第74話 「死」


 凄まじい爆発。


 大気が壁となって押し寄せてくる。


 次の瞬間、足が浮き、体が宙を舞った。


 俺を含めて切断部隊の面々は数十メートルも爆風によって吹き飛ばされたが、最上級探索者の肉体は常人に比べて遥かに頑強だ。爆風自体の殺傷力はさほど高くなく、事前に距離を取っていたこともあって、普通に耐えたようだ。


 一方俺は『初級剣士』職なので肉体の頑強さは数段落ちる。


 咄嗟に【気鎧】を展開して爆風に耐えた。


 空中で姿勢を整え、手をついて雪上を滑りながら着地する。


 数メートルも雪を巻き上げながら勢いを殺し切って、それからようやく爆心地――ノルドがいた場所を確認すると、そこにノルドの姿はなかった。イオたちの【屍滅炎嵐】によって周囲の雪が消えていたためか、視界を遮るような蒸気はほとんど上がっていない。ただ、ノルドが拘束されていたはずの場所には、何かの骨のように【巨重・龍鱗槍】が地面に突き立っていた。


 爆心地の周囲を見ると、イオたち魔法部隊もガロンたち盾士たちも無事なようだ。


 おそらく【ドーム・シールド】と【フォートレス】を併用したのだろう。背後に庇った魔法使いに傷一つ負わせることなく、それどころかその場から一歩も動いてはいなかった。


 イオたちの無事を確認した俺は、地面に突き立つ巨大な龍鱗槍の、さらに上空を見る。


 ノルドの姿は消え、その肉体が再生される様子もない。


 ならば、ノルドは死んだのか?


 その答えはイエスであったが、それがすなわち戦いの終わりを意味していないのは明白だった。


 ノルドは死んだ。だが、ノルドを特異体足らしめていた寄生体は、まだ生きていたのだ。


「何だ、こいつは……」


 思わず、呟いた。


 赤黒い肉塊、スライムのような姿。ギルドの斥候たちによって目撃されたその情報を、聞いてはいた。だが、聞くのと見るのとでは大違いだった。こんな姿をしたスライムなど、見たことも聞いたこともない。いや、そもそも、こいつはどうやって宙に浮かんでいる?


 それは宙に浮かぶ、赤黒い不定形の、不気味な肉塊にも見えた。いや、肉塊というよりは、赤黒い半透明の液体――とでも表現した方が、より正確だろうか。


 スライム、と呼ぶにはあまりにも不気味に過ぎる。


 そいつは宙に浮いたままグネグネと蠢くと、見る間に形を変えていく。


 単純な球体に近い姿から、複雑な形状へと。


 まず始めに、球体から翼が生えた。6対12枚の赤黒い翼がバラリと広がる。


 続いて球体の部分が、グネグネと少しずつ形を変えていく。最初は胎児のような頭部の大きい姿。そこから徐々に成長するように、赤子から少女、そして成人の女性へと形を変化させていった。


「――――――――」


 あまりの異様な光景に、その場の誰もが声を失う。


 現れたのは6対12枚の翼を持つ、美しい姿をした女。衣服の類いはなく、見惚れるほどに美しいボディラインは惜し気もなく晒されている。その造形は神が創ったかのように整っており、その姿は天使か女神とでも呼ぶべき美しさだろう。


 ただし。


 美しいのは造形だけで、翼も含めて全身は赤黒い液体によって形作られていたが。


 全ては形だけ模しただけで、その本質は不定形の、スライムのごとき生物なのだろう。眼球という器官はないはずだが、それでも視線は不思議と感じ取ることができた。


 なぜならば、本来眼球があるべき部位に、まるで眼球の代わりとでもいうように、金色の光が宿っていたからだ。


 寄生体――おそらくは、いや、もう間違いはないだろう。【神骸迷宮】に起きた「大発生」において、一連の特異個体の発生源と見られる複数の寄生生物、その本体が、目の前の存在なのだ。


 仮に――偽天使、とでも呼ぶことにしよう。


 翼を羽ばたかせることもなく宙に浮いている偽天使の視線が、こちらを向いた。


 俺だけじゃない。


 自身を囲むように見上げている俺たち全員を確認するように、ぐるりと、その場で一回転する。その視線が最後に、ある一点で止まった瞬間、俺はようやく金縛りが解けたように我に返った。


 右手に握っていた黒耀をストレージ・リングに仕舞い、代わりに「翡翠」を取り出し握る。


 オーラを込めながら剣を振り抜いた。



 我流剣技【轟飛刃】変化――【轟風弾】



 ドパンッ――と。


 剣先から撃ち出されたオーラの砲弾が偽天使を穿ち、その全身を容易く爆発四散させた。


 盛大に響いた爆音に、他のメンバーたちも我に返る。


 俺は前方へ向かって走り出しながら、イオに向かって叫んだ。


「――イオッ!! 足止めだッ!!」


 一瞬、こちらを振り返ったイオに「翡翠」を掲げて見せる。


 今まで何体もの特異体を共に討伐してきたイオならば、それだけで俺の言いたいことは伝わるはずだ。


 案の定、イオはすぐさま周囲へ指示を飛ばし始めた。


「奴を逃がすなッ! 切断部隊は奴を地上へ撃ち落とせ! 自由に動かせるな! ガロンたちは奴の攻撃を防御! もしくは拘束できないかを試してくれ! 魔法部隊! 風魔法を中心に奴の動きを妨害!」


 指示を出しながら、イオはすでに準備に入っている。


 おそらく準備しているのは火炎魔法だ。


 一方、無数の飛沫と化して形を失った偽天使は、しかし痛痒など微塵もないと言わんばかりに、飛び散った欠片が一瞬で集まると、元の形を取り戻してしまった。


 そこにはダメージなど、まるでないように見える。


 実際、ダメージなど皆無に等しいだろう。


 あれを再生能力と呼んで良いものかは疑問だが、生半可な攻撃では意味がないのは、これまでの特異体たちと同じだ。その上、宿主を脱ぎ捨てた・・・・・今の奴は半液状の体。あれではノルドにそうしたように、龍鱗槍で拘束することもできやしない。


 だが。


 倒す方法は分かっている。


 偽天使は女性の姿の割には少しだけ大きい。その身長は目算だが、およそ2メートルといったところだろう。


 とはいえ、大きいと言っても普通の成人女性と比べれば、だ。ノルドのように超巨体ではない。


 ノルドをわざわざ拘束したのは、その巨体を一度に微塵切りにして焼却することができなかったからだ。そして偽天使は巨体とは言えない。


 ならば、その討伐方法はノルドよりも単純で、他の特異個体たちと同様の方法が通用するはずだった。


 ゆえに、俺は剣を「翡翠」に持ち替えたし、イオは焼却用の火炎魔法を準備している。


 問題があるとするなら、宿主を捨てた偽天使の目的が十中八九逃走のため、ということだが――エヴァ嬢たちの展開する【断界四方陣】は健在だ。いくら俺たちから逃げ回ったところで、偽天使が逃げ切ることは不可能。


 普通に考えれば宿主を失った偽天使は弱体化したはずだし、時間は掛かっても勝利は確実なはずだ。


 しかし――。


 剣を振るう。


 我流剣技――【風牙連刃】


 放った無数の刃を飛ばして、偽天使の周囲を巡らせるように待機させておく。他の特異個体にそうしたように、無数の風の刃で檻を作り、斬り刻みながら閉じ込める。そうするつもりだった。


 他の作戦メンバーたちもイオの指示通り、翼を羽ばたかせることもなく移動し始めた偽天使の進路を塞ぐように、それぞれが攻撃を放っている。


 逃げ惑うようにゆらゆらと小刻みに移動を繰り返していた偽天使だが、俺の【風牙連刃】を見た時の反応は激烈だった。


「――――ッ!?」


 自身の周囲を、それなりの距離を置いて巡る風の刃に気づくやいなや、全身から雷を放ったのだ。


 雷鳴魔法――【暴雷】


 偽天使から放たれた荒れ狂う雷は、他の無数の攻撃と一緒に、待機させていた全ての【風牙連刃】を消し飛ばした。


「こいつ……ッ!?」


 嫌な予感が背筋を駆け抜ける。


 まさかと思いつつ、再度【風牙連刃】を放った。


 奴は手のひらをこちらに向ける。


 雷撃魔法――【轟雷条】


 幾条もの雷が襲いかかって来るのを、俺は【瞬迅】で大きく移動することで回避した。


 しかし、【風牙連刃】はそうもいかない。風の刃は今度は奴を囲む前に、接近する端から雷撃によって消し飛ばされていく。


 確信する。


「チッ、知ってやがる……ッ!!」


 雪上を疾走し、奴の死角(あるのかどうかは分からないが)に回り込もうとする。しかし奴は、金色の光を宿した両目をこちらから逸らすことはなく、視線を切ることもなかった。


 明らかに、俺を警戒している。


 というより、【風牙連刃】を警戒している、というべきか。


 試しに放った他の技には、そこまで大きな脅威を抱いていないようだから、たぶん確実だ。


 こいつは【風牙連刃】によって他の特異個体たちが殺されたことを知っているのだ。そしてそれが、自分にも有効なことを。


 おまけに宿主を失ったのに雷撃を使えるのはどういうことか。


 もしかして、喰らった魔物や寄生した魔物の能力を偽天使も使えるということか。


 魔物に寄生するような存在だから、本体は弱いと判断したのは早計だったかもしれない。宿主よりも強い寄生体――そんな存在があり得るのだろうか。


 瞬時に様々な考えが脳裡をよぎる。


 だが、どれも推測でしかなく、確実なのは【風牙連刃】の檻に奴を閉じ込めるのは、このままでは無理だ、ということだけだ。


「面倒くせぇ……ッ!!」


 それでもどうにか、奴を檻に閉じ込めるしかない。


 警戒されているのなら、警戒していても無駄なくらい追い詰めるだけだ。


 そのためにも、まずは。


 我流戦技――【瞬迅】【空歩瞬迅】


 宙に跳び上がり、奴のさらに頭上へ。


 ここまではフィオナやグレンたちの攻撃によって、あまり奴を動き回らせることもなく済んでいるが、いつまでもそれが続くとは限らない。


 奴の頭上を取って、上空に逃がさないように蓋をする。


 そのまま距離を取って攻撃を続け、何とか打開策を見つけるつもりだった。奴に接近戦を挑めば、俺への誤射を恐れて他のメンバーも迂闊に攻撃できなくなってしまうからだ。


 だが、偽天使は地上から襲い来る数多の攻撃を意に介すことなく、頭上の俺に突進してきた。


「!?」


 急に。なぜ。


 疑問に答えを出す暇もない。


 奴は自身の両腕を剣のように長く変化させた。両腕は形だけ剣を模したのではなく、黒く染まっている。感じるのはオーラではなく魔力。


(重属性だと!?)


 見慣れた黒色に直観する。偽天使は重属性を付与し、両腕の剣を硬質化したのだ。


 こんな能力はノルドに寄生していた時は使っていなかった。


 隠していたのだ――と思ったのは、奴の表情が微かに嗤ったように見えたからだ。


 いや、あるいは隠してなどいなかったのか。


 奴が宙に浮かんでいられる理由が、そもそも重属性魔法を使えるからだと、なぜ気づかなかったのか。


「チィッ!!」


 鋭い舌打ちをしつつ、反射的に迎撃した。



 我流剣技・超技――【裂光閃・風牙】



 極技でこそないものの、手加減など微塵もなかった。


 あのタイミングで咄嗟に繰り出せる中では、間違いなく最大威力の一撃。偽天使を倒せはしないものの、その体を両断し、刃に纏った暴風が一時的に奴の体を四散させることを、俺は疑ってもいなかった。


 最速の剣技を偽天使へ向かって振り下ろす。


 偽天使は両腕の剣を交差して受けた。


「翡翠」は重属性によって硬化した奴の両腕を、確かに容易く斬り飛ばした。


 ――だが、その直後、奴が発動した魔法が間に合ってしまった。


(こ、こいつ……ッ!?)


 これでも戦闘経験は豊富な方だ。


 敵の強さを見誤ることは、最近では皆無と言って良かった。少なくともそれが斬れるかどうかは、感覚的に分かるのだ。


 俺は偽天使の硬質化した両腕も、問題なく斬り飛ばせると判断した。その通りになった。


 しかし、両腕を斬り飛ばした「翡翠」は、奴の顔面数センチ手前で――停止していた。


 俺が止めたわけじゃない。それ以上前に押しても、一向に進まないのだ。それどころか剣から反発が返って来ることもない。まるで剣を振り下ろした力が、突然失われてしまったかのような不条理な感覚。


 見れば、奴の顔面数センチ手前には、淡く輝く透明な光の板が浮かんでいた。


 厚さなどまるでないかのような、薄っぺらい光の板だ。それが俺の斬撃を受け止め、防いでいたのだ。


 こんなことができる能力を、俺はたった一つだけ知っている。


「――空間魔法だとッ!?」


 ぞわりと、全身の産毛が逆立った。


 あり得ない。


 多種多様な魔物が出現する【神骸迷宮】と言えども、その長い歴史上全てにおいても、空間魔法を使う魔物など発生したことはないのだ。それは世界で唯一、【封神四家】の血筋だけが扱える特別な魔法のはずだった。


 だが。


 なぜ、こいつが空間魔法を使えるのかなど、考えている暇はなかった。


「――――ッ!?」


 至近から、魔力照射。


 発生源は偽天使。対象は俺。


 魔法攻撃を警戒した俺は、全身に分厚い【気鎧】を纏った。


「――――ど、ッ!?」


 次の瞬間、視界が入れ替わっている。


 瞳に映るのは【断界四方陣】による結界壁。くるくると視界が回る。浮遊感。空中だ。落下している。


 空中で姿勢を整え、【空歩】で落下の勢いを殺し、滞空した。


 その上で素早く視線を巡らせ、周囲の状況を把握する。


「――――ッ!!」


 もはや悪態も出ない。


 俺がいたのは結界の端だった。【短距離転移】。偽天使が行ったのは攻撃魔法なんかじゃなかった。転移魔法によって、俺だけがここへ飛ばされたのだ。


 ――やられた。


 ――ヤバイ。ヤバすぎる。


 まさか戦うこともせず、俺だけを別の場所へ飛ばすなど、流石に想定していなかった。


 結界の端から元の場所へ戻るまで、数秒。偽天使が空間魔法を使えなかったら、どうとでもなっただろうが、空間魔法を使えるとなると話は別だ。奴がその気ならば、その数秒で何人か死ぬことになるだろう。


 両目を見開き、結界の中央を見た。


 しかし、そこに偽天使の姿は、すでになかった。


 奴は俺とは反対側の結界壁――いや、結界の四隅の一つへ向かって、高速で飛翔していた。討伐隊メンバーに、犠牲者はまだいない。奴の動きを制限するべく数多の攻撃が空に向かって撃ち上がっていたが、奴は空間魔法でそれを防いだのか、あるいはそれ以外の方法で防いだのか、攻撃を回避する様子も見せず、真っ直ぐに飛翔していた。


 代わりに、地上の探索者たちに攻撃を加える様子はない。


 それでも。


(最悪だ)


 思いながら全力で虚空を蹴りつける。【空歩瞬迅】を連続で行使しながら、全速力で宙を駆ける。


【断界四方陣】は任意・・の事象、存在の通過を完全に遮断することができる。それは転移魔法といえども例外ではなく、転移によって結界の内外を出入りすることは、術者の許可なくばできない。


 エヴァ嬢たち術者が偽天使の存在をすでに認識している以上、奴が転移魔法を行使しても結界の外に出ることはできないはずだ。


 だが、空間魔法ならば空間魔法に干渉できる。


 もしかしたら、万が一だが、【断界四方陣】を破ることができるのかもしれない。


 奴を逃がすわけにはいかない。俺は焦った。


 その焦燥は、しかし次の瞬間、恐怖に変わった。


 偽天使の背中を注視しながら――ふと、気づく。


 偽天使よりもさらに向こう側、雪上を走る人影がある。赤い長髪のポニーテール。フィオナ。


 フィオナが走る速度は偽天使が飛翔する速度よりもだいぶ遅い。両者の速度差、そしてフィオナが先行している距離を考えると、フィオナが結界の端に向かって走り出したのは俺が転移魔法を受ける何秒か前のはずだ。つまり、偽天使が結界の端に向かって動き出すよりも、前。


 なぜ、そんな事前に動けたのか。


 偽天使の強さに恐れをなし、逃げた?


 馬鹿かッ!! フィオナがそんな女じゃないことは、俺が一番良く知っている!!


 フィオナの走る方向。偽天使が向かっている方向。そこに全ての答えはあった。


 エヴァ嬢だ。どうやって事前に偽天使の動きを察知したのかは分からない。だが、フィオナがエヴァ嬢を守ろうとしているのは明白だった。


 だから・・・、俺は恐怖した。


 ま。

 ず。

 い。


 一瞬、スタンピードで死んだ友3人の姿が脳裡をよぎった。


 全身の血液が沸騰したように血管が拡張し、肌が粟立つ。そのくせ心臓は凍りついたような痛みを訴えてきた。


 偽天使が結界を破れるのかどうか、そんなことは分からない。だが、偽天使とフィオナが交戦すればどうなるか。


 確かにフィオナは強くなった。普通ではあり得ないほど急激に。


 だが、それでもなお、偽天使と一人で相対すれば勝ち目はない。奴が本気でフィオナを排除する気になれば、3秒すら持たないだろう。空間魔法を使える敵というのは、それほどに脅威なのだ。


 ――【空歩瞬迅】【空歩瞬迅】【空歩瞬迅】


 急ぐ。急ぐ。急ぐ。全速力で急ぐ。


 視界の先で偽天使がフィオナを追い越し、エヴァ嬢のいる結界壁を殴りつけた。


 直後。


 絶対に破れるはずのない結界は、あまりにもあっさりと、冗談のように、砕け散ってしまった。


 結界を壊した偽天使に、フィオナが追いつく。


 フィオナは偽天使の背中へ、無数の斬撃を放った。


 剣舞姫スキル――【終閃の舞】


 それまで積み上げたバフ効果を攻撃力に変換した強力無比な斬撃は、あっさりと偽天使の全身を斬り刻み、バラバラにした。


 俺は――、


「――ぉぁあああああああああああああああッッッ!!!」


 急いだ。


【空歩瞬迅】の出力を無理矢理に上げる。靴が吹き飛び、制御しきれなかったオーラが足をズタズタに切り裂いて、流れ出た血が空中を舞う。


 だが、それでも足りない。


 背中からオーラを翼のように噴き出した。


 背中の服が破れ、噴き出したオーラの反発力でさらに加速する。激痛。出血。構わずにさらに出力を上げた。


 ――だが、それでも足りない。


 足りない。足りない。足りないッ!!


 幾つもの思考が閃光のように、瞬時に駆け巡る。


 アレを使う? ダメだ。時間が足りない。ここから攻撃? いや、このまま走った方が早い。奴の注意をどうにかこちらに。クソがッ! どうやって!?


 諦め悪く方法を探る一方、心の内側ではすでに気づいていた。


 バラバラに斬り刻まれた偽天使が、当然のように自身を復元する。


 エヴァ嬢を背後に庇うように移動したフィオナが、ちらりとこちらを見て――――笑った。


 結界を壊したならそのまま逃げろと願う俺の意思に反して、なぜか偽天使は逃走に移らず、フィオナに向かって右腕を振り上げる。その肘から先は鋭く長い剣と化し、漆黒に染まっていた。


 もう、間に合わない。


 フィオナの周囲に、フィオナを救える者はいない。



 ――――死。



 あまりにも確実な、死の未来。


 手を伸ばした。自分が何を叫んでいるのかも分からない。


 伸ばした手は、何も掴めなかった――。



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