第10話 爽やか熱血教師の話②

「佐伯センセーって、結婚してるのー?」


「先生!うちが高校卒業するまで独身でいてね!」


「佐伯先生みたいなイケメンな先生、いると思わなかった!」




俺は常々、女子生徒を中心にこういう声をかけてもらえることが多い。


この学校の先生方の平均年齢は高く、その中で30になったばかりの俺はまだまだ若い方だ。


それもあるのだろうが、年頃の女子たちからそう言われる事自体は正直満更でもない。


しかし俺は、爽やかで熱血な体育教師として通っている。


言い寄ってくる女子生徒に邪な感情を抱いたことなど勿論無く、日々のクラス指導や部活の指導に熱を込めて忙しい毎日を送る日々だった。









春休み真っ只中の日曜日。


今日もうちの部は午前中に練習があった。


うちの部では、毎年春休みに大型遠征を行うことになっている。




明日一日オフを挟んで明後日から出発するのだが、遠征組には練習後に少し残ってもらって準備をさせた。



準備といってもボール、篭、テント、ベンチ、簡易ネットやその他諸々、最低限の必要なものを学校のバスに乗せてしまうだけだ。


そう時間もかからずに終わり、遠征組も皆まちまちに帰ったと思っていた。




(部室の忘れ物は、大丈夫そうだな……)



最後に俺が部室を確認し、特に何もなさそうなので鍵をかけ、外に出ようとした。



するとその時




「あれ?先生!」



目の前に、とっくに帰ったと思っていた隼が立っていた。



「隼?お前帰ってなかったのか?」


「はい……あの、実は物を失くしてしまって……。部室に心当たりがあったので、途中で引き返して探しに来たんです。正直、もう先生も帰っちゃったと思ってたのでよかったです…」


申し訳なさそうにそう言う隼は、俺がまだ部室の鍵を締めていないことに安心している様子だった。


「それはつまり、お前の捜し物が見つかるまで俺にここにいろってことだな?」


「はい……すみません……大丈夫ですか…?」


「全然いーけどよ。その代わり30秒だけだ。ほら、いーち、にーい、さーん……」


「え?!えっ!ちょっ!まってくださいっ」



俺がふざけて数え始めると隼は焦ったように部室へ駆け込み中を探した。



「冗談だよ。ゆっくり探せ」


俺は後ろから隼を追い、部室へ入る。


「ありがとうございます!」


「大事なものなんだろ?わざわざ引き返して探しに来るってことは」


「そうですね……とても大事なものです」



俺に背を向けて一生懸命目当てのものを探っていた手は、俺の質問にそう答えたときに一瞬だけ止まっていた。


俺はその時の隼の声と雰囲気が、妙に寂しそうに感じた。



こいつは普段人には見せないだけで、かなりの傷と闇を背負っているのだろう…


時々、そう思わせる節があった。


今の隼の姿は、正にそんな感じだ。



俺は特に何も言えず、隼が物を探しているのをただ座って見ていた。







「……先生……あの……」



数分くらい沈黙のまま探し物をしていた隼が、急に手を止めて俺の方へ振り向いた。



「どうした?見つかりそうか?」


「いえ……まだなんですけど……その、俺とここにいても大丈夫なんですか…?」


「ん?どういうこと?」



言い淀む隼の表情は、少し不安なような寂しいようなものだった。


俺は隼の言葉の意図が分からず、呑気な返事をした。


俺の勤務時間のこととかを気にしてくれてるのだろうか……


妙に大人びた気遣いをするこいつなら、あり得るかもな……



「俺のことなら気にすんなよ隼。どうせ土日に出勤した場合、残業代は一定の時間を超えたら増えたりしないからww」


俺は隼を安心させるために、努めて明るくそう言った。


本当は生徒に残業代の話とかはしない方が良いのだろうが…



「そうなんですね……それは大変ですね…」


「あれ?こういう話じゃないのか?…なんだ、俺口滑らせて生徒に言っちゃいけんこと話しただけじゃんw」


「……今の話は聞かなかったことにするので安心してください」


「助かるわー。てか、そういうことじゃないなら何だよ?」


「え?あ、あの…」



隼はそう言ったきり口を開かない。


俺に対して、察してほしいような目を向けてくる。








「……先生たちって、俺と二人きりになったらダメなんですよね…?」





意を決したように言う隼の言葉を、俺は一瞬理解することができなかった。




「ん?……あれ?お前それ誰かに言われた?」


「いや……まあ、聞いた感じです」


「え?まじで?……いやいやいや…」



俺は、まさか隼の口からその話が出てくるとは思ってもいなかったので、頭が状況に追いついていない。



あの会議の決定事項は、職員室からは一歩も出てはいけないはずだ。


だからもちろん、生徒は当事者含め誰一人として知らないはずの情報なのだ。



それなのに隼は今、自分と先生が二人きりになってはいけないルールを自分の口から言っていた。



それはつまり………



「隼、それ先生から聞いたってことだよな?」



俺は驚きを隠せないまま、完全に手を止め俺の方を向く隼に確かめた。



「………はい…………」



そう頷く隼の声は、聞いたこともないくらい消え入りそうな弱さだった。



俺は焦りなのか驚きなのかよく分からない感情で心臓がバクバクしていた。



なぜ、本人にそれが伝わっているんだ…



俺がどこかで漏らしたか?



……いや、そんな話はいまいままで忘れてしまっていたくらいだから言うはずはない。



あのプリントだって、確認したらすぐにシュレッダーにかけることになっていたはずだ。



だとしたらなんで……




「………先生たちは、俺と二人になると……身を滅ぼすって言われてるんですよね…?俺、佐伯先生にはそうなってほしくないです…」




驚きのあまり何も言えない俺を真っ直ぐ見つめて隼が訴えてくる。



だけどその瞳が、あまりにも悲しそうな色をしていた。




「隼…俺は、そんなことにはならない。だって今まで部活動で何度も二人になったじゃないか…」


「そうですよね……なら、いいんですけど……」




そうだ。


俺はこれまで、何度も似たような状況になっていたのだ。


それなのに何も起こってない。



だから、大丈夫………



それよりも……




「……隼。お前、それ聞いたときショックだったよな?」


隼はこの話をしている間ずっと、悔しいような泣きたいような悲しいような、絶妙な顔をしていた。



それもそうだ。



自分が悪いわけではないのに、まるで自分のせいで大人たちが壊れていくと言われているようなものなのだから。



隼は何もしていないのに、勝手に壊れ消えていく大人たちの責任を、隼に押し付けているも同然なんだから……




「………はい………俺って、そんなに迷惑な存在なのかなって思って………先生たちに迷惑はかけたくないから、俺の方からも二人にならないようにはしてたんですけど……」


「迷惑なわけあるか!お前は何も悪くないよ隼。気を遣わせたりしてごめんな。悪いのは俺たち大人だよ!」



誰が隼にそんなこと言ったのだろうか。


俺だってたしかに軽率に発言してそれを後から反省することはある。


だけど、こういう生徒を傷つけるような発言は絶対に許せない。



「隼。お前は何にも気にするな。お前と二人になったからって身を滅ぼすような大人はその程度なんだよ。お前のせいじゃない。大人としての制御ができてないだけなんだ。な?だから隼は、決して自分を責めるな。」


「ありがとうございます……」



今にも泣きそうな声で目を伏せる隼を見ると、あの決定をした会議も文書もそれを受け入れる大人たちも、何もかもに腹が立ってきた。



大人の都合で子供を傷つけるなんて……






俺は泣きそうな隼を抱きしめ、安心させようとした。




「大丈夫だからな隼。おまえは悪くない。絶対に悪くないんだよ」




一瞬は驚いて身を固めた隼だったが、俺が強く抱きしめそう声をかけると、小さく嗚咽する声が聞こえた。



「ごめん隼。傷ついたよな。ごめんな」



俺は何度もそういう言葉を言いながら、泣きじゃくる隼の背中を撫でる。


普段は人前で涙を流さず笑顔を絶やさない隼が、俺の腕の中では子供のように泣いている。



こいつが抱えてきた色んな苦しみや悲しみを、今ここで少しでも流してほしいと思った。



俺ならこいつのすべてを、喜んで受け止めたいと思えたし、受け止められると思った。








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