第3話

セシリアと離れてから、一度だけ会ったことがあるが、その後はやりとりもなく(そもそも住所を訊いていなかった気がする)30年が経過した。

もしかしたら私にとって最後の友達だったのかもしれない。あれは友情だったのか、それとも恋愛だったのか、だれか教えてほしい。

でも自分にもわからないのだから、他の誰にもわからないだろう。

米国人の過半数は生涯において同性愛的な体験があるそうだ。そう言われても、私とセシリアのあいだには身体的交渉はなかったのだから、米国人なら私の体験を理解してくれるだろうと期待を抱くのは禁物だろう。

「その子は親友だったのよ」

20代のはじめに知り合った女の子はそう断言したが、私は首をひねった。親友と呼ぶからには、それなりの感情の交流とか相手に対する信頼とかリスペクト…等々がなくてはならない。私とセシリアの間には、そういう要素が(まったくないわけではなかったが)少なかった。親友と呼ぶよりは、ウマがあったというほうが似つかわしい。

30年前と比べて、いまはカムアウトが容易になった…のかどうかは知らないが、LGBTQだのトランス女性だの性自認というキーワードをネットで見かけない日がなくなった。

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