第217話 「これでかんぺきね!」
キルケーでのスタンピードに関する諸々の事情説明、そして復活してしまった【邪神】への対処などが、四家、探索者ギルド、クラン≪木剣道≫の間で話し合われた。
それは説明が長引いたこともあるが、その後の対処に関する事柄でも多岐に渡る話し合いが行われたため、アーロンたちがそれぞれ帰路につく頃には、すっかり日が沈んでしまっていた。
星が煌めく夜空の下を、アーロン・ゲイルとフィオナ・アッカーマンは共にアーロンの自宅へと向かって、ゆっくりと歩いている。
「「…………」」
会話はない。
道中、仲間たちと分かれて二人きりになった後、二人の間には沈黙が蟠っていた。
何か視線を交わすこともなく、二人の間にある距離も、いつもより心持ち開いているように思えた。
いつもならば特に気になることもない沈黙も、今日ばかりは気まずいような雰囲気が漂っている。ただし、それは険悪さから来る沈黙とは反対の、どこか気恥ずかしさが漂う沈黙だった。
アーロンは……、
(え? いや何この雰囲気? え? 俺告ったっけ? 告った? いや、告ってないよな? 告ってない? ああうん、そう、告ってない。そのはずだよな……いや何この雰囲気ッ!?)
――――アーロンは混乱していた!!
四家での話し合いを終えて解散した辺りから、どうにもフィオナとの間の雰囲気がおかしい。どこか甘いような、湿度が高いような、色でたとえればピンク色みたいな――――なんかそんな雰囲気になっていた!
いつもならば「今日の晩飯どうする?」とでも聞いて、フィオナが「今日は私が作るわ(断言)」と返し、さらにアーロンが「いや本当に勘弁してください(迫真)」からの「は? どういう意味?(ハイライトの消えた目)」といった感じに、他愛のない(?)会話を繰り広げているはずだ。
だが、いつもの何でもない一言が、今は不思議と口に出せない。
なぜか?
理由は分かっている。
(ヴぁぁああああああああああああああああッッッ!!!!)
悶絶。
アーロンは心の中で悶絶する。
それはアイザック・キルケー相手にブチキレた後の、自分の態度、言動を思い出してのことだ。
ブチキレて結界をぶっ壊したり、術者四人を吹き飛ばしたり、四家の人間にオーラソードを突きつけたり、アイザックにオーラソードを突き刺したりしたことは、別に良いのだ。
問題なのはその後である。
悔しさに泣きそうになったという醜態を晒してしまった挙げ句、フィオナに幼子のように慰められた。しかも人前で、もうすぐ三十になろうかという大の大人がだ。
(あ、やばい。何か今さら死にたくなってきた……!!)
思い出すだに、顔から火が出るような恥ずかしさに襲われる。
しかもさらに問題なのは、あの時の過剰なキレっぷりとその後の反応から、フィオナだけでなくあの場にいた全員(約一名除く)に、自分の本心が知られてしまったように感じることだ。
告白はしていない。だが、あれでは告白したも同然の言動ではなかったか?
四家との話し合いも終わり、帰路につき、徐々に冷静になってくると、何だか凄まじく恥ずかしいことをしでかしてしまったような、そんな気持ちになっていた!
――――告白。
一方、少し距離を開けてアーロンの隣を歩くフィオナは、顔どころか耳まで真っ赤に染めて、俯き加減に歩いていた。
それは四家でのアーロンの態度に、アーロンの自分に対する感情にある種の確信を抱いてしまったから――――などではなかった!
フィオナは……、
(え? 私、まさか告白した? え? 告白? 告白した? あれって告白ってことになるの? え? ねぇ、どうなの? 告白なの? そうじゃないの? どっちなのぉーーーーーっ!?)
――――フィオナは混乱していた!
(アーロンはどっちだと思ってるのよ!? 私が告白したと思ってるの!? そうじゃないの!? どっちなの!?)
思い出すのは四家での自分の言動である。
悔しそうに顔を歪めるアーロンに近づいて、至近距離から告げた自分の言葉。あれはもう受け取り方次第では完全に愛の告白ではなかったかと!
(っていうか「たとえどうなっても私はあなたについて行くし、後悔もしないはずよ」って何よ! そんなの完全に好きって言ってるようなもんじゃないの!! じゃなかったらちょっと痛くて重い女ってことになっちゃうじゃない!! それに思い出したら他にも何か色々やばいこと言ってたような気がしてきたわ! しかもあんな人前で!! え、っていうか、それよりちょっと待って? そういえば私、変な顔してなかったわよね? は、は、発情したメス猫みたいな顔してなかったわよねッ!?)
フィオナは自身の言動を思い返して悶絶した!
――このように、二人はそれぞれにそれぞれの理由でもって恥ずかしさに内心悶絶し、その結果、付き合いたてで距離感の取り方が分からない恋人みたいな雰囲気を醸し出していた!
そこへ決定的なきっかけが転がりこんでくる!
「――あっ」
と、俯きながら歩いていたフィオナが、石畳のわずかな凹凸に足を取られ、転びそうになったのだ!
「フィオナ!」
そこへアーロンが手を伸ばし、フィオナの手を掴んだ。
それで何とか転ぶのを免れたフィオナは、アーロンに礼を言う。恥ずかしそうに。
「あ、ありがと……」
「ああ……おう」
「「…………」」
そして再び歩き出す二人。
だが! なぜか手は繋いだままだった!
いや、手を繋いで歩いたことなど、これまでに何度もある。しかしそれは、フィオナがまだアーロンに突っかかっていた頃、渋るアーロンを訓練場に引っ張っていく時や、アーロンが娼館へ行こうとしているのを事前に察知し待ち伏せ、それを色々と理由をつけて阻止するために歓楽街から外へ引っ張っていく時など――くらいなものだ。
断じて今のような雰囲気の中、手を繋いで歩いたことはない。
手を繋ぐという行為が重要なのではない。手を繋いでいる時の雰囲気が重要なのだ! いつもと今の状態には、天と地ほどの断絶があった!
ゆえに、フィオナは混乱の極致にいたる!
(あーーーーーーーっ! なんかアーロンのほうから手をにぎってきたんですけどぉーーーーーーっ!?)
勘違いである!
転ぶのを阻止するため、とっさに手を掴んだだけであり、他に理由などない。手を離さなかったのも、何となく離すタイミングを、どちらも逃してしまっただけだった。
しかし、今のフィオナは前述したあれやこれやの理由でもって、正常ではなかった。端的に言えば恥ずかしさのあまり頭が茹だり、知能指数は現在進行形で急速に低下しつつあった!
(あわわわわわっ!? こ、こんなときどうすればいいの!? たしゅけてエヴァっ!!)
心の中で頼ったのは、親友であるエヴァだった。
フィオナの中のイマジナリー・エヴァ嬢が親友の助けに応じ、顕在意識に浮かび上がって来る。
それは過去の記憶。他愛のない会話の中の一幕。
『殿方の落とし方……ですか? ふふっ、そんなの簡単ですわよ』
かつてエヴァはそう言った。道ですれ違ったら誰もが振り向くだろう美貌に妖艶な笑みを浮かべ、老若男女問わず、思わず視線を引きつけてしまうほど豊満な胸を強調するように腕を組んで、自信満々に。
『――――恋人手繋ぎをすれば良いのですわ!』
エヴァ・キルケー(処女。彼氏いない歴=年齢)は言った!
その言葉を思い出し、知能が退化したふぃおなは猛烈に思った。
(こいびとてつなぎしなきゃ!!)
ふぃおなはたどたどしい手つきで、繋いだアーロンの手へと、自身の指を絡ませていく。そうしてアーロンの指と指の間に自身の指を絡ませると、最後にぎゅっと手を握った。
(これでかんぺきね!)
ふぃおなは内心、自信満々で頷く。いったい何が完璧なのかは、本人にも分からない。
だが、もしも仮に、それが「アーロンを落とす」という意味での完璧だとしたら、もちろん完璧なはずがなかった。
こんな子供騙しな手段で落とされるほど、アーロン・ゲイルの人生経験もさすがに薄くない。アーロンとて女性経験がプロのお姉さん方だけ、というわけではないのだ。過去には色々とあり、女性と交際したこともある(なお、そのほとんどはアーロンの財産目当てだった……)。
今さら指を絡ませられた程度で、心にはさざ波一つ立つことはな
(はあーーーーーーーーーーーっ!!? 何かフィオナの方から指絡ませてきたんだがッ!?)
いこともなかった!!
フィオナ・アッカーマンは奥手である。何時もならば自分から手を繋ぎ、指を絡ませるようなことなどするはずもない。
そんな相手がどういうわけか、恋人繋ぎをしてきたのだ。その意味を察することができないほど、アーロンとて鈍感ではない。
ちらり、と横のフィオナの様子を窺ってみる。
耳まで真っ赤に上気したフィオナは、相変わらず俯き気味に歩いていた。しかし、繋いだ手を離そうとはしない。
もはや、アーロンは確信した。
(いやこれ絶対イクところまでイク流れだろぉーーーーーーーっ!!! もうそういう雰囲気だろぉーーーーーーーっ!!!)
そう、全ては雰囲気なのだ。
そこには男女関係を一足飛びに進展させかねない雰囲気が漂っていた。
しかもこのままアーロンの自宅へ二人で帰るとなれば、そこには邪魔する者は誰もいない。二人だけだ。となれば、雰囲気のままに流される可能性は大いにあった!!
そこへ、アーロンは極めて婉曲的にフィオナの気持ちを確認する。
「あー……フィオナ」
「な、なに……?」
「今日はこのまま、実家かアパートじゃなく、俺の家に一緒に帰るってことで……良いんだよな?」
「…………」
フィオナ、理解できずに数秒の沈黙。
「!?」
それからアーロンの言わんとするところを直感で理解した!
今では借りているアパートの部屋に帰ることの方が少なく、料理を習うために実家に泊まることはそれなりにあるが、ほとんどアーロンの家で同棲している状態にある。ゆえに、フィオナが今日は何処へ帰るのかなど、アーロンがいちいち確認することはなくなっていた。
それを敢えて問うてきたのだ。二人の間に漂う雰囲気からして、その意味するところは明白だった。
「ぁ……うん」
先ほどよりもさらに一段、顔を赤くして、呟くように頷いた。
そして、フィオナは確信する。
(いやこれ絶対最後までスルやつーーーーーーーーーーっ!!!)
何かもうそういう雰囲気が出来上がっていた!
告白したとかしないとか、そんなことは些細な問題だ。全ての状況が、もう最後までイケと、フィオナに告げていた。
(は、はわ……! しょ、しょうだわ……! さいしょにおふろはいって、それから、それから、したぎも買っておいたアレにかえなきゃ……!!)
ふぃおなは茹だった頭で覚悟を決めた。
一方、アーロンも色々と決意を固める。
二人の歩みはどちらともなく速くなり、家路を急いだ。
そうして程なく、二人は自宅へ到着した。玄関の鍵を開けて、中へと入る。ドアを閉めると夜という時刻もあって、家の中は暗い。
アーロンは玄関でもう一度、フィオナの方を振り向いた。
「フィオナ」
名前を呼ぶと、今度はしっかりとした声で、フィオナは頷く。
「うん」
それは最後の確認だったのであろうか。
ずっと繋いだままだった手を離すと、二人同時に廊下を歩き出す。だが、向かう先は二人ともが同じだ。
二人が一直線に向かう先は――――風呂場であった。
風呂場と脱衣所に繋がるドアの前に、二人は立つ。
そして――――アーロンがドアを開けた。
がちゃり、と。
「――――んぅ? ……あ、ふたりとも、おかえり」
「「…………」」
脱衣所。
そこには湯上がりと分かる上気した肌を惜し気もなく晒しながら、濡れた銀髪をバスタオルでごしごしと拭いている全裸の少女がいた。
いや、少女というか、幼女だった。
というか、ルシア・アロンだった。
「「…………」」
なぜか家にいるルシアを見つめる二人は、どこか感情を失ったような、興奮から我に返ったような、すんっとした顔をした。
((邪魔だなぁ……))
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