第215話 「呼吸が止まるほどの」


 アイザックによる度を超えた失言。


 それに激昂するエヴァの叫び。


 その時にはすでに、静かに、アーロン・ゲイルは立ち上がっていた。


 そしてアイザックに向かって、呟くように吐き出された、小さな言葉。


 エヴァが叫んだ直後とあって、普通なら聞こえなくてもおかしくはない声量だ。けれど、室内にいた者は全員がその言葉を確かに聞いた。



「「「――――ッ!!?」」」



 ヒュッと、掠れた呼吸音がそこかしこから聞こえた。


 全員の視線が否応なしに立ち上がったアーロンに注がれる。それはアーロンが発した言葉が持つ、剣呑な意味が理由ではない。


 ――殺気。


 目の前で猛獣が襲いかかる気配を見せれば、誰だって身をすくませるだろう。だがそれが、猛獣どころか龍さえ容易く殺せる存在ならばどうなるか? そんな存在から本気の殺意を向けられて冷静でいられる者など、世界中を探したところでそうはいないだろう。


【封神四家】の人間といえど、それは例外ではなかった。


 気の弱い者であれば呼吸が止まるほどの威圧、重圧、重苦しい存在感。


 誰もが思わず、殺されると直感しただろう。


 瞬間、冷静さを失った者たちが反射のように動き出す。


 部屋の四隅で結界を展開していた者たちが、アイザックたち【封神四家】の当主たちが、それ以外の四家の者たち、あるいは彼らに仕える者たちが、恐怖に顔をひきつらせながら、この場に現れたアーロンという「敵」に対して、排除という行動を選択していく。


 何かを考えてのことではなかった。


 それは自分たちの命を、あるいは当主の命を守るために訓練された結果の、そして何より恐怖による自衛行動の、反射的な行動だった。


 だが、その選択は悪手だ。


 四隅にいた術者たちが杖の先をアーロンに向け、当主含む四家の者たちが一瞬でストレージ・リングから杖を取り出す。


 しかし、そんな行動を起こした瞬間に、アーロンは全ての行動を終えていた。



 ――――ドォオオオオオオオオオオンンン……ッッ!!!



 と、黒い雷が迸った。


 黒雷は四隅にいた術者たちに襲いかかり、一瞬の停滞もなく展開されていた結界を砕き、壁に大きな穴を穿ちながら四人の術者たちを室外へ吹き飛ばした。


 轟く巨大な雷鳴は他の者たちの身を居すくませ、硬直させる。


 そして迸る黒雷が晴れた直後、その場にいた者たちは更なる驚愕に息を呑んだ。


「「「――――ッ!!?」」」


 ――黒いオーラソード。


 無数の黒いオーラソードが、いつの間にか、攻撃の意思を見せていた者たち全員の喉元に切っ先を向けて、静かに浮かんでいたのである。


「ぎぃいッ!? ぐぅうう……ッ!!?」


 と、苦痛の呻き声があがった。


 見れば、アイザックの右肩を黒いオーラソードが貫いていた。その肌には首筋から頬にかけてを侵食するように、植物の根か血管のような、黒い筋が幾筋も走っている。おそらく服の下では、もっと広範囲に「根」が走っているだろう。


 リングから取り出した杖を床に落としたアイザックは、オーラソードが突き刺さった付近を左手で抑えながらも、苦痛に冷や汗を流しながらアーロンに視線を向けている。


 当主としての矜持か、はたまたそれ以外の理由によるものか、苦痛にのたうち回ることもない。


 そして、オーラソードを突きつけられた他の者たちも同様に、身動ぎ一つすることはなかった。


 再び戻ってきた静寂の中、アーロンが再度、口を開く。



「――――おい……殺すぞ……?」



 怒りや殺意に煮えたぎった声ではない。


 平坦で、感情の窺えない声音。


 だが、それだけに不気味な予感を覚えざるを得ない。返答を、対応を少しでも誤れば、【封神四家】の当主という立場さえアーロンを思い止まらせる理由にはならないだろう。そう確信してしまうほどの、張りつめた空気。


(反応、できなかった……!!)


 そんな中、アーロンの横に座っていたルシアは、内心で驚愕していた。


 ルシア・アロンは――――強い。


 かつて持っていた「神降ろし」と「可能性知覚」、二つの能力こそ失ってしまったものの、その対人戦闘の経験値は決して少なくない。それに今は「邪神の右腕」に供給される無尽蔵の魔力と、ナノマシンによる頭脳、身体能力の強化もある。使える魔法が空間魔法だけになったとはいえ、今のルシアを超える強者などほとんどいないはずだ。


 そのルシアをしても、アーロンの動きに反応できなかった。


 アーロンは右腕を肩の高さに掲げ、無造作に振り抜いた姿勢で立っている。その手の先には重属性武器――フィオナの記憶によれば、「黒白」という名の剣――を握っていた。


 つまり、術者たちが杖を向け、当主たちが杖を取り出す一瞬の間に、アーロンは同じくリングから剣を取り出し、剣を振り、そしておそらくは二つの剣技を放ったことになる。


 黒い雷を放つ技と、黒いオーラソードを飛ばす技の、二つだ。


 ルシアの動体視力は、アーロンが剣を振った瞬間を確かに捉えた。しかし、全く同時と言っても良いほど遅滞なく放たれた二つの技には見えたとしても対応できない。単純に、こちらが動くよりも、あるいは魔法を発動するよりも、アーロンが技を放つ方が速いからだ。


 その事実に、思わず背筋を震わせる。


(しんじられない……デバイスの補助がないのに、神代の戦士たちを遥かにこえてる……!!)


 ルシアは【邪神】と戦った数多の神代の英雄たちの、その強さを知っている。さらに言えば、それら英雄たちの頂点に立つのが、かつてのルシア・アロンという存在、あるいは彼女の姉妹たちであったのだから。


 その神代の英雄たちは、現代の戦士たちと比較しても強かった。アーロンやローガンなど、一部の者はなぜか英雄たちの領域を超えているが、それでも神代の英雄たちの強さは極めて高い水準にあった。


 それは彼らがブレイン・サポート・デバイスを持ち、それによってオーラや魔力の制御を補助していたからでもある。


 だが、そんな物などないアーロンは、独力で英雄たちを超えた域にあった。


 その不条理なまでの強さに、ルシアは希望を抱く。やはり今ならば、【邪神】を殺せると。


(でもいまは喜んでいる場合じゃない。アーロンをとめないと……!!)


 四家の重要性は薄れたとはいえ、その社会的、国際的地位は非常に高い。これから【邪神】を討伐しようという時に、彼らを殺害して、アーロンを世界的な大犯罪者にするわけにはいかなかった。


 今、アーロンがアイザックを殺せば四家、ギルド、≪木剣道≫での協力体制の構築は絶望的になり、四家や評議会としてはアーロンを捕まえようと動かないわけにはいかない。


 アーロンならば返り討ちにすることも逃げることも、どちらでも可能だろうが、それでは【邪神】への対処が疎かになる。


(いまのアーロンをとめられるのは、フィオナくらい……!!)


 と、アーロンから視線を逸らし、反対側に座っているフィオナに視線を向ける。アイザックの言葉に相当なショックを受けているだろうが、それでもこの場はフィオナに縋るのが、アーロンを落ち着かせるためには一番可能性の高い選択だ。


「フィオナ――」


「……はわぁ……!!」


 しかし振り向いた次の瞬間、ルシアは悟った。


(あ、だめ……!! 完全にメスの表情をしている……!!)


 フィオナは立ち上がったアーロンを、乙女な顔をして見上げていた。


 アーロンが誰のためにこんなことをしているのかを考えれば、それは無理もないのかもしれなかったが、ルシアとしては最大の希望が失われた形だ。こちらの声も聞こえていない。


 ならばと、今度は微かな可能性に縋り、イオに視線を向ける。


 仲間であるイオなら、止められずとも、アーロンを多少冷静にさせることができるのではないかと思ったからだ。


「イオ、アーロンを、とめてほしい……!!」


 その言葉に、イオは「ふむ……」と呟いた後、さして考え込んだ様子もなく、答えた。


「……【封神四家】のなさりようには、私も些か不信感を覚えている。それに先ほどウチのクランメンバーに対して行われた発言は、到底看過できるものではない。彼女は今回のスタンピードでも『核』を討伐するという、一探索者としては過大すぎる戦果をあげている英雄だ。その彼女に対して、あの発言はいかがなものか……正直、四家に味方する理由が見当たりませんな」


「…………!!」


 それはそうだ。イオの発言はまったく当然のものだと、ルシアでさえ思う。


 それにイオは、四家の事情で友二人の社会的立場が絶望的なものになってしまってもいる。最初から思うところはあったのだろう。


 反論の言葉を失ったルシアは、しかしならばと、今度はイオの隣のガロンに視線を向けた。


「ガロン、アーロンを、とめてほしい……!!」


「ルシア様…………はい」


 一応はキルケーに仕える立場であるガロンは、主人であるアイザックが今まさに危機に陥っていることもあってか、苦虫を噛み潰したような顔ながら頷いた。


 すぐにアーロンへ顔を向け、口を開く。


「アーロン、ここで四家と敵対しても、その後が困るだろう。世界中を逃げ回る生活でもするつもりか? ここは矛を収めて、話し合いで解決しないか?」


「――――あ?」


 アーロンは殺気の籠った視線でガロンを射貫いた。


 しかしガロンは表情を微塵も変えず、「そうか、分かった」と頷いて、それからルシアに顔を向けた。


「――――無理でした」


(あきらめが早すぎる……っ!!)


 主人のピンチなのだからもう少し粘っても良いのではないかと思わないでもなかったが、もしかしたらガロンにも思うところがあるのかもしれない。


 だが、まだだ――と、ルシアは最後に残った一人へ視線を移す。


 曲がりなりにも、アーロンはガロンの言葉を聞いてはいた。希望的に考えれば、仲間の言葉ならば、最低限、聞く耳は残っているのだろう――と。


「グレン、アーロンを――――」


「Zzz……」


「…………」


 グレンは、ソファに横になり、だらしない顔をして眠っていた。いったい何時から眠っていたのだろうか。あれだけの轟音があったのに起きないとは、ある意味大物すぎる。


 ルシアはグレンに頼ることを止めた。


(やはり、さいごに頼れるのは、じぶんだけ……)


 それにまだ、アーロンが完全に我を失ったわけではない。それは今もアイザックが殺されていないことから、確実だ。


 もしもアーロン自身、四家との協力など本当に不要だと考えていたならば、アイザックが失言した瞬間に首をハネていただろう。


 逆に言えば、今もそうしていないのが、僅かな理性を残している証拠でもあった。


(だいじょぶ……アーロンは、おそらく理解している)


 アーロンの戦いに関する嗅覚は鋭い。ゆえに四家を敵に回せば、様々な理由からフィオナが今以上に危険な状況に追い込まれると、理解――いや、直感しているのだろう。だからこそ、ぎりぎりで踏み止まっている。


 ――怒りも、自制も、全てはフィオナのためだ。


 ルシアはソファから降り、アーロンの上着の裾を摘まむように握った。


 それからこちらを見ないアーロンの顔を見上げつつ、説得の言葉を吐き出した。


「アーロン、フィオナに手はださせない。それに、フィオナが死んだらまずい理由もある」


 それはアーロンだけではなく、妙なことを考えさせないよう、四家の者たちに向けた言葉でもあった。



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