第5歩 長く、ゆっくり、遠くまで

「風吹君、もっと姿勢よく!」


「は、はい!」


 あれ、家に行く話だったような。ぼくだけ勘違いをしていたんだろうか。あれから、1時間ほど走り続けている。しかも白腹さんの愛犬のコジュがてくてく歩くペースで走っているのである。


「あの、青咲さん。これは、家に行かずに検証が始まったということですか?」


「そうかもな。まあがんばれ」


「なっ!青咲さん、歩いてるじゃないですか」


「私はついてきているだけだ。検証に参加するとは言っていないよ」


「うぅ、そうでした」


 地味にきつい。足の感覚がなくなってきた。


「白腹さん、これは一体何走りですか」


「おっ風吹君、よく聞いてくれた。これはねえ、LSD。長ーく、ゆっくり、遠くまで走るトレーニングだよ。ダイエット目的でやる人も多いけど、僕は長く走ってみたくて始めたんだよ。あっ後30分は走ろうか」


「30分……」


 1時間しか走っていないのに、3時間くらいは走っている感じ。まあ、ぼくはそんなに長く走ったことないけどさ。白腹さんに何度言われたかわからないが、フォームがどうしても崩れてしまう。ずっと同じフォームで走り続けている白腹さんが、よりかっこよく感じた。







「もうそろそろいいかな。よし、終わりにしよう、風吹君!」


「はあー……終わったー」


 足を止めてから、その場に崩れ落ちそうになったが、白腹さんに少しは歩いたほうがいいと言われて、適当に歩いてからベンチに座った。今気が付いたのだが、走り始めた場所に戻ってきていたようだ。


「白腹さん。いつもこんなに走っているんですか」


「うん、いつもの散歩コースだね。コジュが好きな道なんだよ」


「わふっ!」


「そうなんですね。すごいです、こんなに長く走っているなんて」


「まあね、慣れだね。でも、風吹君も完走したし、すごいのは風吹君も一緒だよ」


「白腹さん……!」


 なんていい人なんだろう。今ので疲れが吹き飛んだ気がした。


「お疲れ、白腹さん、日雀君」


 どこかに行っていたらしい青咲さんに声をかけられた。その手にはペットボトルが2本。そして、紙コップも持っていた。


「青咲さん、まさかっ」


「君たちの飲み物だよ」


「青咲さんっ!」


「はい、日雀君」


 1本のペットボトルと紙コップを渡された。なぜか紙コップは2個。


「あれ、青咲さん。紙コップって何用ですか?2個ありますけど」


「何って、2人で1本だから、紙コップを渡したんだよ」


「なるほど……」


「じゃあ、私の分もついでくれ」


「あっぼくと白腹さんの分じゃなかったんですね」


「ああ、白腹さんはコジュと分けて飲む。はい、白腹さん」


「お嬢、ありがとう」


 青咲さんがお嬢と呼ばれていることに違和感しかない。何でお嬢なんだろう。まあ、なんか色々ありそうだよね。ぼくの勘だけど。……あれ、そういえば犬ってペットボトルの水飲んで平気なのか?どこかで水道水の方が動物の身体に適してるって聞いたことあるけど。


「どうしたんだ、日雀君」


「いや、コジュにあの水をあげても平気なのかなあと思いまして」


「それなら平気だよ。白腹さんはお腹を壊しやすいから、常温の水道水じゃないと飲めないんだ。空のペットボトルがあったから、君の家で水を入れてきたんだ。あれなら安心してコジュと一緒に飲める。白腹さんは冷たい水を飲んだら大変なことになるからな。まあ、温かい飲み物も猫舌で飲めないけど」


「そうなんですね……というか、何普通にぼくの家に入ってるんですか。まったく、どこから入ってるんだか」


「いや、今日は能力というより、鍵は閉まってなかった」


「ん?!」


「大丈夫だ。私が閉めてきた」


「あ、良かった。ってよくない!!」


 出かける時の戸締りは必ずやっているのに、今日はなぜか忘れてしまってたらしい。まあ、彼女……というより元カノが家を出る時に、色々持って行ったから、取られるようなものはほとんどないけど。はあ。ぼくは、何歩目で彼女のことを吹っ切れるのか。


「日雀君は考え事をすると手が止まるタイプなのか。私も喉が渇いてるし、早く注いでくれると助かるんだが」


「あっそうでした。すいません」


「いや、検証に適任だと思うよ。君みたいな人はね」


 そう言って、にやにやしながら、ほら早くと急かす青咲さんは、何だか楽しそうだった。あれ、青咲さん汗かいてる。青咲さんはぼくたちと一緒に走ってないし、ぼくの家は公園の側だし、ぼくたちが1時間半走った場所はこの公園だし。


「青咲さん、何で汗かいてるんです?」


「何でって言われてもなあ。私だって汗はかくよ。まあ確かに、人から見えるところは汗をかかないから、汗をかいてもばれにくいけどな」


「いや、そうじゃなくて、ぼくたちと走ってないのに、汗かいてるから気になって。どこか行ってたんですか?」


「ん。行ってたよ。君の友達の家に」


「え、友達?」


「ああ、ほら、君と似た引きこもりの…………なんとか君だ」


「なんとか君……?」


 さっぱり分からない。誰だ。ぼくの友達?ぼくに似た友達……。名前が思い出せなくて、白腹さんに変な絡み方をし始めた青咲さんを見ながら、なんとか君が誰なのかはっきりさせようとしたが無理だ。ごめん、なんとか君。コジュにもちょっかいを出し始めた青咲さんを止めながら、なんとか君に思いを馳せた。誰だかよく分からないけれど。

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