一人目

 一人目は、世田谷区在住の二十代の女だった。

「本当に、生きていても意味がないし、辛いだけなんです」

 下北沢の小洒落たカフェで、女の表情は照明の具合かえらく暗く見えた。

「だから神木さんのメッセージを見た時、この人なら私の全てを終わらせてくれるって、そう確信したんです」

 命を奪うっていうのは、俺に言わせれば最上級の愛情表現だ。

 これまで俺が奪ってきた命、昆虫とか金魚とか植物とか蝶とか雀とか椋鳥とかハムスターとかモルモットとか蛇とか猫とか犬とか、あいつらの命を奪うのと、人間の命を奪うのは話が違う。

 俺はそこまでの楽観主義者ではないので、人間の命を奪えば、まあまず警察に捕まるだろうし、刑務所行きだろう。ことによっては一生ムショ暮らしかもしれない。それって、俺の命を懸けるってことだ。

 だから、その相手は慎重に選ばなくてはならない。

 無差別だなんてとんでもない。本当に愛する人間の命を、こちらも命懸けで奪う。それが、俺の恋愛観であり人生観だった。

 大学の時、本気で惚れていた女に「殺していい?」と聞いたら最初は冗談かと思ったのか笑ってたけど、俺がその細い首に手をかけると飛び上がって逃げていったので、俺は自分の恋愛観が少々風変わりであることを理解している。

「リスカしても、ODしても、死ねないんです。今日も来る時に駅のホームから線路見てて、でも飛び込みって物凄く迷惑かけちゃうし、賠償金も相当だって聞いて、この後に及んで両親に迷惑もかけられないって思っちゃって……」

 目の前でハーブティーを啜る女は、黒髪をアップにしたらもう少し明るい印象になって、それなりにかわいくなれるであろう、と思わせるくらいの外見だった。スタイルも悪くないし、服装だって今流行りのポイントを押さえている。でも俺はひとつだけ、大きく気にくわない点があった。手首の傷を隠していなかったのだ。

「じゃあ行こうか。どこか希望の場所ある?」

 ちょっとしたいたずら心みたいなものが胸の内に沸き上がるのを感じながら、俺は伝票を取って立ち上がった。女は小さな瞳で俺を見上げる。その口は半開きだ。

 女がどこでもいいと言うので、俺らはちょっと歩いてラブホに入った。

「あの、ホントに殺してくれるんですか?」

 エレベーターの中で、女は少し震える声で聞いてきた。

「そうだけど」

「……分かりました」

 部屋は安っぽい、どこにでもあるラブホテルの典型だった。

 俺は二人掛けのソファに腰掛けて、視線をうろうろとさせている女に声をかけた。

「じゃあこっち来て」

「あ、はい……」

 女はゆっくりと、遠慮がちに俺の隣に座った。

 次の瞬間には、俺はナイフを女の左目の前でぴたりと止めていた。ガーバー社のYari Ⅱ、刃もダークグレーの、俺の一番のお気に入り、勝負ナイフだ。

「ひっ……」

 引きつった、胸くそ悪い声が聞こえた。女の目は大きく見開かれ、光るナイフの先端と俺の目を交互に見ている。俺が何年殺生のキャリア持ってると思ってるんだ。少し腹立たしくなってきた。

「死にたいんでしょ? だから俺が殺す。どう殺すかは俺が決める。そういう約束だったよね?」

 ナイフを少し揺らし、目頭と鼻筋の間を突いてみた。もちろん出血すらしない程度にだ。

「あ、あ、あ……」

「左目、右目、上唇、下唇、あと耳たぶ、全部削ぎ落としてから心臓を刺そうか。リスカとどっちが痛いかは分からないけど」

 そう言ってにっこり笑うと、女は悲鳴を上げた。予想していた事態なので、ジャケットから素早く布を取り出して口腔に突っ込む。女は俺から逃れようと両手両足をばたばたと動かし、でも俺は女の右足をがっちり掴んでいたので、その様子は踊っているようにも見えた。つまんねぇ。

 俺が立ち上がってナイフを仕舞うと、床に転げ落ちた女は涙と鼻水でてらてらと光る顔を伏せて泣き始めた。

「あ、あ、あた、私は……」

「うん、びっくりさせてごめんな。あんた別に死にたくないんだと思うよ?」

 しばらく室内には、女の嗚咽だけが響いていた。

 その間俺はゆっくりとタバコを吸い、二本目の火を消したところで部屋を出る支度をした。

「神木、さん……」

「ん?」

「本当に、人を殺したことないんですか……?」

「ないよ。殺人童貞」

 俺はもう靴を履いていた。

「……死にたくないから生きる、って、生きる理由になりますか」

 軽く肩をすくめる。

「それを決めるのはあんた自身なんじゃない? じゃあね」

 翌日、その女から、よく論旨の掴めない、しかし感謝らしき感情は伝わってくるメッセージが届いた。俺はあくびを噛み殺して、さて、二人目に会いに行こう。


  

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