第16話 彼女の話③

春馬が暴れて警察沙汰になってから数ヶ月。



春馬はあの後、殺人未遂で現行犯逮捕された。



もちろんこのことは大きなニュースになり、被害者である私も春馬と同じくらい世間から注目された。



この事件が特に騒がれたのは、春馬が中学校の教諭だったこともある。


公務員がこういうことをすると、世間は放って置かない。


しかも動機が痴情のもつれであることもすぐに報道され、いろんな意味の好奇の目が私に向けられた。



ただ、隼くんのことについては……


春馬が勤める学校の生徒に一方的な想いを募らせた、としか表現されなかった。


相手が男子生徒であることや、部活の教え子だったことなども報道にはなかった。



それは、隼くんがまだ未成年で間接的な被害者であるというから、プライバシーを守るために厳重に徹底されていた。



しかしそれでも、やっぱり今の時代はネットがあるので、中学校内部の人間の暴露や根も葉もない噂などが独り歩きして隼くんと春馬を結びつけることは起こっていたみたいだった。



私も隼くんとはあの事件の日以来会ってないが、色んな情報が飛び交う中で新しく知ったこともある。



隼くんは元々あの中学校の中でもとびきりの人気者で…それもただの人気者ではなく、関わった人を尽く狂わせてしまう魅力の持ち主だという噂があったということ。


隼くんと2人きりになると、相手が変な気を起こして危ないとか…


長期間接すると男女問わず好きになるとか…


実際に隼くんに手を出して実質クビになった教諭もいたようだ。



春馬の事といい、あの学校はどうなってるんだろう……



そんな私の感想と世間の感想は同じだった。


世間では専ら、あの名門有名私立中学校の教員の質についての議論が盛り上がっている。



ただ、あくまで噂の範疇を超えないものもあった。


だから私は、話半分で報道やネットの情報を見ていた。


元々、根拠のない話や論理的じゃない話は嫌いだ。


こういう時こそ冷静に判断するべきだと思ってる。




だけどそんな私も、やっぱりあの後隼くんがどうなったのかがとても気になっていた。



世間では私と春馬の話が大きく取り沙汰される中で、実は最も渦中にいる存在なのだから。


信頼していたであろう部活の顧問の変わり果てた姿。


隠されていた自分への邪な感情。


そして、被害者の私と最後に目が合ったこと…




私はあの時の隼くんの目が忘れられない。



だけどもしかしたら、それは彼も同じなのかもしれないと思った。



事件の熱りが冷めるまで、私は彼に会いに行くことは出来なかった。


警察に話を聞いても、当然の様に何も教えては貰えない。



勿論あの学校の生徒は、春馬の元彼女ということで私を知っている。


だから私は、前みたいに気軽に隼くんの学校に行って話をすることなどできない。



その為に私は今、あるホテルに泊まっている。


春馬が担当していた部活では、毎年春休みと夏休み中に大型遠征を行うという彼の話を思い出し、夏の遠征先に来ていた。


春休みの遠征は行き先が毎年変わるそうだが、夏休みの遠征は必ず宿も決まっていると言っていた。


もしかしたら、その時期にその宿付近に行けば……隼くんと話ができるかもしれない。


そんな思いで私は数日間の有給を貰って、春馬たちが毎年泊まりに行くと言っていたホテルに滞在している。







私の予想通り、ホテル滞在2日目に春馬の学校のソフトテニス部の部員たちがゾロゾロとホテルに入っていったのを見た。


私はその中から隼くんらしき人を遠目から見つけた。


部員たちがそれぞれバラけて部屋に向かうのを見届けて、私は隼くんの跡をこっそり付けた。


深く帽子を被って眼鏡をかけ、マスクをして私だとバレないようにしながら隼くんとその他複数人の部員たちと同じエレベーターに乗った。


隼くんが降りたのと同じ階で降り、隼くんが入っていった部屋の番号を確認した。



他の部員たちが2人ずつ入るのに対し、隼くんは一人で入っていったのを見ると、どうやら彼は一人部屋らしかった。



それはこの上ないチャンスだと思い、私は早速他の部員たち全員がそれぞれの部屋に入ったのを確認し、隼くんの部屋のインターホンを鳴らした。






「はい」



ガチャ、と重いドアを開けて返事をしながら出てきた隼くんは、私を見て驚いた顔をした。



「………あれ?もしかして………」


「春馬の彼女よ。赤松優香。ごめんね隼くん。少しお話できる?」


私の眼鏡の奥の目をじっと見つめ、私だと気づいた隼くんに対して早口でそう言った。



こうしてる間に他の部員に見られたらまずい。


隼くんは悩んだように目を逸らしてから、恐る恐る私を部屋へと迎え入れてくれた。


「あっ、ごめんなさい、ここで大丈夫ですか?」


部屋の奥へ進もうとする私を隼くんがそう言って制した。


「え…?」


「あの……本当は色々あったので…あんまり長い時間、学校の人以外と接しちゃいけなくて……」


バツが悪そうに言う隼くんは、私の気を悪くしないように言葉を選んで長話を避けようとしていた。




「まあそうよね。正直、春馬や私のこと、トラウマになったでしょ?」



私はドアの近くで隼くんと向かい合って立ちながら話すことにした。


私の質問に隼くんは、大きな目を伏せて答えてくれた。



「あの時……逃げてって叫んでくれた優香さんと目が合って…その後すぐに扉が閉まっちゃって……優香さんは僕を逃がそうとしてくれたのに、僕はすぐに扉を開けることが出来なかった……。咄嗟に隣人に助けを求めたけど、その間に優香さんの身に何かあれば僕のせいだなって……あとから冷静になってそう考えてました」



隼くんはあの日のことを思い出すように時々目線を動かして、少しずつ言葉を紡いだ。



「あのときのこと、ずっと謝りたくて。僕のことを逃がそうとしてくれたのに、僕は何もできなくてごめんなさいって。……そもそも、僕が佐伯先生を頼りすぎたせいで起こったことなので……」


「ちょっと待って。それは違うよ。むしろ、その件について謝りたいのは私の方。隼くんが学校で色々大変な思いをしていたことを知らなかったとはいえ、車でお話した日にあんな言い方して、一方的に責めてごめんなさい。私はあの時、春馬の為とか言いながら自分があなたに嫉妬してただけだったの。それを八つ当たりしてただけ。本当にごめんね」


「いや!それは当然ですよ…僕も遠慮できてなかったのは本当ですし…」


「だけど結局、あなたに命を助けられちゃったよ。あの日、どうして春馬の家に来てたの?」




隼くんが思った以上に自分を責めていることが分かった。


そして私もあの当時、春馬を取られた気がして隼くんに嫉妬していたことがどんなに浅はかな事だったのかというのをずっと気にしていた。



隼くんはただ、信頼できる大人として春馬に頼っていただけなのに…。



だけど今までずっと気になっていたことがある。



どうしてあの日、玄関の先に隼くんが立っていたのか………




「……実はあの日、佐伯先生に自分の家がここだよって教えてもらってたんです。佐伯先生の車に乗せて連れてきてもらってその後すぐ学校に帰してもらいました。……だけど学校から家に帰ろうとしたときに、僕がスマホをなくしたことに気づいたんです。テニスコートとか学校とか部室とか色々探したんですけど、どこにもなくて…他の仲間はみんな帰ってるし、先生も帰ったあとに気づいちゃって…そこでふと、先生の車の中に落としたのかもしれないと思って先生の家に向かいました。そしたら先生の部屋の電気がついてたので、伺って車を見てもらおうと思ってインターホンを鳴らそうとしました。……まさにそのときの出来事だったんです。」



隼くんの説明に、私はまた衝撃を受けた。


春馬は自分の家を教えたりして、本気で隼くんとあそこに住むつもりだったんだということを知ったから……


というか、あの日あんなに隼くんに電話してたのに一向に出なくて泣いてキレてた春馬を思い出すと、今更ながらまた少しゾッとした。


隼くんのスマホは春馬の車の中でずっと春馬からの連絡を受信していただけなのだ。



「その…隼くんはさ、春馬が自分に対して普通以上の感情を抱いてることは気づいてなかったの?」



私は気づいたらこんな質問をしていた。


だって、隼くんはかなり人気者らしいから。


他人からの好意に気づいて警戒しないものかと気になってはいた。



「………僕に部屋を教えてくれたとき、ちょっと雰囲気がいつもと違うなとは思いました。………だけど、まさかそういう感情があったということまでは………佐伯先生は、僕が1年生の時からずっと兄みたいに優しく接してくれてたので……」



やっぱり気づかないものらしい。


まあ、絶対的に信頼している顧問が相手だと、お互いそんな風に見るなんてことは普通は考えもしないのかもしれない。



「そっか。それにしても隼くんも大変だね。……大人の人に裏切られ続けて、大人なんて…もう信じられないんじゃない?」



隼くんの情報が入る度に私は胸が痛かった。


信じては裏切られ、頼っては下心を抱かれ…


心から寄り添ってくれる大人なんて、隼くんの周りにはいないんじゃないかと思っていた。



「確かに、突然変わってしまうのはすごく辛いですよ。だけど…騒がれているほど、全員が僕を裏切るわけではないです。長い間一緒にいても変わらず優しくしてくれる人もいるし、たまに厳しく叱ってくれる人もいます。そういう人たちがいる限り、僕は人を信じるのを辞めたくないんです」



そう語る隼くんの表情は柔らかかった。


だけど目の奥には強い信念が光っていた。


真っ直ぐに私の目を見るその瞳は、まるで私の曇った視界を突き破るように曲がらない光を放射してきた。



次の瞬間、隼くんは目を細めて斜め下を見る。


そのたった一瞬の目線の動きは、見ている側の息が止まるような滑らかさだった。


それが何を意味しているかとか、そんなことは考えても無駄だということは分かる。


だけど、何故か隼くんの目から目が離せない。


彼の含みを持つこの目の表情は……


何度裏切られても信じ続ける強い気持ちは…


一体どこから来ているのだろう。



何故こんなにも、隼くんは相手の頭の中を自分の事で一杯にしてしまうのだろう。






そう思って沈黙していたとき、突然私と隼くんのスマホが大音量で一斉に鳴り響いた。

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