疑った。


「外部の人って……見に行ってもいいの?」


「大丈夫ですよ。明日は何か予定があるんですか?」


「いや……特にないよ」


「だったら是非見に来てください。」



隼くんは優しく私の目を見てそう誘う。


サラリと誘われた私は、何故か恥ずかしくなっていた。


だけど隼くんの言う通り、友達とはしゃいでる姿を見てみたいとも思った。



「隼くんがいいならいいけど……バレないように遠くからしか見れないけど」


「確か優香さんもテニス経験者なんですよね?他の試合を見に来てたって言えば大丈夫な気がしますが…」


「え!なんでそれ知ってるの?」


「実は…佐伯先生に聞きました」


「あーなるほどそうだったのね」



隼くんと春馬の間で、私の話が出ているという事実にも更に恥ずかしさが増した。


だけど同時に、少し嬉しいような気もした。



「全くテニスを知らなかったらいきなり誘ったりしませんよ。」


隼くんはそう言って笑った。


笑った顔が、本当に優しくてかわいい。



「そりゃあそうよね……」


「はい。チームメイトといる僕はほんとにただの子供ですから、それを見ても引かないで下さいね」


「引かないよ!むしろギャップ萌えでもしちゃうかもよ」


「そんないいものではないですよ…そうなったら嬉しいですけど」




さっきの地震が来るまでは、隼くんとは春馬の話やあの事件の話を中心にしていた。


だけどこうして打ち解けてプライベートに近づいた話をすると、春馬がどうして隼くんをあそこまで気に入っていたのかが、少し分かった気がした。



そしてそんな隼くんに試合を見に来てと誘われたことに、心なしか優越感を感じた。


誰にでも人懐こくてすぐにこうして打ち解けられる子なのは分かってる。


だけど、あの事件の前後から鉛のように固まっていた私の心には、彼の言動すべてが優しく響いた。


(思い上がっちゃいけない…春馬みたいになっちゃうわ)



私は久しぶりに感じる……


春馬と出会った頃以来数年ぶり感じる、微かな心の動きを必死に頭の理性で抑えつけた。



これ以上、ここにいてはいけない……



そう思う脳とまだ話していたいと感じる心のせめぎ合いが始まった。



ここにいたら、私も噂通りになってしまう。



もう二人きりでいるべきじゃない。


だけど、今以外にいつ会える?


もう二度と話せないかもしれないと思うと、それだけはどうしても嫌だと思ってしまう。



そんな私の勝手な葛藤を見て、隼くんは心配そうに目を向けてくる。



「どうかしましたか……?」



さっきまで笑って話してたのに、いきなり黙り込んで自分と葛藤し始める私を、隼くんはどう見ているんだろう。


今までなら気にならなかった自分の見え方が急に気になってきて、余計に平常心を取り繕うとしてしまう。


「なんでもないよ。誘ってくれてありがとね。隼くんたちの代が最強だって話を春馬から聞いてて、実はずっと見てみたかったの。

明日、お邪魔するわ」



私は言葉通り何でもないように答えた。


敢えて春馬の名前を出して、あくまで私が隼くんの誘いに乗るのは春馬絡みだからだという意味を遠回しに持たせた。



「佐伯先生が僕達に教えてくれたこと、沢山あるんです。……関わったことがない人たちは分からないかもしれないけど…佐伯先生のお陰で僕たちがここまで来られたのも事実なんです。優香さんだからこそ、それを分かってくれると思いました。だから誘ったところもあります」



自分の気持ちを誤魔化すために私が名前を出した春馬のことを、隼くんは私が思うよりずっと大事にしていたようだ。


隼くんの言いたいことは、痛いほどよくわかる。


世間では春馬を酷く罵る言葉が飛び交っていた。


変態教師、思い上がり野郎、浮気男、殺人犯…


そう言って蔑むのは簡単だし、そう言われることをしてしまったのは事実だ。



だけど、春馬がそういう行動を取る前に積み重ねてきたいろんなことも、全て無かったことのようになっていたのも事実だった。



隼くんはそこに違和感を持って、春馬が残したテニスプレイヤーとしての隼くんたちの姿を私に見せたかったのだろう。


世間にそんなことを言っても「でもあいつは犯罪者」で一蹴される。



だけど春馬と結婚直前まで行った私なら、隼くんの気持ちを汲んであげられる……



そういう期待を込めてくれていたんだ。




「うん。……私は、ちゃんと分かってるよ」


私の言葉に、隼くんは嬉しそうに微笑んだ。





普通に考えたらおかしな話なのかもしれない。


被害者の私たちが、春馬の残したものを必死になって守ろうとしているということは。


だけど世間が春馬を悪く言えば言うほど、皮肉にもそれを否定できる春馬の別の面を思い出してしまう。



そんな不思議な心情は、私だけではなかったんだ………



目の前の隼くんと同じような気持ちを共有できたことで、私は春馬への感情をうまく浄化できるかもしれないと思った。



一人で抱え込まず、二人でなら、あの件を本当の意味で乗り越えていけるんじゃないかと思うことができた。



「……優香さん!?」




慌てたように私の名前を呼ぶ隼くんの声で気がつく。


私はいつの間にか、涙を流していた。



「どうしたんですか…?!」



心配そうに顔をのぞき込んでくる隼くんの表情は、涙でぼやけて見えない。



ついさっき隼くんに感じ始めた気持ちと、春馬に関する不思議な感情が意外な形で結びついたような気がした。



きっと私は、それに安心してしまったんだ…




「ごめんねいきなり……気にしないで」


私は涙を拭って笑顔を作った。


やっと見えた隼くんの顔は、やっぱり心配そうで少し驚いているようだった。



「気になりますよ……優香さん、なんか辛いことがあったなら僕に話してください。佐伯先生のことでも、事件のことでもその他のことでも……あの時からずっと、一人で抱えてきたのなら泣きたくもなると思います。だけどそれは、僕も同じだから……僕たちにしか分からないことも、あると思うんです」



涙目の私を優しく宥めるように、だけど同時に密かにお願いするように隼くんはそう言った。


隼くんも、やっぱり共有したかったんだ。


春馬への複雑な心境や悩んできたことを。



私は隼くんと同じことを抱えていたという事実に、とても嬉しくなった。



「ありがとう隼くん。隼くんも私にしか話せないことがあると思うから、何でも話してね」


「はい、ありがとうございます!」



そう言って笑い合う私たちは、やっとあの日から足を進めることができるような気がした。


(やっぱりここまで来てよかったな…)


心の底からそう思わずにはいられなかった。


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