三人目
案外難しいもんだなぁ。
俺は池袋のネカフェで、パソコンに向かって適当にカーソルと視線を揺らしながら内心でぼやいた。
ブラウザはちょっと特殊なSNSを映していて、俺のメッセージボックスは一杯だった。死にたがってる人間は都内に絞ったのにこれだけいる。でも何だろう、自殺する勇気がないから俺に殺されたいという奴が多すぎる。それって俺が汚れ役を買って出るってことだろう。俺に殺人という最大級の罪悪をなすりつけようとしているだけだろう。それってどうなの、何なの。それじゃまるで俺が聖人みたいで、そして俺は快楽殺人者ではないので、要するに何の得もない。
でもねぇ。
ちょっとしたもどかしさ、強い言葉を使ってしまうと憤怒のような半透明の丸っこい感情が腹の中にぽこんと生まれる。
別に自死を否定はしない。好きなように生きて、好きなように死ねばいい。
だけど俺は、神木真一朗という人間として、命を懸けるに値する奴を、運命のお相手を探しているだけなのだ。
ひとり、心当たりがないわけではない。条件を満たす奴を、実は俺は知っている。
でも、俺はあいつのために命を懸けたくない。
大量のメッセージは既にふるいにかけてあった。しかしメッセージはどんどんやってくるので、新規メッセージにも目を通さなければならない。
『件名:女性限定でしょうか?』
ふと、そんなメッセージが目にとまった。クリックして中身を見る。
さほど長くないメッセージにざっと目を通し、もう一度最初からじっくりと読む。
オーケー、三人目決定だ。
*
思い上がりだと言われるかもしれないけど、単なる事実として言ってしまうと、俺は見た目が悪くない。学生の頃から逆ナンには何度も遭っていたし、異性同性構わず告白されたことも多々。モデルのスカウトなんかも、若い頃から今に至るまでよく声をかけられる。
何度も言うけど俺は殺すに値する、命を懸けるに値する人間を探している。性別や見た目や年齢なんて関係ない、ただ人間として俺が命懸けの愛を捧げられる存在。
「夜分にすみません」
新宿駅近くの隠れ家みたいなバーで、壁際のスツールに座る男が最初に放ったのがこれだった。
「別にいいよ、気にしないで」
「神木さん、飲まなくていいんですか」
「実は俺、下戸なんだよね」
「そうは見えませんけどね」
若い男は初めて笑った。薄茶色の髪の毛、陶器のような白い肌、整った鼻梁、濁ってはいるが二重のきれいな眼、少しめくれた唇。うーん、イケメン勝負なら俺の負けだな。
でも俺とこの男には根本的に違う点があった。俺は生きることに貪欲で、こいつはそうじゃなかった。別に暗そうに見えるわけじゃない。雰囲気とか、オーラとでもいうか、そういうものの差異だ。
「えっと、本題に入りたいんだけど、ここで平気?」
「あ、大丈夫ですけど……」
そう言いつつ、男の視線は少し移ろった。ピンときた。
「出ようか。ここ、高いでしょ」
「……お見通しですね」
そう、イケメン対決では負けた俺だが、ファッション勝負なら俺の勝ち。男の服装は決してダサくはなかったが、このオシャレで意識高めのバーでは若干浮く程度に安っぽかったのだ。
俺たちは無言で、夜の歌舞伎町で色んな声をかけられながら、路地裏に入り、さらに暗い方を目指し、とにかくネオンから逃げた。
薄暗い袋小路に入り込んでしまった。場違いに白い猫が俺たちを見ていた。表にある飲食店のゴミ箱からは酷い異臭がし、頭上の電灯もちかちかと落ち着かない。
「役者さんなんだってね」
俺がジッポを取り出しながら言うと、男は少し視線下げて、
「志望、って付けないといけないレベルですね」
と自嘲的に笑った。
「出身は?」
「茨城です」
「今はどこに住んでんの?」
男が一瞬、唇をぴっと引き締めた。
「情けない話ですが、今は住所不定です。友達とか、その、泊めてくる人を探して、色んな所を転々としてます」
「泊めてくれる人」
俺は煙を吐き出しながら、あえて復唱した。
「はい。神木さんには言えますが、僕は両性愛者です。男性でも女性でも、セックスを条件に、宿を提供してもらって……」
「なんで俺に殺されたいの?」
言葉を遮って俺が言うと、若い男はゆっくりと視線を上げて、俺の両目にぴたりと照準を合わせた。顎を引いて、男の濁った瞳を見返した。
「……きっかけは、最近手酷くフラれたことです。茨城から一緒に上京してきた恋人でした。彼はモデルとして、今徐々に人気を上げてきています。僕もよく、モデルのお誘いを受けますし、日銭を稼ぐのに単発のお仕事はしたことがあります。でも僕は演技をしたい。演技で認められたい。そう思って自分なりには努力してきていたんですが、彼から見たらそうじゃなかったみたいで」
「それでフラれたの? 夢を叶える努力不足で?」
「タバコ、一本もらっていいですか」
俺はJPSを一本取り出して男に手渡し、ジッポで火を付けてやった。
ふうと煙を吐き出すと、男は話を続けた。
「格差、とでも言うんですかね。彼はモデルのエージェントとちゃんと契約して活躍している、仕事も増えている。一方で僕は役者としての芽が出ず、くすぶっている……彼にはそう見えてたみたいで、自分にもっと相応しい、ステイタスの高い人と付き合いたくなったみたいです」
「そいつ殺してやろうか?」
俺が言うと、男はゆっくりと首を左右に振った。
「あいつのことは誰よりもよく知っています。向上心の塊で、どんどん上を目指して着実に結果を出す。こうなってしまったのも、僕が切られたのも、あいつらしい行動の結果です。それを否定するほど、僕はあいつを嫌いになれない」
ちかちかと不安定な光が降ってくる空間に、酔っ払った若者たちの騒ぎ声が届く。俺も男も黙った。酔っ払いたちの笑い声は空から降ってくるみたいに明るかった。
「失恋の傷心で死にたい、っていうわけでもなさそうだけど」
煙を吐き出しながら俺が言うと、男はまた自嘲的な笑みを浮かべる。
「本当にお見通しですね。神木さんは凄い」
「褒めてもナイフは増やさないよ?」
「……僕は」
隣に立つ男は、首を回して俺の顔を正面から見据えた。さっきより人間味が増した気がする。
「……実は、役者として全く芽が出てないわけでもないんです。先月も、下北のそこそこ大きなハコ、劇場で、ちょっとした役をもらえました。次の仕事も、口約束ですが、ないわけではありません。でも……」
憂いの表情は、もしかするとこの男の一番美しい瞬間かもしれない。
「自分で言うのも変ですが、僕が与えられる役は、言ってしまえば二枚目役です。見栄えがよくて、ちょっとした台詞ひとことふたことある程度のもの。舞台に限った話ではなくて、普段の生活でも、見た目がいいからって近づいてくる人がたくさんいます。そういう人、僕は見れば分かります。でも思うんです。この人たちは、僕が顔を壊しても同じように付き合ってくれるかな、って。僕の予想では九割方NOですが」
それはちょっと同意できる。イケメンにはイケメンの苦労があるってことだ。
だけど、俺とは異なる点がまたひとつ現れた。
「九割方NO」
「そうですね、多分」
「じゃあ残りの一割を、あんたは切り捨てるんだ」
男は虚を突かれた様子で俺を食い入るように見詰めた。
「俺はね、顔やスタイル目当てで寄ってくる人間も歓迎するよ? 何故なら顔がいいのも俺という人間の立派な一部だから。もちろん中にはうざい奴もいるし、危ない奴もいる。でもさぁ、俺は人間見た目も大事だと思うんだよ。少なくとも俺は、あんたほどじゃないけど、見目麗しいことでちょっとした幸運を得てきた。俺もメシ代がないような時期があってね、そういう時に、馴染みの人が弁当くれたりしてさ。俺は、言ってしまえば、自分のルックスのよさを、いい意味で利用して生きてる。あんたの言い分を聞いてると、自分の見た目、外面じゃなくて、内面を評価してくれる人間を探しているように受け取れる。じゃあ俺は? 俺はあんたの顔を知らずに会いに来たけど?」
男は黙ったまま、フィルターまで吸い尽くしたタバコを捨てた。
「ごめん、続けるわ。さっきあんた、イケメン役なら仕事もらえるって言ってたじゃん。それってなんか不都合あんの? 演技力のないイケメン俳優なんてごろごろしてるけど、あんたは自分の演技力を認めて欲しいって言ってるわけだよね? 美形で演技力も高かったら無敵じゃね? なんでそれを目指さねえの? 役もらえるだけいいじゃねえかよ。つーか、役もらってる時点で、あんた自身も自分のルックスの良さの恩恵を得てるってことじゃん? 矛盾してるっていうか、ちょっと都合よすぎね? 顔を壊したいなら、そのすっとした鼻、削いでやろうか?」
俺がいつものナイフを取り出すと、男は一歩後ずさった。こんな薄暗い空間でも、黒い刃はちゃんと凶器として男に見えているらしい。
「じょ、冗談ですよね」
「は? 俺はあんたを殺しに来たんだよ? なんでこんなジョーク飛ばす必要があんの?」
そう言って俺は男の左手首を掴んだ。
「運命線でも伸ばしてみる?」
男の手のひらにナイフの切っ先を添える。
「……神木さん」
「なに」
「殺人の依頼はキャンセルさせてください。だけど」
俺は彼の手首を離してはいなかった。
「どこか、演技に支障のない場所に、傷をつけてもらえませんか」
「何のために?」
「僕は……」
言いかけると男は足元から崩れ、左手首だけ俺に預けて、静かに涙を流していた。
「もしかしてアレ? 忘れたくないからとかそういうの? それは断るよ」
赤くなった涙袋が、男の瞳をより黒く見せる。
「ダメですか」
「うんダメ。自分でやるのもダメ。身体に傷を付けていいのは、俺でしょ。で、俺は断る。決意とかね、さっきの努力不足云々とかね、そういうの、形に残さない方がいいよ。なんでかっていうと、決意とかの内容って割と柔軟に変えられるから。努力不足に関しては、不足だったってことを忘れるくらい努力すりゃいい。端的に言えば、死に物狂いになれってこと」
「でも僕はこれまで……」
「甘えんなよ。俺に殺人依頼する程度の余裕はあったんだろ。余裕なんてあってどうするよ。必死こいて死ぬ気でやれよ。今のおまえは、自分のタナトスに酔ってるナルシスくんにしか見えないね」
飽きた。男の手首を離し、その場を後にした。
明治通りに出るまで随分迷ったが、帰りの電車内でメッセージボックスを見ると、先ほどの男から件名のないメッセージが入っていた。
『絶対に見返しますよ、神木さん。絶対、僕主演の舞台か映画のチケットを送りつけてやります。だから、僕のことを忘れないでくださいね』
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