3版 爆弾テロリスト

 降版こうはん。整理部が完成させた新聞紙面を印刷所に送る工程をそう呼ぶ。

 毎朝経済新聞朝刊の場合、降版は計四回ある。最初の降版である十一版が十九時。十二版が二十一時半。十三版が二十三時。最終版である十四版が午前一時三十分である。


 柱に掛けられたデジタル時計は今、午前零時四十五分三十二秒。あと四十五分。時間的には十分である。


 ──でも、どうして、こういう時に限って、出稿部のこのクソデスクなんだろうか?


 桃果は内心で毒づいた。


「モノは、総合商社の雄、富国通商の|M&A(合併・買収)ネタです。富国通商は今回、コンビニ業界三位の富国マートにTOB《ティーオービー》(株式公開買い付け)を実施します」


 編集局企業部デスクの柿沼龍則かきぬま・たつのりは、刑事さながら。手元のメモを必死に読み上げている。企業部記者の常木翠玲つねき・みれいが電話で伝えてきた特ダネの概要だ。

 その振る舞いは、まるで自分が特ダネを取って来たかのようだった。


 がっしりとした体躯。浅黒い顔。短気な性格そのままの眉。鋭い眼光。髪のサイドを刈り上げ、テカテカに光る髪を左後方に向かって流している。その風貌はどこか、やり手の外資系の不動産営業マンを彷彿とさせる。

 だが、やり手に見えるのは外面だけだ。


 ボマー──。


 この男は整理部員にそう呼ばれ、恐れられている。ボマー(爆弾テロリスト)の由来は、整理部に原稿を出すのが遅すぎるためだ。


 出稿部記者→出稿部デスク→整理部面担。


 この順で原稿は流れてくる。

 柿沼は毎回、その流れをせき止めてしまう。

 デスクとしての編集能力の低さや「確認」と称して記者に長電話をしてしまう癖など、遅れの要因は挙げればキリがない。


「柿沼デスク、早く出してください!」


 整理部員が鬼気迫る表情で怒鳴りつける姿を桃果自身、何度も見た。


「今出すから、ちょっと待って」


 案の定、そこからまた数分の時が流れる。結果、爆発直前(降版直前)に整理部に原稿は投げられる。その結果、降版時間は大幅遅れる。過去には、焦った整理部員が見出しを打ち間違えて、訂正になったこともある。


「えー、ご存知の通り、富国通商は今、富国マート株を五十一%持っている親会社です」


 柱に掛けられたデジタル時計は今、午前零時四十五分四十五秒。一秒でも惜しい状況だ。


 ──なのにボマーの独演口調は何だ?


 どこか場にそぐわない。幹部席を囲む桃果をはじめとする整理部員、校閲部、出稿部デスクに説明している感じではないのだ。


 ──そうだ。今、柿沼が意識しているのは編集局長のみだ。


 堂本烈任どうもと・たけとである。

 柿沼は堂本の子飼いだ。だから、ここぞとばかりに、忠誠心を見せつけている。先ほどから編集局長の表情をチラチラと伺っている。


 ──今日は絶対、早く原稿出してよね!


 そう念じるように、桃果は眼前の柿沼を睨みつけていた。

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