第137話 「数百年で、世界を発展させる」


 核心を突くローガンの問いに、だがエイルが答えたのは解決策ではなかった。


「……実際のところ、クロノスフィア神がいつ限界を迎えるのかは、誰にも分からない。何せ、あの神が狂い始めてから、もう数百年経っているんだ。……ならばまだ数百年、猶予はあると四家は考えている」


「……何もしないつもりか?」


「――そんなわけがあるかッ!!」


 今日初めて、エイルが激しい感情を見せた。


 火が着いたように怒り、だが、すぐに怒鳴ったことを恥じるように顔を伏せる。


「……四家はこの問題を何とかしようと動いている、今もだ。ただ、それには酷く時間がかかる。お前から見れば迂遠にも感じるだろう。だが、【神骸】を利用しないのならば、これしか手はない」


「……それは?」


「クロノスフィア神が限界を迎えるまでの数百年で、世界を発展させる。……かつての神代と同じくらいに」


「…………それは」


 言葉もないとはこの事か。ローガンは絶句した。


 それは事実上、無策にも近い行為ではないかと思えたからだ。可能だとも思えない。


 エイル自身も不安に思っているのだろう。苦々しい表情を浮かべながらも、しかし続ける。


「四家は百年ほど前から、技術発展を見込める幾つもの分野に資産を投資している。人類の技術レベルを上げ、文明を発展させるためにだ。……ローガン、聞いたことはないか? 最近、四家の財力が目減りしているという噂を」


「まさか……(アイザック様の悪癖のせいではなかったというのか……)」


「そうだ。四家は莫大な収入の内、大部分を形振り構わず新技術開発のために投資している。そのお陰でこの百年、幾つもの技術的革新があった。印刷機、飛行船、鉄道、魔導機関動力による大型船舶の開発、教育機関の整備……間違いなく、世界の発展は促進されている」


 言われてみれば、確かに百年前と今では世界の技術レベルは大幅に進歩したと言えよう。その進歩の速度は、それまでの数百年とは比較にならない速度だ。


 しかしながら、それがあと数百年で神代の領域に至るかと言われると、学問に詳しくないローガンですら、到底不可能なのではないかと思える。


「そうして発展させた技術力をもって、クロノスフィア神の正常化や、あるいは空間魔法以外による封印方法の確立、【神骸】の消滅方法などを見つけようとしているのだ」


「……」


 ローガンは気づいた。クロノスフィアに参加しているという【封神四家】の離反者たちが、なぜそうしたのかを。『魔導師』――ノアがクロノスフィアになぜ与しているのかを。



 ――絶望感、なのではないか?



 近い将来、確実に訪れるだろう決定的な破局を前にして、【封神四家】は有効な手を打てずにいる。このまま解決できるという保証はなく、何も有効な手がないという絶望。


 だが一方で、【神骸】を利用して無事で済むかという懸念も分かる。


 四家としては許すわけにはいかないのだ、そんな方法は。


 だから両者は対立しているし、決して協力し合えない。それでいて四家の立場としては、元凶のクロノスフィア神を討つこともできないのだろう。なぜなら神を欠けば封印に必要な空間魔法が失われるのだから。


「……どちらが善い、悪い、ではないか」


 ローガンは呟く。


 これはそんな、単純明快な話ではない。どちらも必死なのだ。どちらが間違っているかなんて、きっと結果が出てから初めて判断できるようになるような――これはそんな問題。


「人生というやつは、実にやるせないね」


 人生には正しい答えのない問題が多すぎる。それでも何かを選ぶしかない。


「ローガン……お前はどうする? ……クロノスフィアに入った後で聞くのも卑怯だろうが、聞かせてくれ。俺や四家の考えに賛同できないというのなら、協力しなくても構わない」


 エイルの問いに、しかしローガンは笑った。


「君たちに協力して、結局ダメでした……なんてことになったら、後世、私はきっと世界を滅ぼすきっかけを作った大罪人一派の一人として、とんでもない悪名を背負うことになるのだろうな」


「…………そうだな。すまない……」


「まあ、悪名を背負うのは成功したところで同じか。……エイル、私は君に協力しよう」


「良い、のか……?」


「そんな顔をするな。そもそも世界が滅ぶかどうかなんて話、四家だけに責任を負わせるのも酷だろう。本来なら、全人類が当事者のはずだ。ならば私も当事者の一人として、自分が信じる選択をしよう」


 ローガンはベッドの上からエイルに向かって手を差し出した。


 エイルは戸惑いながら、その手を握り返す。


「よく知りもしない神や話したこともない者たちよりも、私は友の言うことを信じる」


「そうか……ローガン、感謝する」


 二人ともが笑って。


 それから、ローガンはふと問うた。


「そういえば、君はなぜそこまでする? カドゥケウス家に幼い頃から仕えているのは聞いているが、四家や分家、代々四家に仕える家系というわけでもないのだろう?」


「お前に言われたくはないが」


 と、友人の一言でクロノスフィアに寝返ったローガンに苦笑して、「そういえば、これは言っていなかったな」とエイルは告げる。


「ジルバ様は若い頃、それはもう女性関係にだらしないお人でな」


「――は? いきなり何の話だ?」


「あちらこちらに婚外子を作っていたわけだ。まあ、だからといって金眼が発現するわけでもない。そういう者たちは四家の一員にはなれなかったが、あの方は情のないお人ではない。何不自由ないほどの経済的援助をして、ごく稀には会いに来てくれることもあった。父親というよりは、たまにプレゼントを持ってやって来るおじさん、といった感じだったが」


「まさか……」


「幼い頃に母を亡くしてな。それ以来、使用人見習いとしてカドゥケウス家に引き取られたんだ」


 ローガンは思わず目を丸くしてエイルの顔を見返した。


 今日は色々なことを聞いたが、ローガンにとっては間違いなくそれが一番の驚きだった。


「あの人は、俺の父親だ。だから……父親の最期の頼みを叶えてやりたい。……息子として」


「なるほど。それは……十分な理由だな」



 ●◯●



 そして時は戻る。


「では、行こうか」


「ああ」


 最後の準備を終えたローガンとエイルは、連れ立って部屋を出た。


 真っ白な長い廊下を歩き、この地下施設の最奥――大きな広間に入る。そこには地上へ送ってくれる四家の術者が待っている手筈だった。


 そして予定通り、真っ白で何もない広間の中には、金糸で刺繍の入ったローブを身に纏い、金属製の長杖を携えた術者が一人で待っていた。


 金髪金眼、端整な顔立ちをした青年。


「『魔導師』……」

「ノア様……」


「やあ、二人とも、待っていたよ」


 ノア・キルケー。


 彼に近づき、ローガンは口を開いた。


「あなたが上に送ってくれるのですか?」


「ああ。君たちは地上班……足止め役だろ? 探索者に四家の騎士団、四家の術者たちに治安維持軍に加えて、おまけにスタンピードの魔物たちも襲ってくるはずだ。……もしかしたら、もう会う機会もないだろうからね」


「……」


「……」


 ローガンはノアと視線を合わせた。


 実のところ、会話の機会ならばすでに何度かあったし、実際に何度も話している。しかし、クロノスフィアで再開してから本音で語り合ったことは一度もない。ローガンはこの組織に潜入し、その目的を打ち砕こうという裏切り者だからだ。


 だから以前のように親しい態度で二人が会話することはなかった。


 それでも、最後かもしれないならば、聞きたいことがあった。


「……エイルから聞きました。次の人柱のこと」


「へぇ」


 クロノスフィア神を存続させるための人柱、生贄。


 それは誰でも良いわけではなかった。四家の人間の中でも、もっともクロノスフィア神と相性の良い者が選ばれる。


 最前の人柱はジルバ・カドゥケウスだった。だが、もしもジルバの肉体が限界を迎えた時、次の人柱に選ばれるのは――。


「あなたは……お嬢のために?」


 ノアは感情を窺わせない顔で微笑んでいる。


「さあ? どうだろうね? ……でも、そうだとしても、それだけが理由じゃないのは確かだよ」


「…………上へ」


 聞きたいことは聞けた。


 やはりそうなのだ、と確信を抱いて――、


(真に人でなしなのは、私の方か……)


 胸中に苦いものが込み上げる。自分はノアの願いを叩き潰す立場であり、それは人柱による更なる「犠牲者」を増やす選択肢であるのも、間違いのない事実だったから。


 それでも引き返す選択肢はない。ローガンは自分たちの選択が正しいと信じる。


「了解だ。いってらっしゃい、二人とも。健闘を祈るよ」


 ノアは杖を翳し、転移魔法を発動する。


 ローガンたちが魔力に包まれ、転移が発動する直前――、


「――僕がいない間、あの子を守ってくれてありがとう、ローガン」


「……ッ!?」


 そして二人は転移した。



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