第76話 「光の化身」


『剣舞姫』最終スキル――【神降ろし】



 願う。


 神よ来たれ、と。


 降りてくる神は無意識の内に選択された。



【選択――――技能神:剣神】



 意識だけが加速し、凍りついたような時の中、フィオナは確かに、自分の中に「何か」が入って来るのを感じていた。


 そして時は動き出す。


 次の瞬間起きたことを、エヴァや8人の護衛たち、あるいは戦場にいて遠くから目撃していた者たちの誰も、認識することはできなかった。


 それどころか、フィオナ自身ですら詳細には把握していない。夢現のような茫漠とした意識の中、フィオナの体は意識することもなく動き出し――。


 ――ただ、何の前触れもなく、突然に偽天使の体が弾け飛んだ。


 液状などという生易しい弾け飛び方ではない。尋常ではない衝撃によって全身が血煙と化して空中に拡散する。凄まじい勢いで何かを叩きつけたような破裂音は、一拍遅れて聞こえてきた。


 フィオナの姿は弾け飛んだ偽天使の目の前にある。


 直前までの転びかけた姿勢ではない。


 深く足を開き、右手の剣を大きく振り抜いた姿勢だ。


「…………」


 血煙と化した偽天使の体が、それでもゆっくりと集合し復元していく中、フィオナはスッと立ち上がった。


 その姿に、誰もが息を呑む。


「フィ、フィオナ……?」


 エヴァは友の名を呼んだ。


 立ち上がったフィオナの、髪を纏めていた髪紐が切れた。


 髪がほどけてはらりと宙に広がり、風に煽られる。


 しかし、その長い髪の色は、赤色ではなかった。


 いや、何色とも言い難い。そもそも色など無いようにも思える。そして色が無いのは、髪だけではなく、フィオナの全身がそうだった。


 ――光っているのだ。


 それは直視し難いほどの強い光ではない。


 蛍の光よりもなお淡い、優しげな光だ。


 その優しい光が集合し、形を得て、フィオナ・アッカーマンという姿を生み出しているような……それはそんな姿。


 全身にオーラを纏ったのとも、明らかに光り方が違う。


 まるで光そのもの。フィオナ自身が発光しているような。ゆえに陰影は失われ、ある程度近くにいなければ、その姿形をはっきりと認識することはできないだろう。


 喩えるなら、光の化身だ。


 そんなフィオナの目の前で、偽天使がようやく復元を終えて形を取り戻す。6対12枚の翼を広げ、両手を漆黒の剣へと変化させた偽天使。全身が赤黒い血液で出来たようなおぞましき怪物。


 それと対峙するフィオナも両手に双剣を握っている。光輝くその姿は、あまりにも幻想的で、明らかに異常で、非生物的だ。それでもどこか神秘的なその姿は、偽天使と正反対の対比のようにも見えた。


 ただ、両者に共通するのは両目の部分から金色の光を放っていることだ。偽天使だけではなく、今やフィオナも。


 そして――直後。


 対峙する両者は金色のまなこで視線を交わし、何の合図もなく、戦いは再開された。



 ●◯●



 偽天使の魔法発動の速さは、驚異的な速さだ。


 それは魔力の動きと遅滞なく発動される。


 人を超える速度で思考を紡ぎ、必要な魔力を練り上げる前に、術式の構築を終えている。


 ――魔力照射。


 フィオナが立つ空間に向かって、大量の魔力が照射された。



 空間魔法――【空間断裂】



 ジッ――と、微かな音を立てて、空間に亀裂が走った。亀裂の内部には虹色の何かが覗いている。普通ならば見ることもない不可思議な光景。


 その亀裂に触れれば、同じ空間魔法以外の如何なる防御も意味を成さない。断裂に巻き込まれたものは、それが何であろうと容赦なく切断される。


 だが――。


「――――」


 魔法は魔力よりも速く発現することはない。


 自身に照射される魔力を知覚して、フィオナは動き出した。



 英雄戦技――【瞬光迅】



 空間に亀裂が走った時には、フィオナはすでに偽天使の後ろにいた。


 まるで時を切り取ったかのような一瞬の移動。通り道の雪が舞い上がり、高速で移動することによって大気が掻き乱される――――よりも、さらに速く。


 未だこちらが移動したことにも気づいていない偽天使の、無防備に晒される背中へと、フィオナは回し蹴りを叩き込んだ。



 英雄戦技――【轟衝脚】



 叩き込んだ足底から注ぎ込まれたオーラが、偽天使の体内で衝撃力へと変換される。ただしそれは岩を破砕し水面に飛沫をあげるような荒々しい衝撃ではなく、静かに全体へ浸透するような衝撃だ。


 偽天使の液状の体は微細に振動し、一時、体の自由を奪われた。


 それと同時、激しい勢いで前方へ蹴り飛ばされた偽天使は、自身が生み出した空間の亀裂に巻き込まれて体を切断されながら、数十メートルも吹き飛んでいく。


 ようやく雪上に衝突し、勢いが弱まったところで切り離された肉体を統合し、復元した。


 そこへ――。


 英雄戦技――【瞬光迅】


 雪上を転がり、体勢を整え、両足の線を刻みながらようやく停止した偽天使の間合い、その内側へと忽然と現れ、すでに潜り込んでいたフィオナは、両の双剣を高速で振るった。



 英雄剣技――【十奏閃光斬】



 一瞬にして偽天使の体を通り抜けた十の斬撃。


 ただその速さのみが衝撃を生み、偽天使の体を血煙へと変える。


 ボパンッ――と、全身が弾けた。


「~~~~ッ!!?」


 焦ったのは偽天使だ。


 焦燥。恐怖。混乱。驚愕。


 ここまで受けた攻撃の中で、自分に有効なダメージを与えるものはない。それでも湧き上がる様々な感情に衝き動かされ、自身の復元よりも脅威の排除を優先した。


 大半は血煙と化したまま、術式を構築できるだけの「自身」を素早く集合させて魔法を放つ。



 重力魔法――【圧壊円滅圏】



 偽天使を中心とした半径20メートルもの領域に、魔法の力が満ちる。


 それは一時的に重力の作用を何倍にも増幅した領域を作り出す。


 ズンッ――と重々しい音を立てて、雪原の雪が綺麗な円形に潰れた。


 集合させた「自身」だけは別の重力魔法で超重力の影響を逃れるも、血煙と化していた微細な「自身」たちはそうもいかない。圧縮された雪上に落下してしまったそれらを触手を伸ばすようにして回収し統合しながら、偽天使は自らの敵を探した。


 否――探すまでもない。


【瞬光迅】によって円滅圏を逃れたフィオナは、沈み込んだ雪原のすぐ外で、剣を構えていた。



 英雄剣技――【轟弾・・



 振り抜いた剣の先からオーラの砲弾を放つ。


 それは重力魔法の影響を受けながらも高速で飛翔し、狙い過たず、復元しつつあった偽天使の体を捉えた。


 衝突したオーラは爆発し、偽天使の体を再び四散させる。その瞬間、偽天使は魔法を維持するだけの思考能力を一時的に喪失。魔法は崩れ、超重力圏は消失した。


「~~~~ッ!?」


 恐怖。


 その時の偽天使を襲った感情を言葉にするなら、唯一、それこそが相応しいだろう。


 生物としての本能が告げる生命の危機に、全ての細胞が覚醒する。


 逃げなければ。


 生き延びなければ。


 それらこそが最優先だ。


 それゆえに、目の前の敵を排除しなければならなかった。それがたとえ、必要な存在だとしても。


 全ての細胞同士が交感し、素晴らしい速さで肉体を復元する。しかしその時にはもう、フィオナは偽天使のそばに移動していた。


 深く踏み込み、剣を構えた姿。


 次の瞬間、剣は振られる。



 英雄剣技――【重轟刃・・・・衝波】



 刃が肉体を通り抜けた瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲う。肉体を構築する細胞が揺らされ、目視では認識できないほど少ないが、確かに細胞が少しずつ死んでいく。


 だがそんなことは問題ではない。


 この攻撃で自分を殺すには、千回同じ攻撃を叩き込んでも不可能だろう。


 問題は、全身に衝撃が波及することで、僅かとはいえ行動を制限されてしまうことだ。


 だから――、



 重力魔法――【重属性付与】



 攻撃を喰らうより僅か前、何とか発動が間に合った魔法により、自身を構成する2割ほどの細胞に重属性を付与し、丸く、そして硬く纏めた。


 衝撃が8割の肉体を血煙に変える中、漆黒の球体と化した偽天使が魔法を行使する。拡散した「自身」たちも少なくない被害を受けてしまうかもしれないが、それでも構わなかった。


 この敵を倒せるならば。


 雷鳴魔法――【暴雷】


 残った2割の「自身」、漆黒の球体から荒れ狂う雷が全周囲に解き放たれる。


 知っている。


 偽天使は知っている。人間の体がどれほど脆弱なのかを。


 攻撃を放った直後、防御する間もない全方位攻撃。回避などできようはずもなく、偽天使の敵は雷に呑み込まれた。



 ――一方。



 夢現のような茫漠とした意識の中、フィオナは確かに放たれる雷の前兆を知覚していた。


 理解する。


 今の自分ならばこのタイミングで放たれた【暴雷】を防ぐことも、安全圏まで退避することも可能だと。それは偽天使が期待したように不可避の攻撃ではなかった。少なくともフィオナにとっては。


 だが、フィオナはどちらも選択しない。


 理解していたのだ。


 それが今の自分にとって防ぐまでもない攻撃だと。


 剣を振り抜いた姿勢から、次なる一撃を見舞うために姿勢を整えた。握った左の剣を一瞬だけ意識して、これならば失っても構わないかと判断を下す。もしも今握っているのが「黒耀」の双剣であったなら、フィオナの意識は躊躇したかもしれない。


 直後、激しい雷が全身を呑み込んだ。


 人間の命など十回奪っても飽き足らぬ暴威が全身の肌を舐める。身につけていた衣服は全て、一瞬で燃え尽きた。それでも雷がフィオナの肌を傷つけることはなかった。


【暴雷】が晴れ、傷一つないフィオナが姿を現す。


 攻撃を敢えて受け止めたことで、フィオナは左の剣へと十分なオーラを注ぎ込む時間を確保した。リィーンっと、短い鈴鳴りの音が響く。


 宙に浮かぶ漆黒の球体へ向かって、左の剣を振り抜いた。


 その途中、刃が球体を捉えるよりも先に、剣は形を失い塵となって掻き消える。



 剣神技――――【絶死冥牢】



 塵となった剣より解き放たれた膨大なオーラは、荒れ狂うこともなく完璧に制御され、静かに、そして速く、一瞬にして球体を包み込んだ。


 漆黒の球体を包み込む球状のオーラは、眩い光を放つ。


 同時。


 キンッ――――と、金属を高速で擦り合わせたような音がした。


 直後、光は消える。


 漆黒の球体も何処かに消えていた。


 あまりにも呆気なく、あまりにも地味な光景。


 しかし、球体が完全にこの世から消滅したことを、フィオナと偽天使だけが理解していた。



「~~~~ッ!!?」



 恐怖。恐怖。恐怖。


 偽天使は血煙と化していた「自身」たちを集めて復元しながら、今の一撃に恐怖していた。


 復元した肉体は元より僅かに小さくなっている。漆黒の球体を構成していた「自身」と、血煙状態で【暴雷】を受けたことによって、合計3割ほどの「自身」たちが失われていたのだ。その分、体積が減ってしまった。


 敵が放った今の攻撃が、自分を完全に殺し得る技だと理解して。


 自分を復元するやいなや、フィオナに背を向けて上空へ飛翔する。何もかもを投げ捨てるように必死に、一瞬でも早く離れるために。


 ――コレは倒せない。


 ――逃げるのだ。


 契約により下された命令に、今の自分が縛られていることも忘れて。


 そうして空高く飛翔した偽天使の背中へ。



 英雄戦技――【天駆瞬動】



 一瞬にして追いついたフィオナが、剣を叩き込んだ――。



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