第65話 「父上から、直接渡すように言われていてね」


 グレンがフィオナをナンパし始めた。


 途端、グレンのもとに集まっていたハーレムメンバー――もとい、4人のパーティーメンバーたちが声をあげる。


「えー、何よぅグレンったら。また浮気する気ー?」

「私たちの目の前で誘うとか、いつものことだけどさぁー」

「ほどほどにしないと、刺すよ?」

「これはお仕置きが必要ね」


 軽い口調ながら責める様子のメンバーたちにも、しかしグレンは動じない。


「ハッハッハッ」と軽やかな笑い声をあげて、


「ごめんねお姫様たち。決して君たちを蔑ろにしているわけじゃないんだよ? あ! そうだ! なら、こういうのはどうだろう? 今日はフィオナ嬢も含めたボクたち6人で、親睦を深めるというのは? ねぇ?」


 最後の「ねぇ?」は、フィオナに向けたものだった。


 グレンは心底から良い考えだと言わんばかりに、明るい表情をしている。堂々と浮気しようとしている人間の顔には見えない。最強かよ、こいつ。


 一方、フィオナは――、


「………………」


 唖然と口を開け、理解不能な存在を見るような眼差しを、グレンたちに注いでいた。


 どうやらフィオナのキャパシティを超えてしまったようだ。


 そんなフィオナに、グレンは畳み掛けるように言葉を続ける。


「もしかして、フィオナ嬢は同性同士でそういうことをするのは、初めてかい? ……なるほど、なら、恐がるのも理解できるよ。だけど――」


 と、テーブルの上に置かれたフィオナの手に、自分の手を重ねた。それからグレンは、なぜかフィオナの手の甲をスリスリと撫でながら、


「安心して、優しくするから。それにボクは、男なんかよりもずっと君を気持ち良くさせる自信がある。興味ない? 女同士の快楽というものに」


「……な、ない」


 フィオナは撫でてくるグレンの手から自分の手をシュッと引き抜き、蚊の鳴くようなか細い声で拒否した。


「そんなこと言わないで、お姫様。どうだい? お試しに、一度だけでも」


「……結構よ」


「そうかい……? 残念だ……。なら、食事だけでも一緒にどうだろう?」


「……いや」


「もう宿も予約してあるし、ボクを助けると思って、ね?」


「……その」


「共に戦う探索者同士、親交を深めておくのは悪くないと思うのだけれど」


「……えっと」


「黄金亭は食事が美味しいって評判なんだよ。フィオナ嬢は、何か好きな料理ある?」


「……だ、だから」


「――フィオナ」


 タジタジになっているフィオナの様子に、俺は思わず口を挟んでしまった。


 これが男なら冷たい眼差しで断るのだろうが、フィオナにとってグレンのような人種の相手は初めてなのだろう。対処の仕方が分からないようだ。


「嫌ならきっちり断った方が良いぞ。しつこいからな、そいつ」


「――う、うん。そうね」


 フィオナはハッとして頷くと、断固とした態度でグレンに向き直った。そして告げる。


「嫌。行かないわ」


「そう……残念だよ。それじゃあ、フィオナ嬢と親睦を深めるのは、無事にノルドを討伐できた後にしようか」


「…………」


 フィオナは無言でこちらを振り返り、光の消えた眼差しで見つめてきた。言いたいことは分かる。あれだけ断ったのに一向に諦めた様子がないことに、うんざりしているのだろう。


 というか、もしかしてこれは、珍しく助けを求められているのかもしれない。


 対処の仕方が分からなくて途方に暮れている感じだ。


 こちらを見る瞳の中に「何とかして」という文字が見えるようだぜ。


 俺はフィオナを挟んで向こう側にいるグレンへ、声をかけた。


「じゃあ、その時は俺も一緒に行くわ」


「……ゲイル師」


 そこで初めてグレンはこちらに視線を向けた。


 奴は少しだけ困ったように眉根を下げながら、


「……もしかして、混ざりたいの? すまないが、ボクは男性相手には発情できなくて……申し訳ないが」


「……誰がそんなこと言った」


 こいつ、話が通じないんだが。


 この性欲魔人を黙らせるにはどうしたら良いかと、俺が真剣に悩み始めた時、


「グレンダさん、そのくらいになさいな。しつこい方は嫌われますわよ」


 エヴァ嬢がこちらにやって来た。


「エヴァ様、グレンダなんて他人行儀だな。グレンと呼んでくださいよ」


「フィオナは私と先約があるのよ。貴女は遠慮してくださる?」


 グレンの言葉をしれっと無視するエヴァ嬢。


 その断固とした態度ゆえか、それともエヴァ嬢の立場を考慮してか、グレンはようやく肩を竦めて身を引いた。


「仕方ないですね。では、お誘いするのはまた今度にしましょうか」


「そうなさって。――さ、それじゃあフィオナ、行きましょう?」


「あ、うん。そうね。……ありがと、エヴァ」


 颯爽と話を纏めたエヴァ嬢に圧倒されながらも、フィオナは素直に席を立った。


 どうやら、エヴァ嬢と約束があったのは本当のようで、こちらを振り返り、


「アーロン、今日はエヴァの家に泊まるから」


 と言った。


「ああ、そうか、分かった」


 つまり、今日はアトリエを使わないということらしい。


 俺が頷いて答えると、なぜかエヴァ嬢が頬を赤らめて言う。


「アーロンさん、その……今日はフィオナをお借りしますわね?」


「ああ、好きにすれば良いんじゃないか?」


 俺に許可を求める必要はないと思うが。


「その……明日はいよいよノルドの討伐ですし、フィオナを疲れさせるわけにはいきませんし……アーロンさんも、我慢してくださると……」


「…………ああ、そういうことか」


 何のことかと思ったら、どうやらエヴァ嬢はフィオナを休ませてやりたいみたいだな。俺が休みも与えず木剣製作の修行をつけるつもりだと勘違いしていたようだ。


「いや、元々今日は休ませるつもりだったぞ?」


 俺だってそこまでの鬼畜ではない。問題はないとしっかり言っておいた。


「そ、そうでしたのね……なら、遠慮なくフィオナをお借りしますわよ?」


「どうぞ」


「……私は物じゃないんだけど」


「ほら、フィオナ、行きますわよ」


 憮然とした様子で呟くフィオナを連れて、エヴァ嬢は去っていった。


 二人が会議場から出ていくのを見送ると、


「なぁんだ。そういうことか。やっぱり噂は本当だったみたいだね」


 俺の隣――フィオナが座っていた席に移動してきたグレンが、残念そうに言う。


 噂というのは、おそらくフィオナが俺の(木剣職人としての)弟子になったという噂だろう。


「まあ、簡単に諦めるつもりはないんだけど」


「いや、諦めろよ。断られたんだから」


 無駄だろうが、そう忠告しておく。


 するとグレンは意外そうな顔でこちらを見た。


「おや? ゲイル師にしては珍しいね。他人には興味ない人だと思っていたんだけど。やっぱりフィオナ嬢は特別なのかな?」


 からかうように聞いてきたので、はっきりと答える。


「そりゃ当然だろ」


 唯一の弟子なのだ。特別でないわけがない。


 なので釘を刺しておく。


「あんまちょっかい出すなよ」


「ふふっ、そう言われると逆に燃えてくるよ」


 誰かこいつを刺してくんねぇかな。できれば早めに。


 そう思いながら胡乱な眼差しを向けていると、グレンは「冗談だよ」と言って肩を竦めた。


 一応は納得したみたいなので、話は終わりだ。俺もさっさと帰ろうと席を立つ。


「なら良いが。俺も帰るぜ」


「あ、ちょっと待って、ゲイル師」


 ――と、なぜかグレンが引き留めてきたので、振り返る。


「何だ?」


「いや、実は父上から手紙を預かっていてね。人に見られたくないのか、家の者が直接ボクのところに届けに来たんだけど」


 グレンの父――といえば、ネクロニア周辺三国の一つ、ウルムット帝国の辺境領を治めるローレンツ辺境伯のことだ。


 大の木剣マニアで、俺の顧客の一人でもある。俺たちの業界では「木剣卿」とも呼ばれる有名人だ。


 ともかく、辺境伯との関係もあって、グレンとは数年来の顔見知りなのだった。まあ、具体的にどういう知り合いかと言うと、父親が贔屓にしている木剣職人とやらが既に顔見知りであったリオンの友人だと聞いて、興味本位で会いに来たのが最初か。


 辺境伯が俺のことを「ゲイル師」と呼んでいたらしく、なぜかこいつも俺のことをそう呼ぶようになった。


 まあ、グレン自身は全然木剣マニアではないんだが。


 なので、知り合ってからの期間はフィオナよりも長いが、付き合いとしてはそれほど深いわけではない。≪迷宮踏破隊≫に所属するまでは、俺のことも探索者というよりは木剣職人として認識していたんじゃなかろうか?


 俺よりもリオンたちとの付き合いの方が深いのは間違いないだろう。リオンが現役の時は一緒に迷宮に潜ったり、色々教えてやったりしていたみたいだし。


 俺にとってはリオンを介した共通の知人、みたいな関係だ。


「手紙? 領主……いや、辺境伯から?」


 グレンが辺境伯の手紙を持ってくることは、実は初めてではない。辺境伯にとっては不肖の娘だが、ネクロニアではそれなりの地位を築いているし、探索者として指名依頼したりと、色々便利に使われている面もある。たまに辺境伯から手紙の配達や木剣の配達などを頼まれたり、他にも色々としていたみたいだ。


 いや、さすがに最上級探索者になってからは、そういうことはなくなっていたらしいが。それでも帰省ついでに手紙を預かって来ることは何度かあったようだ。こいつの実家はネクロニアから近いと言えば近いし、まめに帰っているらしい。


 しかし、「人に見られたくない」とはどういうことか?


 疑問に思う俺に、グレンはストレージ・リングから一通の手紙を取り出し、こちらに差し出してきた。


「これだよ。父上から、直接渡すように言われていてね」


「……中に何が書かれてるか、聞いてるか?」


 封蝋のされた手紙を受け取りつつ問うと、グレンは否定するように首を振った。


「いや、知らないね。ただ、ゲイル師からの頼まれ事に対する返事とは聞いてるけど」


「頼まれ事?」


 辺境伯に何かを頼んだ覚えはないんだが。


 戸惑いながらも、手紙をストレージ・リングの中に仕舞う。疑問は手紙を読めば分かるだろう。


「まあ、とにかく、手紙は受け取った。ありがとな」


「どういたしまして」


 俺はグレンに礼を言って、その場を後にした。



 ●◯●



 自宅に戻ると、さっそく辺境伯からの手紙を読んでみた。


 中には時候の挨拶から始まり、この間購入した「白銀」が無事に届いたことなどが書いてある。一頻り「白銀」について素晴らしい出来だと褒めちぎった後、そういえばまた新しい木剣を作ったことをタイラー氏から聞いたこと、それから新しい木剣の素材は残っているだろうか? という問いの後に、私もそれ欲しいなぁ、と然り気無い調子でおねだりの文章が綴られていた。


 どうも正式に売りに出されるより先に手に入れたいらしい。同好の士にマウントを取りたいのだとか。


「マウント……まあ、貴族だしな」


 俺は呆れながらも呟く。


 他人が持っていない物を誰よりも早く手に入れたいと思うのは、貴族の習性みたいなものだ。


「――っていうか、こんな内容なら普通に届ければ良かったんじゃあ……ん?」


 と、もう一枚手紙が残っていることに、そこで気づいた。


 最後の一枚を読んでみると、そこには「追伸」から始まる文章が綴られていた。


「…………なるほど。タイラー氏が辺境伯に頼んでたってわけか」


 いつだかタイラー氏から聞いた、【神骸迷宮】でしか産出しないはずの迷宮素材が、遠方の国々で売りに出されていたという話。オークションに出されていたそれらの素材を、本当・・は誰が出品したのか、調べてほしいとお願いしていたのだ。


 タイラー氏は自身のツテを利用し、色んなところに依頼していたらしい。その内の一人が辺境伯で、どうも辺境伯は自身の情報網を使ってオークションの出品者をわざわざ調べ上げてくれたようだ。


 表向きの出品者から何人もの人間、商会などを介して、件のオークションで得た利益は、やはり【封神四家】の内、ある一家へと流れているようだった。手紙には、どの家に金が流れているかも、きちんと明記されている。


 俺はその家名を目にして、妙に納得してしまった。


 オークションの資金が流れているというだけで、この家が黒幕だという証拠にはならない。過去に産出された素材を蓄財していて、今になって売り払っただけだと言われれば、限りなく怪しいことは事実だが、それだけで言い逃れすることはできてしまう。だからこの情報を他の三家に伝えても、警戒や監視を強化することはできても、黒幕として追い詰めることはできないはずだ。


 それに問題は他にもある。


 この家全体が一つの意思の下に纏まって動いているのか、それとも一部だけが密かに動いているのかも分からないのだ。


 だが――、


「明確に警戒するべき相手が分かっただけでも、収穫か……」


 この情報は、後でエヴァ嬢にでも伝えておこう。


 それに調べてくれた辺境伯には、何かお礼をしないとならないだろうな。……後で「翡翠」をもう一本作って、贈ることにするか。手紙で「翡翠」のことに触れていたのは、そういうことなのだろうし。


 俺はそう決めて、それから、もう一度手紙に目を落とした。


 読み返すのは、最後の部分だ。


 そこにはこう書かれていた。



 ――貴方がどんな理由でこれを調べて欲しいとタイラー氏に言ったのか、だいたいのところは察しがつきます。しかし、身の安全を考えるならば【封神四家】には深入りしないことです。彼らを刺激するべきではない。どうか御自愛下さい……。



「……どういうことだ?」


 辺境伯はなぜ、手紙に記した家名ではなく、【封神四家】と書いたのか。


 この時の俺には、その本当の意味は分からなかった――。



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