第138話 「全て無駄だ」
「あの表情は傑作だったな」
転移魔法によってローガンたちを地上へ送った後、『魔導師』ことノア・キルケーは白い部屋で一人、呟いた。
転移魔法が発動する直前、ローガンに伝えた感謝の言葉は、半分は本当だがもう半分は違う。あれはローガンたちに対する嫌がらせでもあった。
「まあ、あれで大人しくなるとは思えないけどね」
それくらいの覚悟であれば、最初から何もしようとは思わないだろう。そんなことは分かっている。だからこそ、ただの嫌がらせに過ぎないのだ。
「気づかれていないとでも思っていたのか、それとも気づかれていても構わないと思っていたのか……」
実のところ、ノアはローガンたちが心底クロノスフィアの目的に同調しているわけではないことを知っていた。それどころか密かに四家と共謀している裏切り者であることも。
その証拠に、ローガンは組織に所属してから短い期間に『魔導師』が求める四家直系の血を集め、他にも様々に貢献を果たしてきたが、この転移陣が設置されていない地下施設から住居を移されることはなかった。
最初から信用などされていなかった――ということだ。
「この組織は飽くまで、四家のための組織だからねぇ」
秘密結社クロノスフィア。
この組織には今でも数百人の構成員がいるが、その中核を成すのは『神殿長』『魔導師』、あるいはアイクルをはじめとして、その全てが【封神四家】の人間に限られる。最初期から組織に参加していたエイルでさえ、明確に一本線を引かれているのだ。
ノアたちからしてみれば、自分たち四家以外の構成員など、使い捨ての駒に過ぎない。
なぜなら彼らの多くは、かつて≪迷宮踏破隊≫に潜入していたジューダスたちのように、人間の常識を超えた『適合者』の力や、【神界】に保存されている様々な知識、技術、有形無形の神代の力というエサに釣られて組織に参加しているに過ぎないからだ。
ノアや『神殿長』からすれば、いつでも、好きな時に使い捨てられる道具程度の認識でしかない。
それに――ローガンを信用していなかったのは、それだけが理由でもない。
「四家直系を離反という形で連れて来たのは、覚悟が温すぎるという他なかったな。まあ、それがローガンたちの覚悟なのか、日和見な当主殿たちの意向だったのかは知らないけどね」
ノアが【封鍵】複製のために欲した、四家直系の血筋。
カドゥケウスの【封鍵】は『神殿長』が所有していたし、キルケーの【封鍵】はノアの血から複製することに成功した。だからアロンとグリダヴォルの血が必要だった。
グリダヴォルの直系だけはクロノスフィアに参加していなかったし、生物学上、アロンの直系はアイクルがいたが、【封鍵】の複製には「当主となるべき者」の遺伝情報登録が必須である。この条件のせいで、アイクルの血は使うことができなかった。
「彼女の遺伝情報を参照されたら、間違いなく弾かれるからねぇ。何しろそのものだし……」
とにもかくにも――そんなわけで二家の血が必要だったクロノスフィアだが、【封鍵】を複製するに足る直系の血筋は、さすがに警備が厳重だった。何しろそれは、次の当主候補である事と同義だ。
そんな者たちを殺すでも拐うでもなく、クロノスフィアに寝返るという形で連れて来たのは、ローガンたちが四家と共謀していることを確信させるに十分な事実だろう。
ローガンたちが殺したくなかったのか、四家の当主たちが死なせたくなかったのかはともかく。
「ある意味、僕らを信用させるために差し出したんだろうけど、逆効果だったね」
そもそも、クロノスフィアは四家側の内通者が紛れ込むことなど最初から織り込み済みの組織だ。その上で【神前契約】で縛っているのだから、内通者とて大したことはできるはずがない。
むしろ、今回のローガンたちのように、必要な「素材」を集めるのに利用されるくらいだ。
「とはいえ、ローガンは少しばかり強くなりすぎちゃったからなぁ……」
ノアは天井を見上げながら、遠い目をして改めて考えを巡らせた。
「上位の権限を持つ僕なら、契約を利用して一方的にローガンを攻撃できるけど……『神殿長』もアイクルも使うと言っているし、勝手に処分するわけにもいかないか」
今回のスタンピードでローガンに与えられた命令は、スタンピードに対処する軍や騎士、探索者たちの妨害……ではなく、「アーロン・ゲイルの殺害または足止め」という酷く限定的な役割だ。
「っていうか、アーロン君に怒り心頭なアイクルはともかく、『神殿長』まで彼の排除に賛成するのは意外だったな……どうせ何もできやしないのに……まあいいや」
一度首を傾げて――しかし、気を取り直すように思考を元に戻した。
ローガンには他に、クロノスフィアのスケープゴートとしての役割もあるが、それら以外の意図的な行動を起こすことは、契約によりできない。
「……ローガンたちが僕らを止めようとしているのなら、そのための方法は二つ。一つは複製した【封鍵】の奪取または破壊」
【封鍵】が無ければ、【封神殿】の機能を停止したところで【神骸】を取り出すことはできない。そのため、クロノスフィアは目的を果たすことができなくなる。
「だけど、【封鍵】複製の手法は確立した。奪われたところでもう一度作り直すこともできる」
ゆえに、【封鍵】を奪われたところで、クロノスフィアの活動を止めることはできない。ほんの少し、時間を稼ぐことができる程度だ。そもそも、ローガンたちが自ら【封鍵】を奪うような行動は契約により起こせないのだが。
「それはエイルなら理解しているはず。となると……やはり【神殿】の破壊しかあり得ないけど」
【神骸】を利用するために建造した超大型魔道具たる【神殿】は、その素材の稀少さからもすぐに作り直すとはいかない。一応保険はかけているが、【神殿】を破壊されれば、再建にはかなりの時間と資金と労力を要する。
「だが、【神殿】を破壊するのは不可能だ」
ローガンならば確かに【神殿】を壊すには最適な人選だが、すでに契約で縛られている。それをどうにかする方法があったとしても、【神殿】の場所へ転移できるのは自分と『神殿長』の二人しかいない。
「……いや、転移できる目処が立ったのかな?」
空間魔法の使い手であれば、カドゥケウス家の敷地内から地下の転移部屋を十八ヶ所経由して、【神殿】のある深度まで【空間感知】を伸ばすことができるだろう。ただ、転移部屋を経由して【神殿】へ辿り着くルートは、カドゥケウス家の敷地内からしか行けないようになっている。
また、それらをどうにかしたとしても、
「そもそも【神殿】を守るのは『神殿長』の役目だ。辿り着けたところで、壊すのはどう考えても不可能だろう」
神の守る神殿を、人間ごときがどうやって破壊するというのか。
「……うん、やっぱり問題はないね。ローガンたちが今更何をしようとも、全て無駄だ」
唯一、計画が失敗する可能性があるとしたら、やはりそれは、迷宮最奥からの【神骸】持ち出しに関することだろう。
邪魔するとしたら、おそらく――、
「二度目だし、すぐに来るかもしれないな」
久しぶりに自らの父のことを思い、ノアはひどく不機嫌そうに顔をしかめて吐き捨てた。
「父上たちの日和見主義は、もう病気だな」
四家の当主たちは、クロノスフィア神の寿命はまだ数百年の猶予があると見ている。しかし実際のところ、そんな猶予はない。
時間ではない。当のクロノスフィア神から聞いたのだ。
あと一回だ。
「あと一回、肉体を入れ換えればクロノスフィア神は数年で限界を迎えるというのにね」
肉体の入れ換えは神自身にも負担が大きい。依り代となった肉体の自我はクロノスフィア神に統合される。結果として依り代の自我は消えるが、クロノスフィア神に何の影響も及ぼさないわけではない。
次で自我は確実に崩壊するとクロノスフィア神は言った。
当主たちが考えるように、もはや猶予などないのだ。
「……でも、あと少しで終わる」
世界の平和などという下らない目的のためではない。
【封神四家】という呪われたシステムから解放されるという、ノアの本当の願いのために。
「…………」
物思いから我に返り。
次の瞬間――彼は転移した。
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