第7話 “渡り鳥”たち
―――
既に各艦、高視認性表示から低視認性表示への切り替えも完了しており、その船体色はほぼ漆黒に近い。
この際、駆逐艦<咸陽>の表示切り替えが遅れ―――というよりまったく失念し、僚艦<パトナム>に指摘され慌てて変更した、というのが唯一の予定外な出来事だった。
あとはパルティア5-3へ向かって、一直線の針路をとる。
<同盟>側が、5-3周辺に据え付けている偵察衛星が太陽の陰に入っているうちに出港、迂回機動、艦隊形成、スイングバイを実施したから、今のところ偵知されていないだろうが、急ぐに越したことはない。
戦艦<キアサージ>のラリー・オブラインエンは、艦橋ディスプレイに表示された、
通称、「マット」。
これは、艦隊の戦闘能力に直結する重要な数値、一種の基準値だ。
宇宙艦艇に戦艦や巡洋艦といった等級があり、かつそれぞれに〇〇〇級や〇〇型といった個別タイプがあって、しかも各艦にはプレイヤーたちによるモジュール構成が施されているとなると、当然ながらそれぞれの機動力、速力、航続力などは異なる。
これら数値を、艦隊旗艦を基準点とし、加速及び減速可能な推進剤残量、位置取りのやれる三次元座標といった各艦の現状値を、TURMSを通じて艦載電算機にぶち込み、一目で把握できるようにした、「目安」である。
つまり、各艦の最大発揮可能な速力云々といった単純なものではない。
数値は、〇〇分〇〇秒といった表示で出力される。
旗艦―――FB艦隊の場合、戦艦<デヴァスタシオン>の表示値は「ゼロ」だ。
各艦は、プラス〇〇分、マイナス〇〇分といった具合になる。
これは概ね、単位としてだけでなく実際に時間としての意味も成す。
基本的には、プラス値が多い艦ほど、「余裕のある運動」をやれる余地を残している。
マイナス値であれば、その逆。
ただし、余りにも旗艦とブレた値を示している場合は、必ずしもこの通りではない。大きくプラスになっている艦は、旗艦の運動と合わせるために何処か無理をしていることも意味した。
つまり、大きな艦や新しい艦であるほど良い値が出るとも限らない。
ここまで取って来た機動や加速及び減速―――FB艦隊の場合、出港からスイングバイまでの値も反映されるからだ。
つまりMATとは、実際に艦隊を組み、陣形を形成して初めて求められる値でもある。PAIや艦載電算機の助けがなければ、とても瞬時には算出できるものではなかった。
光速一パーセント発揮前後で機動航行し、今回程度の作戦範囲の場合、凡そ理想とされている値は、プラス一〇分ほどまでである。
「・・・・・・」
ラリーは呻いた。
駆逐艦の一隻に、マイナス三〇分近い艦がいる。相当無理をしていることを示していた。
どうも、その艦は出港が大幅に遅れたようだ。
おまけに運の悪いことに、位置取りとしては艦隊の左舷外側に近かった。スイングバイの実施時、パルティア4の「波」に乗り切れなかったか、推進剤投入のタイミングがほんの僅かばかりズレたらしい。
各艦のうち、最も良い数値を示していたのは―――
<畝傍>であった。
プラス八分という、ちょっと目を瞠るほどの精度だ。
「ハルさん―――」
ラリーは、己のPAIの名を呼んだ。
もし朝比奈雅人がこれを耳にすれば、驚いただろう。多少、ぎこちないところはあったが、通訳装置を通さずとも、それは明確に日本語であったのだ。
ハル―――ラリー・オブライエンのPAIもまた、日本人のように見える。
艶やかな長い黒髪。かたちよい翠眉。澄んだ明眸。
古い和製英語でいうところのトランジスター・グラマーで、どちらかといえばくっきりとした美形の、成熟した女性型なのだが、欧米人の目線からはまるで若く見えた。
周囲の、ラリーと昔から付き合いのある者たちは、彼女の名を、古典的名作であるサイエンスフィクションに登場したコンピュータに因むのだと誤解していることが多かったが、本当は違う。
日本語で、「春」という。
「はい、ラリー?」
そのハルは軽やかな美しい声で答えた。
「こいつをどう思う?」
「・・・私が思いますに―――」
ハルは少しばかり眉を寄せた。
彼女自身、困惑しているような雰囲気だ。
「アヴェローフ級でやれる動きではありませんね」
「機動関係で、何か特別なものを積んでいる様子は?」
「ありません。噴射の計測を見る限り、一般的なバリクソン社製D-V型核融合炉です。補機もリンデマンの星間物質吸収型。むしろあの型は、燃費効率もヘリウム3の噴射精度も素晴らしい一方、部品交換頻度も高いように伺っています。両者のノズルも・・・格別特殊なものでは・・・」
「出港時の順序は、むしろ後発寄りだったな?」
「ええ」
「うむ・・・」
ラリーは、もう一度ディスプレイを眺めた。
既に何度も行動を共にしたことのある<スタロスヴィツカ>や<オベロン>といった馴染みたちの方が、MATの値は<畝傍>に劣っている。
パルティア4の波を上手く拾えたのだろうか。
それとも、ルイの言う通り、「大した奴」なのだろうか。
まあいい。ともかくデータを、そのルイに送ろう。
そもそも本来からして<デヴァスタシオン>が計測するものなのだが、二艦でやって精度を上げてやろうと思ったのだ。
巡洋艦<オベロン>のジェームズ・スタンリーは、陰気さや憂鬱といった感情とは無縁の、快活な男である。
紺の制服の上にダッフルコートを引っ掛け、マフラーを巻き、冷気に満ちた艦橋の艦長席に座った彼にとって、「
あちこちにコネクションを作り、丁々発止のやり取りをし、良質で様々な品を揃えて仲間内に卸す―――
「良質」な。「様々」な。
ここが重要な点だ。
ただ安く仕入れるだけなら、誰でもやれる。
良いものを安く仕入れること。
そして、おおよそ宇宙空間で必要な物はなんでも揃うようにしておくこと。
ニーズに応え、要望のある品を途切れぬようにし、事が迅速に進むよう取り計らう。
全てが上手くいったときには、このうえない満足を覚えた。
おかげで、戦闘に関していえば「中の上」といったところであるにも関わらず、仲間内からは良くして貰っている。
ありがたいことに、
「キャンティーン・キッド」
という、渾名まで頂戴していた。
キッドは「KIDD」と書く。
「CANTEEN」は一般的に食堂や水筒という意味だが、英国では伝統的な艦内売店―――所謂「酒保」を表す言葉でもあった。
兵器から、雑貨、酒類まで、
「たいていの物は、スタンリーの奴に頼めば何でも揃う」
という意味だ。
おまけに、かの「キャプテン・キッド」と韻を踏んでもいる。
元々は英国系の連中が集まって出来上がったG&B商会内の渾名としては、極上のものと言えた。
―――ありがたいことだ。
今回の作戦では、ちょっと大きな商いをした。
シュワルツコフ社製の光子魚雷が、かなりの数。
副砲用や、三七ミリ近接防禦火器用のレールガン砲弾が幾らか。
艦載機に使う偵察ポッドを注文してきた者までいた。
―――偵察か。
「情報、情報、情報」
スタンリーは歌うように言った。
調達と同じほど大事なものだ。素早く用意するに越したことはない。
「パック。“確かなものを捨てて、不確かなものを追い求めるのは愚か者のやることだ”と言ったのは誰だったかな?」
己のPAIに尋ねてみる。
まるでファンタジー世界の住民のように耳の尖ったF型で、可憐な顔立ちに不釣り合いなほど悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「詠み人知れず。パブで飲んだくれていた中年某氏説が有力です」
「・・・本当かよ」
いやまあ、確かに酔漢でも宣いそうな言葉じゃあるが。
明日には、艦隊は敵哨戒圏内に入る。
そうなると各艦一斉に5-3へ艦載機を発艦させて、事前偵察を実施する。
敵主力の誘引が確認出来れば、艦隊はTURMSの管制下「一体のもの」となって、推進剤調整による加減速を実施。
パルティア5-3の軌道が5の影になったとき―――つまり5-3が「夜」になったころを見計らって突入。
攻撃実施は一航過。
幾らかは残っているものと想定されている警戒部隊と交戦のうえ、約二〇隻弱いるはずの在泊艦船を吹き飛ばし、一目散に避退する。
つまり襲撃計画自体は、極めて単純なものだ。
気分が良くなってきた。
コーヒーにするか、ココアにするか。それとも、もっと強い、琥珀色をした液体にしようか。
決めた、ココアだ。
濃く、とろりとするほどの、甘いやつ。
熱々の湯気を立てた、艦橋では何よりの飲み物。
プレイヤー向けの製品は、カルシウム、ビタミンその他を補填する効果のある成分まで含まれている。
我が愛しのパックが司厨システムに悪戯していなければ、過日のように砂糖ではなく塩を入れたものは飲まずに済むだろう。
「パック、ココアを・・・ 何だ、その顔は。お前、またやったな!」
スタンリーは、げらげらと笑い転げた。
―――朝だ。
といっても、宇宙艦船乗りにとって生活の「目安」になっている標準時でのものだ。
巡洋艦<スタロスヴィツカ>のタティアナ・シェフチェンコは、どこの艦でも艦橋近くにある居住区の艦長私室で、標準時午前四時に目覚めた。
PAIは、自動航行中なら艦橋を離れる程度のことは出来る。
相棒であるF型のレーシャは、タティアナの腕の中で満ち足りた寝顔をしていたので、少しばかり起こすのに忍びなかった。
蜂蜜色をした短い髪に手早く櫛を入れ、身支度を整え、鏡に写る己が青い瞳と肌の様子を眺めたときには、昨夜の濃密な時間の名残を自覚した。すっかり抜き差しならぬ関係になってしまった相棒とともに朝食を摂る。
黒パン。バター。薄切りのチーズ。トマトとタンポポのサラダ。目玉焼きを乗せたスイス風のハッシュドポテト。茹でたサヤインゲンをたっぷりと。大振りのソーセージが一本。イチジク入りのヨーグルト。紅茶。
相棒とともに過ごした朝にやってくる、やたらと腹の減った状態をタティアナは嫌いではない。
「空腹に従うことは必要悪です」
嫉妬を覚えるほど艶のある栗髪と、琥珀のような瞳をしたレーシャは、いつもそんな風に悪魔の囁きをする。
「忌々しい胃の腑ほど厚顔無恥なものはないからね」
タティアナは決まってそのように応えた。
半分以上を摂り終え、紅茶の御代わりをしたところで、テーブルの片隅にホロビューで情報メッセージが表示された。
FBが敵主力の誘引に成功したらしい。
あちらの旗艦である<レパルス>が最大出力で発信したものを、昨夜のうちに<サーベラス>から発艦していた艦載機が受信、極指向性のある不可視光帯レーザー通信波で中継した情報だ。
流石は戦闘を専門にしているストロンバーグ商会の艦隊というべきか、彼らが掴んだ5-3の敵状も送ってきてくれていた。
巡洋艦が何隻か。駆逐艦も。守備隊だ。
それに二〇隻以上の商船。
タティアナは口元に笑みを浮かべ、食事のスピードを速めた。
FB艦隊指揮官たるルイ・デュヴァルは―――洒落男のように見えて能力のあるあの男は、間もなく直接偵察機の発艦を命じるに違いない。
事前打ち合わせによる割り振りで、五機出すことになっていた。
こんなときTURMSは実に抜かりがなく、自動的にアルファベットの符丁を設定し、これに応じた任意のコードをランダムに名づけ、各機に通し番号をあてがう。
「それで。伝令の神様はなんと?」
「Sを使えと。符丁ストロベリーです」
面白くもなんともない符丁だと、タティアナは思う。きっと、「
<スタロスヴィツカ>からも一機出すことになっていたので、レーシャに確認した。
「昨夜のうちに準備は整えておきました。例の新しいポッドを積ませてあります」
「そう。ありがとう」
タティアナは、砲火力と装甲を重視したエミール・ベルタン級巡洋艦に属する自艦の、格納庫区画をディスプレイ経由で眺めた。
宇宙艦艇の収納方式としては一般的な、ガン・シリンダー型の格納庫に、自艦の艦影をうんと小さくしたような見かけの艦載機が収まっている。
グレート・スターズ社製SF7パフィンだ。
全長二三メートル。
習慣的に「
機体から申し訳程度のサイズで突き出た翼状のものは、実際に姿勢制御翼の役目を果たしつつも、兵装ポッドの架台としての意味合いのほうが強い。
固定武装は、
―――当然ながら、無人である。
西暦二七世紀現在、プレイヤーたちはおろか、PAIですら艦載機に乗り込むことはない。コックピットのような搭乗部分が最初から設計されてすらいなかった。
光速の二〇パーセント近くまで発揮できる性能が、「観測者」を乗せた場合、「時間」という代物においてかなり面倒な問題を引き起こすからであった。
艦載機は自律プログラムを仕込まれており、予め与えられた命令に従って行動し―――ときに、戻ってくることすら期待されない。
宇宙空間戦闘における艦載機の損耗率とは、それほどのものである。
贅沢を許されるほどの財を成したプレイヤーなら、
「働かせたあとで、敵艦にぶつけたほうが早い」
という者すらいる。
流石にそこまでやるプレイヤーはごく一部だったが、戦法として選択肢である程度には現実的手段になっていたし、相手の目を引きつける「囮」に使うような真似は誰でもやっていた。
質量、熱源等を過大に見せる欺瞞装置付きポッドがあり、これには艦艇を模して膨張展開するバルーンを宇宙区間に射出する機能までついていて、一時的に相手を混乱させる戦術はとれたのだ。
しかも、タティアナは今回の作戦任務へ臨むにあたって、より積極的に艦載機を用いるつもりでいた。
“調達屋”スタンリーを通じて、最新の偵察ポッドを買い入れていたのだ。
スタリオン・テクノロジーズ社製の戦術偵察ポッドシステム<
高性能のセンサーカメラ、質量や熱源の探知センサー、不可視光レーザー通信及び電磁波通信の探知センサーなど、複合的な機能がある。機体搭載のアビオニクスと、別で吊る電子戦ポッドと一体運用すれば、電子攻撃及び電子戦支援の効果を高めることもできた。
「なかなか思い切りましたね」
レーシャが、貞心な妻が夫の財布の中身を心配するような顔で言った。
ヘンドリーを通してさえ、高価な代物だったのだ。
光子魚雷五発分ほどにはなった。
これは、量産が進んでいるうえに中古機まで出回っているパフィン本体より高い。
「“何でも屋”風情に負けるわけにはいかないでしょう」
彼女が愛してやまないタティアナは、思い切った支出に踏み切った理由を端的に告げた。
あの艦長会合におけるPAIたちの戦術演算の際、新参者の艦長がこの最新ポッドシステムを保有していることを知り、対抗心が芽生えたのだ。
その新参者―――<畝傍>のアサヒナの艦載機も、当然ながら事前偵察の一翼を担う予定になっている。
「レーシャ。サヤインゲンの味、少し薄くない?」
「あなたの血圧を考えて塩を控えめにしました、シェツカ」
二月一六日、午前四時四〇分。
自艦隊からも、パルティア5方向に可視光による戦闘兆候を捉えたルイ・デュヴァルは、5-3へ偵察機の発進を下令した。
同時に、艦隊速度の調整加減速を指示。
TURMSを通じた伝達により、FB艦隊からは五機のパフィンが発艦した。
艦載機たちは、紫がかった宇宙空間に盛大な推進剤噴射を煌めかせながら、パルティア5-3に向かって突進していった。
朝比奈雅人の<畝傍>から発艦したパフィンは、自動割り振りの符丁で五番目―――
コード、ストロベリー05であった。
(続)
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