第78話 「頭だけが冷え、冴えていく」


 我流戦技――【空歩瞬迅】


 落下を始めた偽天使に向かって一連の攻撃行動を終えると、虚空を蹴りつけ宙を駆けた。


 全身から放っていた光を失い、苦悶の表情を浮かべて地上へ落ちていくフィオナを空中で捕まえると、腕の中に抱え込む。


 フィオナは薄目を開けて俺を見上げたが、口を開ける状態にはないようだった。


 それでも口を開こうとするフィオナに声をかける。


「分かってる。喋らなくていい」


 フィオナの症状には覚えがあった。


 胸を押さえている両腕は、しかしほとんど力が入っていない。苦痛を感じれば自然と体の各部は緊張してしまうものだが、それすらできないようで、全身が脱力状態にあった。


 明らかに魔力枯渇の症状だけではない。


 アレを使った後の俺と、ほとんど同じ症状だ。ならば対処の仕方も同じだろう。


 そう判断して、俺は足裏からオーラを放って減速した。できるだけ衝撃を殺すように長い距離をかけて速度を殺し、雪上に着地する。


 舞い上がった雪が晴れるのももどかしく、すぐにフィオナを雪の上に寝かせると、ストレージ・リングからポーションを取り出した。リングに入っている中でも最上級の治癒ポーションだ。


 右手でフィオナの頭を支え、左手でポーションの栓を飛ばして口許に飲み口を宛がう。


「フィオナ、飲め」


 口の中にポーションを流し込むと、フィオナは苦しそうに嚥下する。何度かに分けて全て飲み終えると、ほおっと息を吐いた。


 だが、これで終わりではない。


 治癒系ポーションを経口摂取した場合、徐々に全身の傷が治癒していくが、その治癒速度は何処の傷でも一律だ。それに治癒速度は比較的ゆっくりになる。


 フィオナの戦闘中、所々、舞い上がった雪や偽天使の魔法で見えない場面があった。放出系魔法以外は回避していたようにも見えるが、断言はできない。


 ざっとフィオナの体を確認してみたが、一見して傷はないように見える。しかし、油断はできなかった。光が消えて無傷に見えても、突然傷が開く可能性がある。アレが俺のと同じ技なら、だが。


 俺は念のため、新しいポーションを取り出した。


「冷たいが、我慢しろよ」


「ぇ……?」


 告げると、新しく取り出したポーションをフィオナの体に流しかけていく。


「んっ…………つめ、た……」


 首元から胸、腹部、そして太い血管の通っている足の付け根から太ももへと、粘性のあるポーションが滑らかな肌の上を流れていく。


 1本では足りないので、計3本のポーションをかけた。


 本当は背中側にもかけた方が良いのだが、そんな暇もない。とりあえずはこれで大丈夫だろう。


 俺はストレージ・リングからコートを取り出して、それでフィオナの体を包み、その場に寝かせた。


「アー、ロン……ごめ……」


「あん?」


 そうしていると、なぜかフィオナが弱々しい口調で、謝罪の言葉を口にしてくる。


「わた、し……魔力、が」


「ああ、分かってる。魔力切れだろ」


「あい、つ、倒し……きれな……」


「気にすんな。あそこまで追い詰めりゃ、もうほとんど倒したようなもんだろ。――頑張ったな」


「どう、す……?」


「まあ、イオやガロンの手助けがあればどうとでもなるが……ま、俺だけでも十分だ。お前のおかげで倒し方も分かったしな」


「…………?」


「ここで休んでろ。さっさと終わらせて来るから」


「ん……」


 フィオナは微かに頷き、目を閉じた。


 俺は横に置いていた黒耀を握ると立ち上がり、少しばかりフィオナから離れた。【瞬迅】で上空へ跳び上がろうとして。


 だが、その前に。


「――はぁああああああああ……」


 長く深い息を吐いた。


 フィオナが、とりあえずは無事だったことには、もちろん安堵している。しかし、このため息は安堵のため息ではない。


 ――怒りだ。


 まんまと偽天使に転移させられ、危機を招いてしまったことに対して、自分を責める気持ちもある。だが、それ以上に、単純に、偽天使に対して怒りを感じていた。


 俺は魔物に対して怒りを覚えることは、ほとんどない。


 それがどうしようもなく意味のないことだと、身に染みて理解しているからだ。だが、時には怒りに呑まれることもある。


 たとえば、大切な友達3人が、死んだ時とか。


 憤りをぶつける、正当な相手が目の前にいない時とか。


 だからこれは、八つ当たりに近いだろう。


 理性を失いかねないほどの怒りをため息に乗せて吐き出してみたが、それくらいで怒りが収まるはずもない。はらわたが煮えくり返ったように熱い。心臓が怒りのためか拍動を加速する。しかしそれでいて、頭だけが冷え、冴えていくのが分かった。


 感情を制御できているからではない。


 その逆だ。


 ――どうしてやろうか?


【瞬迅】


 空へ跳び上がった。


 空中で【反響結界球】に囚われていた偽天使は、いまだそこから脱出することはできないでいた。


 結界球を壊せないから――ではない。雷鳴魔法では壊せないが、重力魔法ならば壊せるはずだ。それ以上に、そもそも壊す必要すらない。転移魔法を使えば結界球から抜けることなど簡単だろう。


 それができず、いまだに偽天使が結界球に囚われている理由は実に単純だった。


 ――攻撃し続けていたのだ。


 偽天使との戦闘、そしてフィオナとの戦いを見ていれば、さすがに気づく。


 こいつは全身が霧のような小さな粒子――血煙になるような攻撃を受けると、ある程度大きな肉体を復元するまで魔法を使うことができない。


 ならば魔法など使えないよう、常に攻撃を続け、バラバラの状態にしておけば良い。


 もちろん普通なら、そんなことはできない。偽天使だって常に警戒しているし、反撃してくる。フィオナと戦っている時に使っていたように、自分自身に重属性を付与して体の崩壊を防ぐという手もある。全身を重属性で覆うのはさすがに重くなりすぎるのか出来ないみたいだが、一部だけでも維持されれば、それだけで隙などなくなる。


 だが、フィオナに追い詰められたことで、偽天使は周囲への警戒を怠った。


 そして準備する時間も十分にあったのだ。


 俺が偽天使を捕らえるために放った【反響結界球】、その変化元となった【連刃結界】の数は――10発だ。


 膨大な数の【連刃】


 俺はその一部を伏技で【轟連刃】に変化させ、結界球の中で爆発させ続けていた。


 長く捕らえておくため、一度に爆発させる【連刃】の数は少ない。それでも爆発は偽天使の体を粉々に吹き飛ばした後、衝撃は結界球の内面に到達し、反射、増幅されることで強力な爆発と化す。消費した【連刃】の分は、結界球の半径を縮めることで穴が発生することを防いだ。


 それを絶え間なく繰り返すことで、偽天使を結界球の中に閉じ込めることに成功していたのだ。


 まあ、普通なら10発も【連刃結界】を放つ余裕などあるはずもないから、普段は使えない技だろう。


 それに閉じ込めておける時間もそう長くはない。すでに結界球はかなり小さくなっており、これを維持するのも限界に近い。爆発に【連刃】を消費するのもそうだが、爆発の衝撃を反射するのにもオーラを消耗するのだ。


 いずれは球体を維持するだけの【連刃】が尽きてしまうか、【連刃】に込めたオーラが消費されることで、結界球そのものが崩壊してしまう。


 しかし、今回はまだ大丈夫なようだった。


 偽天使を捕らえている場所まで跳躍した俺は、【飛操剣】でオーラソードを一本出すと、それを足場に着地した。


 重力に逆らって俺の体重を支えておくのもオーラを消費する。できるだけ多くのオーラを込めておいたが、1分は持たないだろう。


 だが、それで十分だ。


 1分も時間をかけるつもりはない。


 俺は右手に下げた黒耀にオーラを注ぎ、リィーンっと鈴鳴りの音が響いたところで、限界の近い結界球、それを構成する全ての【連刃】を操作した。


 我流剣技【反響結界球】変化――伏技【轟連刃】


 全ての刃を復元途中の偽天使へ向かって殺到させる。


 爆発。


 再び飛び散る偽天使の体。


 それが一つに凝集し、復元を始め、同時に魔法を使おうとしているのか、魔力を高め始めた瞬間に、俺は右手の黒耀を横に一線した。


 振り抜くよりも早く、オーラに耐えきれず黒耀は塵と化す。


 だが込められた膨大なオーラは解放され、復元途中の偽天使をオーラの檻へ閉じ込めた。


 ボビュンッ――と。


 オーラの球体内部で偽天使が血煙と化し、高速で渦巻いた。球体は完全に赤黒い色に染まった。


「……失敗か」


 剣を振り抜いた直後にストレージ・リングから取り出した、新しい黒耀にオーラを注ぎながら呟く。


 俺の観察する前で、オーラの檻は内圧に耐えきれなくなったのか、ひび割れを起こし、爆発した。


 耳をつんざく爆音。盛大に撒き散らされる赤黒い霧。


 それが再び一点に集束し始める。ただし、


「ん? ……逃げようとしてんのか?」


 復元するために集束していく赤黒い霧は、俺から少し離れた場所で凝集し始めた。


 どうやら逃げようとしているようだが、血煙の状態で遠くまで移動することはできないようだ。加えて復元が始まれば、その一点目掛けて血煙は凝集していく。


 ゆえに、精々が数メートル離れた場所で復元するのが限界のようだった。


 それくらいであれば、逃がす心配もない。


 俺は足場としているオーラソードを操り、場所を移動した。偽天使が復元を始めた場所へと。


 そうして復元途中の偽天使が魔力を高めた瞬間に、もう一度剣を振り抜く。


 黒耀が消える。オーラの球体が偽天使を閉じ込める。ボビュンッ――と、球体内部で血煙と化した偽天使が渦巻く。今回は最初、ひび割れは起こらなかった。しかし、偽天使が血煙と化している時点で失敗なのは明白だ。塵と化した黒耀の代わりに、新しい黒耀を取り出してオーラを注ぎ込みながら、それでも球体の圧縮を試みると、半分くらい縮んだ段階で内圧に耐えきれず爆発した。


 今度の爆発はさっきよりも大きい。


 全身に薄くオーラを纏って受け流した。


「なかなか難しいな」


 フィオナがやったことは2回見た。


 それで何をやっているのかは、だいたい把握した。要はさっきまで【反響結界球】を利用して行っていたことと、本質的には同じなのだ。


 閉鎖空間内での爆発と反射、増幅。加えて急速に圧縮することで破壊力を高める。そうして球体内部に存在するものを塵よりも小さく粉砕するのが、あの技なのだろう。加えて極小のオーラの刃をばら撒いて、対象を寸断することで粉砕しやすくもしているはずだ。


 全て、俺が使っている剣技の応用で再現可能である。


 各作用のために分配するオーラ量や爆発と圧縮のタイミングなど、かなりシビアで二度も失敗してしまったが……。


「まあ……もうだいたい分かった」


 次は失敗しないだろう。


「~~~~ッ!!?」


 また逃げようとする赤黒い霧を追って、数メートル移動した。


 目の前で復元を始めた偽天使の頭部を冷たい目で眺めながら、考える。


 終わらせるか、終わらせないか。


「…………」


 逡巡は一瞬だった。


 こんなのを相手に時間を浪費するよりも、フィオナの治療の方が遥かに重要だ。


 だから――。


「ふぅ…………消えろ」


 怒りを体外に逃がすように、息を吐き出した。


 それから如何なる感情によるものか、表情を歪める偽天使へ向かって、三度、剣を振るう。


 黒耀が消失し、復元しかけた偽天使の体をオーラの球体が覆う。


 この技の名称を、俺は知らない。だからこれは、後にフィオナから聞いた名称だ。




 模倣剣神技――――【絶死冥牢】




 超圧縮されたオーラ塊が強烈な光を放ち。


 ギンッ――と、金属を擦り合わせるような音がして。


 オーラの球体と共に、今度こそ、偽天使は消滅した――。



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