原初雪原

 そこにはあるはずのない<米沢城>が天高くそびえたっていた。ところどころから建物の屋根が突き出している<雪原>は、私たちの足音を吸収して、世界には私たちだけしかいないのだと思わせてくる。


 山形県南部、置賜盆地をおそろしい雪が覆って一年が経った。雪の突然変異とでもいうべきか、ウイルスのように自己増殖する結晶構造を持った雪があらわれ、大気中の水分を次々に凍結させていった。気体が液体を経由せずに直接固体へと相転移する現象、凝華。この特殊な雪の結晶においては、凝華の際に放出される熱エネルギーは雪の結晶を周囲へと散らす運動エネルギーへと変換される。凝華の連鎖が盆地全体を覆い、夏でも溶けることのない氷の世界<雪原>が出来上がった。<雪原>の周囲には厚さ10メートルを超す氷の壁が発生し、原因不明の通信障害により中の住民達の安否は不明となった。上空からの捜索を試みたヘリコプターやドローンは大気の氷結のために次々と墜落し、温水によって氷の壁を溶かす作戦も、溶けた水が瞬時に氷へと戻る現象によって失敗に終わった。

 半年ほど前にようやく大型の高周波誘導加熱装置が製作され、人が一人づつ通ることのできる<穴>が氷の壁につくられた。<穴>を通って何人もの捜索隊が<雪原>の中に足を踏み入れたが、ほとんどの者が戻ってくることはなかった。数少ない戻ってきた者たちは精神が錯乱しており、中の状況は何一つ分からなかった。


 私たちは精神催眠が用いられることになった初めての捜索隊だ。精神的錯乱を防ぐための強烈な暗示がかけられており、その弊害で突入前の記憶があいまいになっている。私たちの隊は山形県出身の四人で構成され、それぞれを天童(私のことだ)、鶴岡、新庄、酒田と出身市町村を冠した名前で呼び合うことになっていた。記憶があいまいなこの作戦下において、己のルーツがアイデンティティを確保するのだという。

凍結を防ぐための宇宙服に似たスーツを私たちは装備し、視界の悪い<雪原>の中を一歩づつ歩き進んだ。すぐに分かったのは、市内の家屋はほとんど雪の下に埋まってしまっているということと、人影が一切ないということだった。事件の発生から一年が経っている。住民達の安否については絶望的だった。高層階まであり雪の上に出ているホテルやマンションを見つけた私たちは、窓を割って中を捜索してみたが、生きている人間はおろか遺体すら見つけることはできなかった。まるで人がそのまま消え去ってしまったかのようだった。


 米沢市の中心部、上杉神社のあたりに近づいた時、酒田が指をさして声を上げた。

「向こうに何かある、大きい」

 私たち全員がそちらを見ると、突然霧が晴れ、米沢城の跡地である上杉神社がある場所に、いまはないはずの<米沢城>が建っていた。私たちは一瞬どうするべきか思案した。

「あの建物が何なのか分からない。戻って報告すべきだ」鶴岡が言った。

「そうしよう。ここで危険を犯すべきではない」新庄もそれに賛成する。

「しかし我々の精神催眠には一ヶ月が費やされている。再突入するとなるとあの建造物の調査は早くて一ヶ月後だぞ」酒田は反論した。

「リーダー、判断してくれ」と鶴岡が私を見て言った。

「あの建物を調査する。その代わり危険があればすぐに撤退する。いいな」私はそう言った。

 そして私たちは<米沢城>の中へと足を踏み入れた。城内を隈なく捜索し、どんどん上へと登っていくが、不審なものは何も見つからない。建物の中はまさに江戸時代の建造物そのものだった。ついに私たちが天守閣の最上階へとたどり着いた時、なんとそこには着物を着た若い青年が座っていた。青年は私たち一人一人を眺めて口を開いた。


「はるばるよくぞおいでになった。私は伊達家第17代当主、伊達政宗である」

私たちは何事が起こったのか分からず、それぞれに顔を見合わせた。たしかに仙台藩で有名な伊達政宗の生家は米沢城であり、彼は青年期のはじめまではこの場所に住んでいたはずだ。

「驚かずに聞いてほしい。私が今から話すことは真実である。この地に降り積もる雪は、この土地の記憶を読み取って過去を再現しようとしている。ここにそびえる米沢城と私は、その記憶によって再現されたものらしい。そして、この地の外側の世界はすでに滅んでいる」

「どういうことですか? 私たちはその外側の世界からやってきたのですよ」私は言った。

「外の世界のことを本当にあなたたちは覚えているか? 実のところあなたたちもこの雪によって再現された羽前、のちの山形県の各地の土地の記憶なのだ」

たしかに私には天童市の記憶はあるものの、具体的な人間としての記憶がなかった。

「世界が滅んでいる今、山形こそが復活の始まりの地となるのだ」と伊達政宗は言った。

本当にそうなのだとしたら、山形には荷が重すぎるのではないかと私は思っていた。

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