終わらないエピローグ
「聞こえますかー? 私の声聞こえてますかー?」
「脈は?」
「136!」
「血圧が!」
「神木真一朗さんですよね? 声が聞こえたら目を開けてくださーい!」
頬をぺちぺちと叩かれている。
俺は仰向けになっていて、身体が泥のように沈んで溶け出していきそうだった。背中は硬いものに触れている感覚があった。振動もあった。すぐに状況を看破できる自分が嫌だ。また、救急車だ。
耳の奥で鼓動がリヴァーブがかって聞こえる。速いな。
俺はゆっくりと目を開けた。
「あ、目が開きました! 神木さん?」
「……はい」
「聞こえてますね? 何があったか覚えてますか?」
「……灰谷病院に行って……渋谷戻って、電車乗って……」
「池袋のサンシャイン通りを歩いていたのは覚えてます?」
「……」
嫌だな。答えたくない。
俺はだんまりを決め込んで、眼を閉じる。
眠い。
「神木さん? 神木さん、大丈夫ですかー?」
「柊病院で確認取れました! 神木真一朗さん二十七歳、入院中で、四日前から行方不明だったそうです!」
「すぐ向かえるのか?」
猛スピードで走る小箱の中で、何人かの声が慌ただしく響く。俺はそんなもんは無視して寝ることにする。
*
あー、結局間に合わねえのかな。間に合わなかったのかな。
っていうか何だよ、この四日間は。
運命の相手を探して三人の男女に会ったけどさ。
どいつもこいつも本気で俺に殺される気なんてねーの。
命が惜しいの。
こっちは命を懸けたかったのに。
しかも何? 最初の女は死にたくないから生きることにして、二人目の中坊は絵を描くことに本気出すことにして、三人目の役者志望もなんかやる気出しちゃって。
俺ばっか人助けしちまってさ。俺は報われねえの?
報われないまま、誰に殺されるわけでもなく、誰を殺すわけでもなく、死ぬの?
夏目漱石だったか、英語の"I love you"を「月がきれいですね」と訳した話が有名だ。ソースはないらしいけど。
俺も言ってみたかった。
誰か、男でも女でも、俺の愛を受け止めてくれる、俺が命を懸けるに値する人間に、夜道とかで、手を繋いで、言ってみたかった。
無理なのかなぁ。
まぶたの向こうで光がはじける。
視界が赤く染まる。
「とんだ無茶をしたね」
気がつくと俺はいつもの病室で、いつものベッドで、服はそのままで、呼吸器を付けていた。窓の外はすっかり暗くなっていた。昼間の空模様を思い出す。今日って、三日月だっけ。
主治医のハゲがため息交じりに続ける。
「この四日間がどれだけ危ない状態だったか。処方箋まで用意して、まったく用意周到だよ」
でも俺、余命不明でしょ。略してヨメフメ。そう言いたかったけど、声にならなかった。
「今回は幸運だった。もう二度とこんな奇跡は起きないよ。治療に専念するんだ。医学は日々進歩してる。きっといつか新たな……」
俺は右腕で主治医の白衣を掴んだ。
ハゲは微塵も動揺を見せずに俺の呼吸器を外す。
左手は針を刺されていたけど、俺は構わずジャケットの内側からナイフを、ガーバー社のYari Ⅱを取り出した。流石のハゲも目を丸くし、一歩後ずさる。俺の右手はまだ白衣の裾。
「死んでもいい?」
「ダメだよ」
「俺も自殺は嫌だ」
「ナイフを渡しなさい」
言われるまでもなく、俺の身体は限界に達していた。Yari Ⅱが俺の手から離れ、威厳ある音を立てて床に突き刺さった。俺の身体はそのままベッドに沈み込む。ハゲがコールボタンを押すと、男性の看護師二人すっ飛んできて俺を仰向けにし、ナイフを回収して、点滴を繋ぎ直し、呼吸器をセットし直した。麻酔でも打たれたのか、俺の意識は混濁していく。
ヨメフメな俺は、残念ながらまだ諦めてない。
命を懸けるに値する人間を見つけて、たとえ月が見えなくても「月がきれいですね」って言い合って、相手の薄い笑みにうっとりしながら命を奪う。
俺のメッセージボックスはまだ受付中だから、もしあんたにその気があったら、いつでも連絡くれよ?
【了】
赤い月がきれいですね 八壁ゆかり @8wallsleft
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます