第6話 スイングバイ
「高度に発達した科学技術は、魔術と見分けがつかない」
―――アーサー・C・クラーク
―――そのとき、ジギーことジークリンデは、艦橋にいた。
髪は結ばぬままだ。
パルティア3の宇宙港から出港し、六時間。現在位置は四三一
艦載
間もなく、ちょっと面倒な操艦をやらなければならない。
FB艦隊との合流である。
ジギーにとって、
難しい操艦、困難な任務、難解な演算であるほどそうだった。
彼女は、自らの主である雅人のことを慕っていた。
例え、己が遺伝子レベルに至るまで彼の全てを肯定するよう作り上げられた、「神ならざるものに産み出された者」であったのだとしても。
彼への感情の多くは、供に過ごしてきた時間に依って深層学習した結果であり、自ら育んだもの、選択でもあると信じたがっていたのだ。
初めて会ったときの彼は、宇宙にも女にも無垢であった。そこを一つ一つ教え込んでいけたという自負がある。
七年前の雅人は、まだまるで子供そのものの顔をしていて、背もいまよりずっと低かった。現在と変わらないところがあるとすれば、当時から随分と物怖じしない性格をしていたことだろうか。
―――いい男になってくれたものだ。
もし己が、これは大それた願いだと自覚してもいたが、彼の母の如き存在になれたなら、きっとこのような面映ゆい心持ちなのだろう。
いまでも、己を無二の存在として扱ってくれる。
そこには心底からの渇望があり、情熱に満ち、飽くことのない探求を感じた。
已むに已まれぬ事情から、世の何事にも一歩引いているような部分を抱えている彼にとって、おそらく己は唯一の例外に近い。
ちかごろでは、逞しさも感じる。
背も伸び、引き締まっていく体。稚気を残しつつ、凛々しくなってきた顔立ち。すっかり勘所を把握されてしまった愛撫や技巧、女の部分を制するほどになった雄渾については、己への君臨すら覚えた。
彼へ優位に立てる部分を残したいような、このまま乗り越え、成長してほしいような。そんな贅沢な歓びがあった。
今少し、我儘に振舞ってほしくはある。
―――繰り返すようだが、PAIには「主」が必要だ。
PAIは、主に尽くし、主を幸福にするための存在である。そしてこれに矛盾しない範囲で自己保存を図ること。<連邦>大憲章第一四条修正第二項は、そのうえでPAIに人類と同じ、法の許す範囲での市民権を与えている。
これは法規定に留まらない。
PAIは、生命活動を維持するために、主のDNA伝達を含むアミノ酸を定期的に摂取する必要がある。
より具体的にいえば、遺伝子情報を塩基配列からタンパク質のアミノ酸配列に変換した
F型PAIの場合、てっとり早く摂取するには、主に抱かれればよい。胎内の奥深い部分がそのように出来上がっていた。フランス式愛情表現のような手段を用いた、経口摂取でも構わない。
ところが雅人の場合、長期航海中はともかく、戦闘任務中などは指一本触れてくれない。生真面目なのだろう。
ただし、各主の嗜好、二一世紀への往来時、それに緊急時やPAIの人権も考慮して、代替手段はあった。
各港の医療ラボでは、主のアミノ酸を「記録」更新時等に抽出、サプリメント化したものを作成できるから、これを含めばよかった。
仮に長期間に渡って摂取を断った場合―――
PAIは、抗加齢化処理済遺伝子が崩壊し、死に至るように出来ている。
ジギーは、呪わしくも思えるほど愛おしい、このような仕組みが己たちPAIに仕込まれている理由を知っていた。
人類間の宇宙戦争が始まったころに投入された極初期型のPAI―――まだPの文字がなく、単なるAIだった生体アンドロイドたちが、<連邦>及び<同盟>双方に叛旗を翻したからだ。
いまの、両陣営どちらにも属していない「無法地帯」の原型である。
それからだ。己たちに「主」が必要不可欠な存在となったのは。
一種の首輪、鎖のようなものだ。
「・・・・・・」
コーヒーを啜る。
酸味と苦味にバランスが取れていた。雅人から教わった、彼好みのミディアムローストだ。
雅人にも維持プログラムにも不満があるわけではない。出港前にたっぷりと愛して貰った。この任務中のアミノ酸は保つだろう。
彼の全てを、好ましく思っている。
ただ、いま少し我儘に振舞って欲しくあるだけだ。
もっと己を道具のように扱ってもらっても構わない。
―――私たちは、きっと更なる高みを目指せる。
世における、他のPAIにはおそらく真似できないであろう、己と雅人だけの「秘密」もある。
弱ったことに、雅人が航行中の己に触れぬよう自制してくれているのは、その秘密にも起因する。
だから決して、この不機嫌な感情は彼のせいではない。
―――おそらく私は、所謂「重い女」なのだ。
感情処理上の矛盾を抱え、自己嫌悪のような気分に陥ってしまうだけであった。
PAIにとっての主とは、我ながらなんと面倒で、恨めしいほどに、煌々とした存在であることか。
我が<畝傍>が艦隊集合予定位置に入る前に、私は手早く昼食を用意してしまうことにした。
既に艦長室で、何度もパルティア5―3周辺情報を眺めたあとだ。
艦載生体核酸塩基電算機―――ハードウェア的には一基ではなく、戦闘用、航行用、艦内居住区用と分かれる三基の電算機のうち、居住区用に卓上のコンソールでアクセスし、タッチパネル式の操作で
艦の司厨室は、完全に自動だ。
幾種類かのオーブンを組み合わせた閉鎖レンジ、調理器、食材庫との連繋、配膳といった一連の流れの全てが自律式である。深層学習までやるから、使い込めば使い込むほど技巧は向上し、より好みに合った料理を拵えてくれる。
一品当たりの最短調理時間は約三分。
更にジギーを通じて、好みについては補整することも可能だ。私はおもにそちらの方法を使っている。
供に食事を摂り、
「これは美味しい。見事だ」
そのように彼女へと伝えるだけで済む。
稀にだが、私自身で何か料理したくなることもあり、手動での調理にも対応している。
嬉しくなるほど頼りになるので、私は司厨室システム全体のことを「ライバック」と呼んでいた。
そんな名前のコックが大活躍する、海洋アクション映画があるのだ。
昼食に手配したのは、間もなくちょっと忙しいことになるので、簡単なものだ。
私が「爆弾おにぎり」と呼んでいる、広げた掌ほどもある大きなおにぎり。具は、鮭、種を除いた梅干し、昆布の佃煮。もちろん、白米と海苔についても良いものを選んである。これが二つ。
関東風に、甘く濃い目の出汁巻き卵。
品数が少ないぶん、味噌汁は濃い目にすることにして、油揚げの赤出汁。
「ライバック」が覚え込んだベースの出汁は見事なもので、八丁味噌、桜味噌、カツオ節、日本酒を合わせてよく練り、熱いうちに二重に濾してある。これを実際に汁へと仕立てるときには、信州味噌、白味噌、濃口醤油で味を調えるわけだ。
あとは、出港前、私自身が漬けておいた山芋の浅漬け。三日月切りにさせてある。
ちかごろでは、私よりもジギーの方が和食を好んでいた。
いつだったか、茶請けに枝豆を用意し、番茶を飲んでいて驚いたことがある。
「私室で御食べになりますか?」
司厨室システムが、インターフェースを通じて音声入力で尋ねてきた。
「艦橋に頼む」
「承りました」
「<デヴァスタシオン>より質量基準位置を受信」
食後の茶を啜ったところで、艦隊集合が始まった。
FB艦隊の、陣形形成運動と言ってもいい。
艦橋内の球形壁面ディスプレイには、ガス型惑星であるパルティア4の、黄土色がかった複雑な表面が見えた。赤っぽい部分もある。まるでマーブル模様であり、複雑な変化を見せて流れていた。太陽光反射帯の異なるアンモニア水硫化物の「雲」だ。
質量の大半をしめるガス状部分は、惑星全体を覆った雲の下にあり、垣間見ることもできない。
パルティア4は、質量がほんの少しばかり大きかったばかりに「木星になり損ねた星」だという。質量が大きいということは重力が増すということで、そのぶん、構成物質の多さと反比例して体積が小さくなった星―――らしい。
その辺りは、ひとに依っては頭の痛くなるような話なので割愛だ。
艦隊陣形の形成運動が始まったとき、最先頭を進む戦艦<デヴァスタシオン>と、最後尾にいた駆逐艦<チャンドラセカール>とは、直線距離にして二〇万キロほど離れていた。
随分と遠いように思えるが、宇宙空間における艦隊運動としてはとくに驚くほどのものではない。
<デヴァスタシオン>から、非可視光領域の通信用レーザーが飛び交い、各艦がこれを受信。
あの艦長集合の場で打ち合わせた通りに、<デヴァスタシオン>を基準位置にして陣形の形成を始めた。運動力を殺すと無駄でしかないから、推進したままである。
<畝傍>の予定位置は、<デヴァスタシオン>の右舷方向だ。
距離はそれほど離れていなかったので、待機状態にあった機関のうち、補助機関だけを使うことにジギーは決めた。
刹那ほどの間だった。
量子電算機に、光電算機。二七世紀において活用されている電算機は他にも種類があるにも関わらず、またそれらの中には面倒な冷却処理を必要としないものまであるにも関わらず、世の宇宙艦艇の艦載電算機に生体核酸塩基式が選ばれているのは、PAIとのネットワーク連繋を理由としたものだったから、当然の処理速度とも言える。
確か生体塩基テレポートなどと称する仕組みを元に、PAIと艦載電算機は「一体」になれるのだ。
ジギーの「命令」により、全自動天測装置その他の使用による自艦位置の再確認、目標の三次元座標、太陽風の影響、最適な推進剤使用時間といったものを、艦載電算機は瞬く間に算出した。
「補助機推進剤投入まで・・・5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・いま」
紡錘形をした<畝傍>の船体両舷、その後方下部寄りにある
補機内で生み出された膨大な電流が、投入推進剤をプラズマ化。後方の補助エンジンノズルから噴射する。
つまり、宇宙艦艇における「補機」とは、二一世紀の海上艦艇における同名の存在とは必ずしもその役割を一致しない。艦内給電やスラスターの駆動などにも用いるが、艦の直接推進力発揮にも使うわけだ。
噴射時間は約六分。
<畝傍>の場合、補機とはいえ駆逐艦級の主機並みの能力があるから、流石にちょっとした振動を感じた。
似たような運動は、位置取りや推進剤の投入時間、主機も使用するかどうかといった諸条件が異なるだけで、他の艦もやっている。
<デヴァスタシオン>を基準点にして、その左舷側に戦艦<キアサージ>。
この二隻の、上下左右斜め後方に巡洋艦<スタロスヴィツカ><オベロン><サーベラス>、そして私の<畝傍>。
駆逐艦<ロックハンプトン><パトナム><マラシュティ><スパルヴィエロ><咸陽><チャンドラセカール>は、これらの後方へと六芒星を描くように広がる。
各艦の正面射線は被さらないようになっており、またこれは他艦の推進剤投入による影響を受けないことも意味する。
宇宙空間に巨大な仮想の錐を組み上げたような、艦隊陣形が完成した。
最大直径は約七万キロメートル。
通称、「
二七世紀の宇宙戦闘における、標準的な陣形だ。
こんな方法が取られるようになったのには、もちろん理由がある。
まず、艦載兵器の主力である荷電粒子砲が、艦の船首尾軸に沿うよう船体へと埋め込んで設置されていて、つまり基本的には前方投射兵器であること。
次に、この荷電粒子砲を主たる対象として生成する艦の
つまり二七世紀における「駆逐艦」とは、こと艦隊戦闘に限っていえば、必ずしも主力艦を守るための存在ではないということだ。
では彼らが何をやるのかといえば、偵察、電子戦、そして光子魚雷発射のためのプラットホーム役である。
艦隊戦における光子魚雷戦は、殆どの場合、飽和攻撃のかたちを取ることが多くなっていて、一発でも多く同時発射したい。あるいは次弾攻撃の数を増したい。そのための「魚雷運搬役」だった。
こんな複雑かつ高度に連繋された運動や戦闘を可能にするためには、ネットワーク通信システムが必須のものとなるが―――
「TURMS、リンク開始」
ジギーが報告した。
同様の内容は、艦橋ディスプレイと、私の手元にあるホロビューにも表示された。
―――
二七世紀宇宙における、艦隊内の通信及び戦術連繋システムだ。
タクティカル・ユニット・レシプロカル・・・・えーと、何だっけ。
まあいい、どうせ例によって例の如し、単なる語呂合わせだ。
おそらく、開発者はTURMSという言葉を最初から選ぶつもりだったのだ。確か、何処かの古代神話における「伝令の神」の名のはずだ。
神の名を冠するほどであるから、その能力は高い。
複数域帯に及ぶ通信レーザー、電磁波、果ては指向性可視光信号器まで、通信手段を問わずに艦隊内通信をネットワークでリンクする。
リンクしたうえで、各艦のレーダー、センサーカメラ、質量計測器、全自動天候観測器といった電測関係と、艦載電算機の航行システム、戦闘システムなどをサブシステムとし、その全てを統合管制できる。
艦だけでなく、艦載機も同様。
つまり、どういった真似がやれるかというと―――
個艦の探知能力外である遥か遠くまで飛ばした艦載機が発見した目標に対し、旗艦のコマンド一つで、任意の艦によるリモート交戦すら可能にしてしまう。
戦闘空間全ての「情報」を共有し、柔軟に「火力」を使用、行動も「連繋」できるというわけだ。
艦隊全体を
この広大な宇宙空間では、各艦が積んでいる艦載生体核酸塩基電算機と、これと完全に連動しているPAIがいるからこそやれる真似でもあった。
誰だったか思い出せないが、TURMSについて以前面白いことを言った奴がいて、
「PAI同士を繋いじまって、ヒモのような暮らしを送るシステムってことだろう?」
まあ、世の何事に対しても極めて大雑把に評する行為が許されるならば、同意はできる。
ややぼやきのようにも聞こえるのは、元よりプレイヤーたちにとって宇宙航行や戦闘はPAI頼みな部分が多いところへ持ってきて、TURMSを通じて他艦に行動選択の下駄を預ける格好になるため、「殆ど何もやることがなくなってしまう」からだ。
「TURMSのTは、“
今回の任務の場合、私の<畝傍>は、全体統制としては<デヴァスタシオン>の指揮を受け、その隷下に三つ構成される
―――うん。まあ、気楽でいいじゃないか。
得意なことは、得意な奴に任せるのが一番だ。
さて、さてさて。
気楽な身分としては、ここからが見ものだ。
戦艦、巡洋艦、駆逐艦。
一二隻に及ぶ艦隊が、パルティア4の運動と万有引力を利用して
公転方向の後ろを通過する、加速スイングバイ。更にこいつに推進剤投入まで併用して、ハイスピードを発揮する。
我々は、ほぼ直角に思えるほどの軌道を描いて、パルティア5へ向かう。
言葉で述べれば簡単だが、これを艦隊規模でやる実態は相当面倒くさい。
だからこそ、見ものなのだ。
競走馬が一斉にスタートを切るようなものである。
ジギーにとって、腕の見せ所でもある。
「主機運転・・・推進剤投入用意・・・5・・・4・・・3・・・」
星間物質吸収型ではない、あらかじめ艦のペイロードエリアから核融合燃料を与えられて待機状態にあった、ミヤナガ・バリクソン社製D-V型主機の稼働状況をディスプレイで確認した。
見事なものだ。タイミングの何もかもが、二一世紀から定められた事柄であるかのようにぴったりだ。
私はちらりとジギーの横顔を眺めた。
随分と機嫌が良さそうだ。
うん、彼女の好む昼食を用意して良かった。
私も日本人だ、やはり米の飯はたまらなく美味かったことであるし。
「―――
ジギーが高揚するように告げた。
(続)
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