第280話 「極技」
グレンが放った火精の矢により、成す術もなく燃え上がった仲間を見て、残る偽女神たちは戦術を変えた。
それは【獣神特化】した≪白百合乙女団≫により、追い詰められた偽女神たちとは、また別の選択。
【空間結界】による時間稼ぎと敵の消耗を狙うのではない。
むしろ自分たちの消耗をもはや気にせず、攻撃に「特化」するための選択。
「「「――――!!」」」
偽女神たちを中心に、黒い颶風が迸ったように見えた。
だが、それは颶風などではない。無数の触手が一気に、グレンたちへ襲いかかったせいでそう見えただけだ。
まるで爆発のごとき勢いで押し寄せた無数の触手に、グレンたちはギリギリのところでオーラによる防御を間に合わせながらも、為す術なく吹き飛ばされてしまった。
その触手の数は、一体につき十六本どころではない。偽女神たちは辛うじて残っていた「人間」としての形さえ捨て、多くの触手を持つ異形の化け物へと成り果てたのだ。
その変化は一瞬。
肉体は瞬時に変形し、頭部だった場所が球体として残る。ただし頭髪一本とてなく、鼻も口も耳もない漆黒の球体だ。
球体には巨大な眼球がぎょろりと一つだけ開き、金色の瞳が無機質にグレンたちを観察する。
そして球体の表面からは、先ほどまでの三倍以上にもなる数の触手が生え、蠢いていた。
もはや誰が見ても、それを人型とは認識できまい。
気味の悪い触手の化け物たちは、唯一、気絶して倒れてしまったグレンを護るように、その周囲を固める≪グレン隊≫の面々へと、高速で触手を叩きつける。
「づぅっ!? 痛いなぁっもうっ!!」
「くぅッ!!」
こちらの手数を圧倒する無数の触手を前に、彼女たちは全身に分厚いオーラの鎧を纏い、オーラを宿した武器で襲いかかる触手を弾いていく。
だが、目にも留まらぬ速さで振るわれる鞭のような触手は、凄まじい衝撃で≪グレン隊≫の面々を弾き飛ばそうとする。足を踏ん張ってそれに耐えても、重い衝撃が繰り返される度に内臓がダメージを受け、衝撃が伝播した血液は、体の内から血管を破裂させていく。
「かはっ!!」
「ぐぅううううっ!!」
吐血――だけではない。
目の前が黒く染まるような数と勢いで襲い来る触手には、その表面に刃を生やしたものもあった。
後先考えぬ必死さで分厚いオーラを纏っていても、ただでさえ硬く鋭い刃にオーラを纏わせ、凄まじい速さで繰り出される攻撃は、オーラの鎧を貫通し、彼女たちの肌を衣服ごと切り裂いていく。
服の破片と共に、大量の鮮血が飛び散る。
そんな光景を、数秒の気絶から目覚めたグレンは目撃した。
目撃して、全身に走る痛みを無視し、跳ねるような勢いで立ち上がった。
「み、皆……ッ!!」
慌てて仲間たちのもとへ駆け寄り、加勢しようとする。
だが、それを止めたのは仲間たちの怒声だった。
「グレンッ!! 下がりなさいッ!!」
「ふざけないで!! 貴女が前に出てどうするのよッ!!」
「前に出て戦うなんて、いつものグレンらしくないぞっ!!」
「――――っ!!」
今も偽女神どもの攻撃を防ぎ、あるいは自身の体で受け止めながら、仲間たちは振り向くことなく叫ぶ。
そこに込められた怒りの感情の大きさに、グレンは思わず、凍りついたように動きを止めてしまった。
自分のパーティーメンバーであると同時に、恋人でもある仲間たち。
そんな彼女たちから、本気の怒りを向けられるのは、ひどく久しぶりのことだった。
言葉を失うグレンは、どうして良いか分からず、吹き飛ばされた時も手放さなかった「天霊弓」に視線を下ろす。亡き友に助言をもらいたかったのだ。しかし――、
「――――っ!?」
視界に飛び込んできたその有り様に、再度息を呑んだ。
「天霊弓」は無惨に壊れていた。弦は切れ、弓本体も折れている。これでは使い物にならないだろう。
加えて――、
「アルビス……アルビス……!! どうして……何も答えてくれないんだ……!!」
亡き友は、もはやグレンに何の言葉も告げることはなかった。
呼び掛けに返ってくるのは、ただ虚しい沈黙ばかりだ。
「はは……当然、だよね。アルビスは、もう死んでいるんだから……!!」
グレンは認めた。アルビスの声など、最初から幻聴だったのだ。自分の願望が作り出した、都合の良い幻覚に過ぎない。
だが、だけど、グレンは急激に心細いような気持ちに襲われた。
「うりゃぁあああああああっ!!」
そこへ、巨大なハルバードを叩きつけるように振り抜いて、押し寄せる触手に向かってオーラの爆発を起こした小柄な少女が、続けてハルバードを振り回しながら、グレンに叫ぶ。
「グレン!! アンタの役割は何なのッ!?」
「ボクの、役割……」
「私たちの役割は!?」
「それは……っ!!」
「グレン!! 私たちを舐めてんじゃねぇ!! もっと私たちを信じろしっ!!」
「――――ッ!!」
その叱りつけるような言葉に、グレンはようやく思い出した。
≪グレン隊≫――その冒険者パーティーにおける、自分の役割と、仲間たちの役割を。
自分は弓士だ。弓士の仕事は、後方から矢を放つことである。間違っても前衛のように前へ出て、一人で戦おうとすることじゃない。
「ははっ、ボクは……何をやっていたんだ……っ!!」
自嘲するように笑って、グレンは「天霊弓」の残骸を投げ捨てた。
「何がアルビスだ……っ!! ボクは彼と戦っていないし、友でもない……っ!!」
『精霊弓士』としての成長が、間違いだったとは思わない。だが、一人で戦っていたアルビスのように自分も戦おうなど、ただの思い上がりだった。
むしろ、アルビスが間違っていたのだ。弓士は一人で戦うべきじゃない。
「ちょっと強くなった程度で、仲間を頼る……そんなことさえ忘れていたなんてね」
グレンは自分が恥ずかしかった。恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら挿れたい気分だった……!!
ゆえに、自分に気合いを入れ直すようにオーラを纏い、それを爆発させて、パァアアンッ!! と、すでにボロボロになっていた衣服を脱ぎ捨てる。
一糸纏わぬ全裸となって、グレンは戦場を吹き荒れる風に全身を晒した。
ささやかな胸が、引き締まった腰が、しなやかな脚が、白く滑らかな肌が――スレンダーだが、間違いなく女性的な曲線を備えた鍛えられた肉体が、無防備に露出する。
「不思議だね……そんな場合じゃないのに、心が落ち着く。……いつも全裸になるゲイル師の気持ちが、少しだけ分かったよ」
全裸となった瞬間、不思議と余計な緊張は消え去った。
まるで自宅のような安心感に包まれ、グレンはリラックスする。
そのことが少しだけ不思議だったが――何ということはない。グレンはいつも、部屋の中で、何人もの恋人たちと全裸で、爛れた生活を送ってきたのだ。
すなわち、全裸こそ、グレンにとっての部屋着に等しかった。
グレンはストレージ・リングの中から「黒月弓」とエルダートレントの芯木から削り出された矢――「黒耀矢」を取り出す。
それから、仲間たちに声をかけた。
「ごめんね、お姫様たち!! ボクはもう大丈夫!!」
いつものグレンに戻ったことに気づいてか、仲間たちが喜色混じりの声をあげた。
「グレン!!」「グレン……!!」「グレンッ!!」「グレン~っ!!」
「ボクは弓を射ることに集中するよ! だから……前は任せたよ!!」
「当然!!」「任せてよ!!」「任されたッ!!」「ふふんっ、誰に言ってんの~!?」
仲間たちのボルテージが上がる。その全身からオーラが噴き上がるように立ち上ぼり、
「はぁああああああああッ!!」
「やられてばかりだとは、思わないでよねっ!!」
「いつまでも、同じ攻撃が効くかぁああああッ!!」
「いい加減うっぜぇんだよっ!! ざぁ~こっ!!」
一気呵成に攻めかかる。
まるで攻撃こそ防御とでも言うように、あるいはそれを証明するかのように、≪グレン隊≫の激しい攻勢で、触手攻撃の勢いが弱まった。
一方、グレンは防御も何も考えず、それらは全て仲間たちを信頼し、任せるつもりで――ただただ、精神を集中して弓を引いた。
そして――「黒月弓」
この弓を受け取った後に、アーロンから聞かされた言葉を、ふと思い出す。
アーロンは非常に嫌そうな顔をしながらも、グレンにこう告げたのだ。
「これはマジで遺憾なんだが……お前らに渡した『黒月弓』はな、俺が作った『黒月』シリーズの中でも、間違いなく最高の出来だ。っていうか、そもそも『重晶大樹の芯木』自体、弓に向いた素材だからな。……理由は、分かんだろ?」
分からないはずがなかった。
矢をつがえた弦を引きながら、左手で握った弓本体に魔力を流す。
すると、エルダートレント材の木板に挟まれた「重晶大樹」の板が、真っ白に染まった。それは弓の重量が減ることだけを意味しない。黒の状態の硬い時とは裏腹に、白くなったそれは柔らかさを備える。
すなわち、軽い力で弓を引くことができるのだ。
無論、これは「黒月」シリーズであるから、その全てを最初から黒く染めても、重量的にも弓力(弦を引くために必要となる力のこと)的にも、最上級探索者ならば扱えない武器ではない。実際、「幼児の守護者」やザラなどは、最初から弓を黒く染めて使用していた。
だが、この弓の性能を百パーセント引き出すには、その使い方ではいけないのだ。
なぜならば――、
「この状態で弓にオーラを流せば、弓の力は何倍にも増幅される……ってわけだね!」
オーラで黒く染まった「重晶大樹」の弓は、魔力で柔らかくした時に大きく弦を引き、逆に矢を放つ直前にオーラで硬くすれば、軽い力でとてつもない威力の矢を放つことができる。
当然、軽く弦を引くよりも、大きく弦を引き絞った方が、放たれる矢の威力は上がるからだ。
すなわち、それは人外の強弓となる。
ただし、弓にオーラを流した瞬間に重量が増すため、矢を放つ瞬間に照準がずれないよう、気をつける必要がある。ゆえに、これを使いこなせるようになるまでは、かなりの鍛練を要した。
――だが、鍛練の甲斐あり、グレンはそれをものにした。
弓を引き絞り、しばし、その状態で静止する。
つがえた「黒耀矢」へ、オーラを流し、集束していく。しかし、そのオーラの流れは普通とは違っていた。
弦を引く手からオーラを放出し、弦を辿って弓本体に到達。「重晶大樹」の素材の上端と下端だけにオーラを巡らせて重属性に染め上げ、それをまた弦を辿って戻し、矢へ注ぐ。
このような工程を踏むために、「この技」では素早く矢を放つことができない。
それに加えて、今回のグレンは、さらに時間をかけてオーラを練り上げた。
それは、実体のないオーラの矢ではなく、わざわざ「黒耀矢」をつがえた理由でもある。
「――――」
仲間たちの奮闘に、一喜一憂することさえない。
グレンは神に祈りを捧げる巫女のような、感情の見えない透き通った表情で、その時を待った。やがて――、
リィイイイイイイイイインンン……ッ!!
と、矢に注がれたオーラが臨界を迎え、鈴鳴りのような音を響かせた。
その直後、グレンは左手から弓へとオーラを流し、静かに――弦から手を放した。
射る。
極技――――【極矢・月震破】
放たれた矢は、瞬時に音速を超えた。
大気の壁を突き破り、けたたましい爆発音を響かせて、不気味な異形と化した偽女神へと突き進む。
その軌道上には、何か大技を放たれると気づいた偽女神たちにより、すでに幾つもの触手が防御のために展開されていた。しかも、それに加えて【空間障壁】までも、新たに発動されている。
だが、触手の防御に意味などなかった。
【空間障壁】など、盾にもならなかった。
矢は容易く、まるで抵抗を感じさせずに、一瞬にして障壁と触手の壁を貫通し――本体たる球体部分をも貫いて、その遥か背後へと飛び去っていく。
貫通しただけでは、ダメージは少ないのではないか?
本来であれば、そうだろう。偽女神たちは桁外れに高い再生能力を持つのだから。
しかし、「黒耀矢」に込められた高密度のオーラは矢それ自体を急速に崩壊へ導き、そこに込められていたオーラを解放しながら飛翔していた。
解放された黒きオーラは衝撃力へと変換され、矢が貫いたものへ伝播する。
そして、それら一連の現象は刹那の間に行われた。すなわち、
――ボパンッ!!!!
と、矢が貫通したその瞬間に、偽女神の肉体は触手の先まで爆発四散する。
飛び散った鮮血と肉片は、もはや再生が不可能であることを示すように、地面へ到達するより先に光の粒子へ変換されていく。
残心を解いたグレンは、再びリングから「黒耀矢」を取り出しつつ、透明な笑みを浮かべて呟いた。
「触手プレイというのも、興味深いかもしれないね……!!」
この日、グレンは新たなる領域に到達した――。
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