6版 整理の掟

 机上の組版端末画面には、ほぼ完成した朝刊一面の紙面があった。


 ──何とか間に合った。あとはマル特原稿を待つだけだ。


 一面担当席で桃果もかは安堵のため息を吐く。

 マル特とは特ダネの隠語である。


 かつてはほぼ手作業だった紙面作りにも、デジタル化の波が到来。今では見出しやレイアウト、行数調整がこの自社開発編集ソフトで簡単にできる。

 紙面デザインの下書きを描く「割り付け用紙」や新聞用に特化した定規「倍尺ばいじゃく」。一昔前には必須だった「神器」を使うのも今や少数だ。編集フロアの至る所で、オブジェと化していた。


 桃果は机上のデジタル時計を見る。午前一時七分三十一秒だ。降版時間まで、あと二十二分。一時十分にはマル特原稿が来る。「急患」の受け入れ態勢は整った。


「みんな、ええか。今回は『ところてん方式』じゃ。一面の四番手は三面の準トップに『都落ち』させるけんのぉ」


 今から十五分前。この整理部第一グループの島に戻った直後。河田かわだは桃果を含めた一面〜五面の面担当を集めてそう指示した。


 毎朝経済新聞は一つの面当たり十五段ある。一面の場合、下部の三段は広告で埋まるから、実質的には十二段しかない。収容できる記事は最大四つだ。つまり、どれかを落とさなければならない。


 「ところてん方式」とは、その名の通り、一番扱いが低いネタを押し出す手法だ。

 収容できなくなった記事は、格下の面に移動させる。これを「都落ち」と呼ぶ。

 例えば、今日のように一面トップにネタが飛び込んで来る場合、一面の面担は以下のようなステップを踏む。


 一面トップ→準トップ(二番手)に格下げ。

 準トップ→三番手に格下げ。

 三番手→四番手に格下げ。

 四番手→三面の二番手に「都落ち」。


 ただ闇雲に変えていけば良いという訳ではない。


 まず、記事の格に合わせて、見出しの大きさや文字数をルールに則って変えなければならない。

 見栄えも大事だ。紙面全体が文字の羅列だけにならぬように、真ん中に中囲みという箱を作ったり、紙面左に囲みという長方形の箱を作ったりと、創意工夫が必要だ。

 さらにイラストや写真、表、グラフを使って、全体的な色彩の調和を取るような美的センスも求められる。


 きらめきと芸術性。その2つが整理には不可欠なのだ。


 桃果は端末画面上で一通りの見出しを確認し終わると、仮刷り出力ボタンを押す。


「一面の仮刷り出しましたぁ」


 それからフロア全体に響き渡るほどの大声を出した。


「ええ声やないか。気合いが乗っとるのぉ、桃果ァ」


 背後から感心するような河田の声が聞こえたが、気付かないふりをして走り去る。

 気合いではない。特ダネを被弾した怒りと不安をかき消すために桃果は叫んだのだ。


 編集フロアの片隅。新聞紙面用の特大印刷機が、苦しそうに稼働し始める。いつものことだが、印刷機の熱によって、このエリアの温度は数度高い。インク特有の匂いも鼻を突く。


不死原ふじわらさん、手伝います」


 どこからともなく、整理部の若手の助っ人たちが現れる。


「ありがとう。じゃあ、お願い」


 桃果は笑みを浮かべつつ、自分用の一枚を先に取って踵を返す。

 幹部席に六部、各部デスク十部、第一グループ五部……。一面の仮刷り二十枚余りが、フロアの隅々まであっという間に配られていく。複合機で支社や社長室などの主要な送付先にも送られていく。


「桃果ァ!」


 整理部一面担当席。不意にドスの利いた声が、仮刷りをチェックしていた桃果の背中を貫く。


 バクンと心臓が跳ね上がる。体もビクンと飛び上がる。

 河田かわだが背後のデスク席から叫んでいた。振り返る。立ちあがろうと、腰を浮かせた桃果を、満面の笑みの河田が迎えた。


「ええやないか桃果ァ。デビュー戦にしては上出来や」


 その表情に体が弛緩し、尻が椅子にバウンドする。


 ──ビックリしたなぁ、もう。叱責かと思ったじゃん。そんなことで、いちいち叫ばないでよ。

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