アワビの元締め

 オレがコウジとリュウと一緒にパチンコを打ちにいった時、怪しい男が声をかけてきた。オレはヤクザだと思った。はじめは世間話といった感じだったが、しばらくしてヤクザはこう切り出した。「一回で10万稼げる仕事がある。毎日やればすぐに金持ちだ。興味はないか?」オレたちは一瞬お互いの顔を見合った。「何をやるんだ? 捕まらないのか?」恐る恐るコウジがヤクザに聞いた。「アワビの密漁だ」とヤクザが言った。「大丈夫、捕まらない。こっちはプロだ。船も道具もやりかたもそろってる」そうしてオレたちはアワビの密漁をすることになった。


 深夜、ひとけのない港にバンが一台やってきて止まった。ヤクザとドライバー役の仲間が一人、オレたちの他に、同じようにスカウトされた5人の男たちを含む潜り手8人が乗っている。オレたちを降ろすとドライバー役はバンを運転して港から去った。深夜の港に車が残っていると怪しまれるからだ。

オレたちは船に乗り込み、漁場へと向かう間にダイビングスーツに着替える。実際の密漁はオレたちが想像していたような素朴な方法ではなかった。ダイビングスーツを着て、酸素ボンベを背負う。頭にはヘッドライトをつけ、アワビを岩からひきはがす手カギという道具、アワビを入れるためのハリスという網の袋を持って一気にアワビを取り切るのだ。船も普通ではなかった。よくある漁船の速さは30ノット出ればいいほうだが、オレたちが乗っている船は50ノットは出るらしい。海上保安庁の監視船から余裕で逃げきれる速さだ。しかも船底は特殊な加工がされていて、養殖用の網がスクリューに絡まないようになっている。岩壁沿いから沖に向かって逃げる時には圧倒的に有利だ。

 漁場につき、オレたちは深夜の海にもぐった。夜行性のアワビは昼間は岩の間に隠れているが、夜になれば岩の間からでてきて活発に活動する。それを手カギではがしてハリスに入れる。一人当たり20キロ取るのが目標だった。

ヤクザは船の上で海上保安庁の無線を盗聴している。もしも監視船が近くにきそうであればオレたちを置いて沖に隠れ、数時間後に戻ってきてオレたちを拾い上げることになっている。海上保安庁の船に捕まったとしても現行犯でなければ捕まることはないらしい。いざとなればアワビを海に投げ捨てればいい、とヤクザは言った。

 数時間後、アワビを取り切ったオレたちは船に上がった。しかしまだ安心することはできない。海上保安庁と警察が連携し、港で待ち伏せされる可能性があるからだ。車にアワビを積む瞬間、現行犯の証拠が全てそろうその瞬間を取り押さえられれば全てが終わってしまう。

船はそのまま何事もなく港につき、急いで船からアワビを車に積み込むと、オレたちも車に乗りこんだ。これでもう大丈夫だろう。はじめての密漁は成功したのだ。


 三陸のアワビは高級品だ。普通、アワビは漁業協同組合を通してしか市場にだすことができない。違法な密漁アワビを売りさばくことができるのは、それを買う業者が存在するからだ。正規の市場に流すために仲介業者が間に入ることもある。違法アワビのロンダリングだ。違法なアワビは通常よりも安く買い叩かれ、1キロだいたい8,000円で取引される。アワビを安く仕入れたい業界の暗黙の了解だ。ヤクザによれば市場に出回るアワビの半分は違法なものだという。オレたちが取ったアワビを寿司屋に通う金持ちが食べるのを想像して、まるで自分がちゃんと働いているかのような気分にオレはなった。


 それからオレたちは毎日アワビを密漁した。その日もオレたちはアワビを取っていた。アワビを取り終えたオレは船に上がったが、コウジとリュウがなかなか上がってこない。「おい、もう一回戻って見てこい。事故ってるかもしれない」とヤクザが言って、潜り手の二人が再び海に入る。

すると船体が少し揺れはじめた。今日は晴れていたし、波も高くはなかったはずだ。船の横を何かが叩く音がしたので、オレがそれを見に行くとタコだった。タコが海面から飛び出して船にへばりつく音だった。バン、バン、という音とともにタコはあっとういまに増えていき、ますます船が大きく揺れる。タコは船内にも侵入し、船体全体が赤黒く埋め尽くされた。「おい、なんだこれ」ヤクザは急いで船のエンジンをかけたがもう間に合わなかった。揺れで立っていられなくなった船員たちは転んで、タコの大群のなかに倒れ込む。船は遊園地のアトラクションみたいに大きく揺れる。やばい、このままでは転覆する。そして船は横倒しになって転覆した。乗っていた全員がタコに巻きつかれ、身動きもとれず海の中に沈んでいく。

 ヘッドライトもついていない夜の海の闇の中で、タコがオレたちが取ったアワビを食うのが見えた気がした。タコはアワビの流通において人間よりも先に位置する原始の消費者だ。タコがアワビの密漁を取り締まりにきたのだった。

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