8版 紙面は形から入るな
仮見出し──。記者が自分の書いた原稿に付ける見出しのことである。あくまでも「仮」で、無論、見出しの決定権は整理部にある。
特ダネ原稿を書いた記者、
主見出し→富国マートにTOB
袖見出し(大)→英証券と共同で八千億円
主見出しとはメインの見出しのこと。袖見出しとは左横のサブの見出しのことである。
──英証券と共同? 金額も八千億円?
先ほどの柿沼の説明では、英証券とやらは出てこなかったし、TOB額も五千億円だったはずだ。
リード(前文)部分を読み始める。眉間の皺の谷がどんどん深くなる。
【コンビニ業界三位の富国マートが上場株式を非公開化することが五日、分かった。現在五十一%の株式を保有する総合商社最大手の富国通商と英スチュアート証券が特別目的会社(SPC)を設立し、TOB(株式公開買い付け)を実施する。買収総額は八千億円。コンビニ業界の競争が激化する中、富国マートは非公開化で経営資源を集中し、稼ぐ力を強化する。】
「行数だけじゃなくて、内容まで全然違うじゃん」
嘆息混じりの言葉が蒸発する。このリードならば、
主見出し→富国マート、非公開化
袖見出し(小)→富国通商と英証券
袖見出し(大)→八千億円でTOB
が妥当だ。
時間はない。
用意していた縦五段の黒ベタ白抜き見出しに打ち込んでいく。カタカタカタ。荒ぶる心を映すように、キーボードを叩く音も大きくなる。
ちなみに、黒ベタ白抜きとは、見出しに黒色の背景をつけて、白いゴチック体の文字で抜いたもの。背景の色がついた見出しを「カット見出し」と呼び、この色が濃いほど、ネタが大きいことを意味する。
「桃果、一面の方はどうじゃ?」
広島弁が桃果の鼓膜を突く。背後のデスク席で河田が立つ気配があった。
河田の性格そのままのガサツな靴音が、段々と近づいてくる。背後に立たれるだけで、ピリリとした緊張感とフロアの温度が一度上がった気分になる。右の肩越しから、河田が画面を覗く。
「柿沼デスクが説明していた話と全然違います!」
自分でも驚くほどの棘のある言い方になる。
「何じゃと⁉︎」
数秒間の沈黙。睨めつけるような視線で、河田が端末画面上のリードを追う。
デジタル時計は午前一時十六分を回った。降版まであと十四分。
「行数も三十五行しかありません。それに──」
「桃果ァ!」
桃果の言葉を河田の濁声がギロチンのように遮断する。
「そがぁなこと気にする前に、おどれ、一面担当として大事なことを忘れちょらんか?」
相手を萎縮させるようなドスの利いた広島弁。桃果の背筋がピンと伸びる。
──大事なこと?
緊張と興奮でどんどん血流が早まる中、頭をフル回転させる。
「紙面は形から入るなと、いつも言うとるじゃろうがぁ」
その瞬間、頭を一筋の閃光が貫く。
──そっか。投資額が五千億円から八千億円に大幅増額されている。
「横見出しに変えます!」
桃果の言葉に河田の口元が緩む。それからコクリ頷いて言った。
「正解じゃ、桃果ァ。整理は価値判断が基本じゃ。一段三十行の黒ベタ白抜きの見出しで、組み直しじゃい!」
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