4版 エセエロ紳士

 編集フロアの中心には編集幹部専用席、通称「幹部席」がある。

 薄赤色の丸テーブル。最大十人が着座できるこの席には、日替わりで編集幹部六人が座る。


 桃果は、この薄赤色の丸テーブルを見るたびに、何となく中華料理店の回転テーブルを連想してしまう。


 整理部や校閲部、デジタル部、イラスト部、写真部といった新聞制作の主要五部署の部長級。その彼らを抑えて上座に座るのが、編集長と呼ばれる人物である。

 編集長は、当日の新聞紙面の最高責任者。編集局長や編集局副長、編集局次長の役職を持つ者が、この編集長の椅子に座れる。


 そして今日、その椅子に座っているのが、編集局長の堂本である。

 五十六歳。ダークスーツが映えるスラリとした体型。社内でさえ、ネクタイの着用を欠かさない。綺麗に整えられた黒髪に、知的さを印象付ける銀縁メガネを着用している。記者というより、どこか銀行員や官僚といった風貌の男である。

 だが、歴代の編集局長がそうだったように、メガネの奥の切長の目は、相手を萎縮させる圧を宿している。


 用済みになれば、どんな人間でも簡単に切り捨てる──。そんな冷酷さを含んだ目をしている。


『お前、四月から整理部に行ってもらうから』


 二年前、編集局次長兼企業部長だった堂本は、桃果にそう告げた。事務仕事をしながら、桃果を一度も見ずに……。誤報で意気消沈している桃果に、慰めの言葉の一つもかけるでもなく、淡々と斬り捨てた。


 酒乱。この男は紳士ヅラしながら、内面はそこらへんのエロ親父と何ら変わらない。


 エセエロ紳士──。


 若手の女性記者達から、そう呼ばれている。

 当時、一年生記者だった桃果も何度かセクハラされた。懇親会と称した飲み会にホステス役として呼ばれ、酩酊した堂本の介抱をしていた時に、あからさまなボディタッチをされた。


「自分を引き上げてくれるかもしれない」


 それでも、セクハラで訴えなかったのは、そんな打算的な思いがあったからだ。だが、桃果はむしろ粛清された。


 ──いっそ週刊誌にでも醜態をリークして、失脚させておけばよかった。


 桃果はグッと奥歯を噛み締めた。


 その堂本局長は今、腕組みをしながら暝目し、柿沼の説明を聞いている。

 この編集フロアで二年も働いていると、この暝目が、自らの威厳を保つためだけの演出だと分かる。


 中華料理店の回転テーブルのような幹部席。桃果には、目の前の権威高いはずの編集局長が、紹興酒で酔い潰れたただのエロオヤジにしか見えなかった。

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