第6話 恐怖
深夜、俺はあの鬼の哭き声で目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。体にはタオルケットがかけてある。自分でかけた記憶はない。多分各務さんがかけてくれたんだろう。
俺達は夕飯を食べ終えた後、浜辺に寝そべり、星を見ながら話をしていた。
しかし、晃達は一向に帰ってくる気配はなく、夜も更けてしまった。
身体を起こし辺りを見回すが、各務さんの姿は見えない。時計を確認すると、深夜三時を過ぎた頃だった。
俺は尿意を感じたため、トイレに向かう。コンクリートで出来た、どこにでもあるような簡素なトイレだった。
寝起きのボーっとした頭でようをたす。
その時、どこからかかすかに誰かの声が聞こえた。一体誰の声だろうと耳をすます。
「どう………よ…日が…………帰っ……くる……じゃない」
壁の向こう側からだろうか、くぐもった様な声が聞こえるが、内容はよく聞き取れない。
俺はとっくに用を足し終わっていたが、そのまま聞き入る。
「こっちは……よ。そっち…どう………信一…………たの」
何とか信一という言葉を聞き取る事は出来たが、何を言っているのかは不明だ。やはり声は正面の壁の向こう側から聞こえる。このトイレに隣接するシャワー小屋からだろうか。俺は素早く手を洗い、シャワー小屋の前まで移動する。
シャワー小屋は、女性陣の更衣室として使われている為、中には入らず入り口の前で息を殺す。
「……の計画……じゃない。これ以上は待てないわ。………戻って来ない……僕が………行く……」
先程よりかは明瞭に聞こえるものの、何を言っているのか判然としない。声の主は各務さんで間違いないのだが、他に誰かいるのだろうか。
しかし、各務さん以外の声は聞こえない様な気もする。
中に入ろうか、それとも声をかけようか迷っていると、各務さんが姿を表した。
互いに驚き、一瞬硬直する。
「石川君! ど、どうしたの?」
「い、いや、目を覚ましたら各務さんがいなかったし、その、トイレにいったら声が聞こえたからさ……」
「もしかして……全部聞こえた?」
「ぼそぼそ何か言ってるのはき、聞こえたけど、何を言ってるかまでは聞こえなかったよ。誰か、いるの?」
俺は各務さんの後ろをのぞきこむ様にする。
「だ、誰もいないよ。僕の独り言だから気にしないで」
各務さんにしては珍しく、慌てた様に両手を振り否定する。
「なんだ、そうなんだ。それにしても晃達、どうしたんだろうな。こんな時間になっても戻ってこないなんて」
左手にはめている腕時計は午前二時過ぎをさしていた。
「さ、さぁ。道にでも迷ったんじゃない? とにかく、起こしちゃってごめんね。僕ももう寝るから」
各務さんは少し慌てた様に、シャワー小屋の中へ戻って行った。
「ふぅ、俺も寝るか」
各務さんの態度に若干の引っ掛かりを感じるものの、とりあえず今日は寝ることにした。再び寝て、朝になっても誰も帰って来なかったら探しに行こう、そう思いテントへ入った。
無人島の為、盗難等の心配はないが念のため入り口のジッパーを閉めることにする。蚊などの虫か入ってきて欲しくないという事もあるが。
先ほどのタオルケットを体にかけ、横になった。地面は砂浜である為、寝心地はそれほど悪くない。
そして、しばらく物思いにふける。
各務さんの言っていた言葉。あれの意味する所は何だろうか。
『計画』『待てない』『行く』
各務さんは、何かの目的があってこの島に来たのだろうか。
「鬼退治かなぁ」
俺は思わずその独り言に笑ってしまった。そもそもが作り話であり、晃と親しい俺でさえこの島を知ったのはつい最近になってからだ。それを、各務さんが以前から知っているとはあまり考えにくい。仮に知っていたとしても、各務さん自身鬼がいることを信じていないのだから、鬼退治という事はありえないだろう。
「じゃあ、何のためだろう」
まさか、信一をこの世から消すためだろうか。確かにこれ以上のチャンスはまたとないはずだ。各務さんは、常日頃から信一には『死ねば?』とか『殺害するよ?』とか言っている。信一に向かって銛を投げたのも、実は本気だったのかも知れない。そうすると、信一が姿を消したのは各務さんの仕業なのだろうか。
しかし、あの時各務さんは俺達と行動を共にしていたし、信一と一緒にいたのは唯だ。
「唯もグルという可能性は……」
無いだろう。あいつがそんな野蛮な事を手伝うとは思えない。明日、各務さんに直接聞くべきだろうか。
しかし、今までギクシャクしていた感じがこの島に来てから無くなった。その良好な関係は壊したくない。
そんな事を考えていると、だんだん瞼が重くなって来た。
しばらくうとうとしていた時だ。テントの外で、唸り声のようなものが聞こえた。俺は眠気をこらえ、耳に意識を集中させる。
まるでゾンビのようなその唸り声は段々と近づいて来ている。さざ波の音に紛れて、砂の上を擦る様に歩く音も聞こえる。信一が戻って来たのだろうか。
しかし、それにしては様子が変だ。
俺は目を閉じたまま息を潜めじっとする。いざという時のために手元にあった包丁を握りしめた。
じわじわと近づいてくる唸り声。もうすぐそばまで来ている気配がする。
しかし突然唸り声がやみ、足音も聞こえなくなった。
どうしたのだろうか。俺の幻聴だったのか。飛び起きたい衝動を堪え、うっすらと目を開ける。そこで、信じがたい物が目に入った。
月明かりがテントに作った影。
それは普通の影では無かった。二本足で立つそのシルエットの、額と思われる箇所に存在する突起。
鬼だ。鬼が実在したのだ。俺は震え上がった。
晃の話は作り物なんかじゃなかった。今、俺の目の前に鬼がいる。俺は喰われてしまうのだろうか。
しかし、生け贄に捧げられていたのは若い女性だ。
各務さんが危ない。俺は咄嗟にそう思った。
けれど萎縮してしまった今の心では、この場を動く事すらままならない。
シルエットがこちらに近づいてくる。
俺は瞳を閉じ、息を殺す。テントのジッパーが少しずつ開かれていく。見たい衝動に駆られるが、俺はじっと耐える。
ジッパーを開く音が止む。
中を伺う気配。
見られている。
俺は今、確実に見られている。
しかし、俺には寝た振りを続ける事しか出来ない。
永遠に続くかと思われた時間。
しかしそれは、ほんの数秒の事だったかもしれない。鬼がテントから離れる気配を感じた。俺は極度の緊張が解けたためか、安心した瞬間、気を失っていた。
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