深夜肺解
僕はその⽇、ちょうど時計の針が夜の12時を回ろうとしている時、都会の建物が僕を呼んでいるという感覚が腹の底から芽生え、不可避な衝動そのままに家を飛び出したんだ。
深夜、建物たちは体をちぢこめ、誰にも見つからないように地面に顔を押しつけて黙りこくっている。昼間はたしかにそこは活動の場なのだけれど、いまこの時間はもちまえの機能が使われずただその形態だけが残り、しかしなんとかあたりまえの存在であるかのように建物たちは振舞っている。この⾵景を写真に残したくなり試しに建物たちを撮ってみたが、写真にはしらじらしい偽物のような⾵景しか映りこまなかった。この目で見えているものとカメラに撮ったものが一致しなかったんだ。
信号機がゆっくりとまばたきをして、LEDの瞳が青へと変わる。交差点を構成する無数のアスファルトの群体は、車両たちを的確な方向へ進ませようとうごめく。道路を渡った先では道に敷き詰められたタイルたちが、僕に踏まれることを予期して声も上げずに身構えている。じろじろとこちらを見てくる四ツ谷駅の横を通り過ぎる。ひとけのない場所に、おそらく鉄道会社が管理しているであろう施設が見えた。何のためのものなのか皆⽬⾒当もつかない建物と、それへと続く不気味な道。建物は僕に向かって手招きをしたが、それを無視して木々が生い茂る歩道を歩きつづける。
やがて、体表を波打たせている⾸都⾼速が⽊々の裏側に⾒えはじめた。そのまま進むと視界はひらけ、歩道と⾞道とが同じ高さに並ぶ。路肩に停められた⼤型の⼯事⽤の⾞両が、⾞体の上で光るランプをくるくる回しながら歩脚をせわしなく動かしている。
建物たちのするどい鳴き声がして⾚坂⾒附⽅⾯を見上げると、⾼層ビルが伸びをしながら⾸都⾼速の灯りに照らされている。その崇⾼なたたずまいがあの世の⾵景みたいだと僕は思った。僕が立っているこの地面を歩いていったとしても、あの風景の中に辿り着ける気がしなかった。⼀度は⾼さがそろった歩道と⾸都⾼速は、ふたたび別々の表皮へと分裂する。やがて歩道は⾸都⾼速の内蔵の中へと潜りはじめ、首都高速の表皮で車輪が擦れる低音が、彼の体内に響く。巨⼤なコンクリートの生物は、永遠にそこで生きつづけるかのようだ。歩けば歩くほど⾵景はどんどんと表情を変え、⾒えている建物の⾓度や、彼らとの距離が刻々とずれていく。
⾚坂⾒附に着いた。僕はさらに歩きつづける。巨大なビルたちが頭を垂らして向かいのビルと戯れ合っている。その下を歩く僕には巨大な影が落ちる。
やがて、僕を呼んでいるであろう建物が見えてきた。それは28階建てのホテルだった。エントランスに近づくと、ホテルは大きく低い声でこう言った。
「わたしはずいぶんうまくやってきた。でももうやすみたいんだ。どうかわたしを"解体"してくれないだろうか」僕は一瞬戸惑ったが、ホテルの願いを聞いてやることにした。
まずは節になっている角質層の表皮を手で一枚づつ剥がしていく。皮の下に、表皮を支えるための襞になった赤黒い器官があらわになった。この後はどうしようかと僕が思案していると、となりの建物が鋭い歯を一枚貸してくれることになった。僕は両手で歯を掴んで襞を根本から切り裂いていく。管網から透明な粘液が漏れ出てきて両手が滑って手こずったけど、僕はなんとかやり遂げた。僕は地面に座り込んで一旦一休みした。夜はまだまだ明けそうにはない。
次は全身を走る黒い筋をひとつづつ外していく必要がある。僕は28階まで登って上から順に外していくことにした。筋が両端で肉と癒着している部分を狙って切り裂くと、自然と筋は剥がれ落ちる。筋が取れればホテルを支えているものはなくなり、壁も天井もふにゃふにゃになって床に落ちる。何時間もかかって全ての筋を外すと、地面の上に巨大な肉の塊が残った。僕はポケットからライターを出して粘液に火をつける。火はゆっくりと肉の全体に燃え広がるだろう。
もうすぐ夜が明ける。すっかり静まり返って昼の姿に戻った建物たちを眺めながら僕は家を目指して歩く。
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