第122話 「我が蛮行を赦したまえ」


 クロエがゼパルディアの別荘で忽然と姿を消してから、三週間が経った。


 エヴァ嬢が色々と調べてみたようだが、クロエの消息はいまだに不明だ。カドゥケウス家が秘密を知ったクロエを始末、または監禁している可能性もある。


 しかし、クロエが消えた日から数日、カドゥケウス家も慌ただしく人を動かしていたようなのだ。


 それがクロエを探すためなのか、あるいは周囲に捜索していると思わせるブラフなのかは分からない。だが、ブラフにしては些か動きが慌ただしい――というのが、エヴァ嬢の結論だった。


 希望的観測に従えば、クロエが無事である可能性はある。


 だからといって俺たちに何かできるわけでもない。クロエがどこにいるのかは、エヴァ嬢の情報網を持ってしても探ることはできなかったのだ。


 クロエの無事を祈りつつも、俺たちは来る迷宮踏破の決行日に向けて準備を進めるしかなかった。


 この三週間でさらに準備は進み、【神骸迷宮】47層のマップもほとんど埋まりつつある。


 あとは一週間後に最後の結界魔道具が完成すれば、クランメンバー全員とギルドの斥候部隊で長期間迷宮に篭ることができるようになるだろう。


 なので、今日はそのために必要な、最後の仕上げだ。


 斥候部隊を借りるのは、【封神四家】に情報が漏れないよう、できるだけギリギリで行うつもりで後回しにしていた。それを今日、行うことになったのだ。


 時刻は深夜。


 仕事終わりのギルド長を、俺たち≪木剣道≫の工房に案内し、そこで斥候部隊を貸してくれるように「説得」する。


【封神四家】に気取られないよう、工房に案内するのも人目のない状況で行うのが好ましい。


 しかし、人目を忍んで工房まで来てくれと言って、あのギルド長が素直に来てくれるだろうか?


 ――うん、そうだね、もちろん来てくれないね。


 だからといって無理矢理拐おうとすれば抵抗されるだろう。今は老いぼれとはいえ、奴は元最上級探索者だ。実はネクロニアで最初に35層を突破したのは、あのジジイなのである。


 今でこそ巨人王ノルドの舐めプという致命的な弱点は周知されているが、ジジイが若かった頃はそんな弱点は知られていなかった。それを弱点を突くのではなく、正面からの殴り合いというストロングスタイルで突破したのが、あのジジイなのだ。


 老いたとはいえ侮ることはできない。


 拐おうとすれば隠せないほどには激しく抵抗されるだろう。できればそれは避けたいところだ。


 つまり、ジジイを工房に案内した後に拘束するのが、やはり最上ということになろう。


 権力者の犬であるジジイは俺たちを警戒している。奴が大人しく工房まで足を運んでくれる可能性は皆無だ。


 だが、この不可能を可能にするスペシャルな人物に、俺たちは心当たりがあった。



 ――うん、そうだね、エヴァ嬢だね。



 ●◯●



 ――というわけで時刻は深夜、ようやく仕事を終えて外へ出たギルド長を待ち伏せ、エヴァ嬢の転移魔法で工房へ移動。


 さすがに瞬時に警戒体勢を取ったギルド長に軽く抵抗されつつも、多少の物音を気にしなくて良いなら、ジジイを拘束することなど朝飯前だ。


 奴をぶん殴って気絶させたところでいつかのクロエと同じように椅子へ拘束し、現在。


「貴様らぁッ、何のつもりだぁッ!!」


 工房にいるのは禿げ頭を茹で蛸のように赤くしたギルド長と、


「まあ、落ち着けよジジイ」

「ギルド長、大人しく話を聞いてもらいたい」

「…………」


 説得役の俺とイオ、そしてとある理由から協力してもらうガロンに、


「あの、私はもう帰ってかまいませんかしら?」


 どこか呆れた様子のエヴァ嬢の、計五人だ。


 とはいえエヴァ嬢の役目はもう終わったから、すぐに帰ることになるんだが。


「ああ、助かったぜエヴァ嬢。さすがの手並みだったな」

「以前よりも、さらに腕を上げたようですな、お嬢」

「お疲れさまでした、お嬢様」


 俺たちは口々にエヴァ嬢へ労いの言葉をかけた。


「さすがの手並みとか、やめてくださいません? 嬉しくないですわよ」


 そう呆れながら返しつつ、エヴァ嬢はため息を吐いて帰っていった。転移で。


 野郎共しかいなくなった空間で、俺は「さて」とギルド長の方へ振り向く。


 工房内は備え付けの照明は消されており、光源は作業台の上に置かれた野営用の魔道ランタンが一つだけで、かなり薄暗い。


 拘束されているギルド長にしてみれば、かなり不気味な空間のはずだが、奴は不安など微塵も窺わせない表情でこちらを睨んでいた。


 今も全身に力を入れて縄を切れないか試しているようだが、首にはアンチマジック・リングが嵌まっているため、それは不可能だろう。


「率直に言うぜ。ギルド長、俺たちにギルドの斥候部隊を10人ばかし貸してくれ。もちろん、上から順に腕利きをだ」


 遠回しな話は一切なしだ。


 俺は真正面から要求した。


「なにぃ? 斥候部隊だと? ……お前ら、やはり迷宮を攻略するつもりか」


「そうだ」


「ふんっ、できると思ってるのか?」


 こちらをバカにするような顔でジジイが言う。


 よし、しこたまぶん殴ろう。俺は拳を振り上げた。


「待てアーロン」


「イオ、なぜ止める」


「暴力に訴えるのはまだ早い。せめて返事を聞いてからだ。殴るのはいつでもできるだろう?」


「……チッ」


「おい貴様らッ! 容易く暴力に訴えようとするんじゃない!! どこのチンピラだ!!」


 俺はジジイの言葉を聞き流し、振り上げた拳を下ろした。


 まあ、いい。説得の仕方はすでに決めてあるからな。暴力なんて使う必要すらない。いや、むしろ暴力なんて優しすぎる。


 ともかく、話を進めよう。


「おいジジイ、貸すのか貸さねぇのか、どっちだ?」


「阿呆、貸せると思うか? そんなことが四家バレてみろ! お前たちの探索許可証が取り上げられるだけでは済まん! お前たちが破滅する分には構わんが、俺まで巻き込むな!!」


 ここまではまあ、予想通りだ。


 イオが説得を続ける。


「私たちが迷宮を踏破すれば、四家はギルドを責めるどころではないでしょう。逆に四家の弱味を握ることもできるのですよ? ギルドにも旨味はあると思いますがね?」


「そりゃ踏破できればの話だろうが。現実味がなさすぎるわ」


「ふむ……」


 俺はイオと顔を見合わせた。


 予想はしていたが、やはりこうなるよな。


 ここからどれだけ言葉を尽くしても、ジジイの考えが変わるとは思えない。ならばやはり、当初の予定通りに「説得」するしかないか。


 俺は覚悟を決めると、おもむろに手を組んで祈り始めた。


「天にまします大いなる神々よ、願わくば我が罪を、我が蛮行を赦したまえ……」


 木剣の神を始め、魔法の神、戦士の神、商人の神、職人の神……ありとあらゆる神々に真摯な祈りを捧げる。


 なぜかって?


 それは……これから行う「説得」が、俺でさえ良心の呵責に耐えかねるものだからだ。


「お、おい、何を祈ってる……?」


 なぜか祈り始めた俺に、ジジイが戸惑った声で問う。


 俺はそれに答えず、ストレージ・リングからとある物を取り出した。


 それは一人用の小鍋だ。


「鍋……?」


 いよいよ首を傾げるジジイの目の前で、俺は小鍋を作業台の上に置いた。



 ――ドズンっ。



 小さな見た目に反して、小鍋はそんな重苦しい音を立てる。


「な、鉛でも入ってんのか……?」


 ジジイがそう勘違いするのも分かる。だが、残念ながら中身は鉛ではない。


「いいや」


 俺はゆっくりと小鍋の蓋を開けて、答えを教えてやった。


「これは……スープだ」


 そこには絵の具を溶かしたのかというほど鮮烈な赤色をした、ペースト状の「スープ」が入っていた。



「いや!? どう見てもスープじゃないんだがッ!?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る