第39話 絵文字

 仕事中の高橋の携帯電話が、メールの受信を伝えた。

〝報告が全然ないんだけど、どうなってんの?〟

 こんな短い文面の最後には、怒って顔を赤くし眉をつり上げた絵文字が添えてあった。……うわっ、と高橋は怯んで、すぐさま携帯電話を見なかったことにした。どんな迷惑メールよりも迷惑だった。

 見てない見てない、俺は見てない、と仕事をはじめかけたところ、追伸。

〝今日中に何か一つ、調べて知らせなさいよ〟

 今度のメールには、差し出した手の平が前後に動く絵文字があった。使い方あってんのか?

 これを片付けなければ仕事をさせてもらえないと観念した高橋は、「あー、ちょっと疲れたなぁ」と十三号にギリギリで聞こえる声で呟いて、今から少し休憩する雰囲気を出した。これはつまり、これから単なる気晴らしの、気まぐれの、気ままなお喋りをするぞ、というアピールだった。だから笑って流せよ、ということだ。

 なんともない喉で咳をして、

「あ、そう言えば山田、こっちの方はどう?」

 高橋は下手くそな作り笑いで、立てた小指を十三号に見せた。残念ながら赤い糸の見えない小指だ。

 十三号はじっと高橋を見ていたが、その仕草の意味が理解できていなかった。頭のなかで呟く。……こっちの方、とはその小指の示す方向ということだろうか。いや、おそらくそうではないのだろう。方向を示すとき、人間は普通、人差し指を用いる。これが親指なら「ナイス」の意、中指なら侮蔑。では小指だけの場合はどういう意味なのだ。

〈そこまで知ってりゃわかるだろ〉船長が声を挟んだ。〈小指は恋人の意味だ。そういう存在ができたかと、高橋はお前に訊いているのだ〉

〈どう答える?〉

〈なんでもいいよ。好きにしろ〉

 高橋は黙り込んだ十三号へ、「どうなんだよぅ?」とにやけ面で質問を重ねる。「これが」小指を立て、「これで」大きな腹をなでるような仕草、「これで」頭に角が生えたジェスチャー、「みたいなことって、ねえの?」やめろ、これ以上十三号に余計なことを教えるな。

「ありません」きっぱりと十三号。

「……だよなあ」

 少しだけ残念そうに高橋は頷いて、腕を組んだ。もし十三号の答えが、「実は彼女が出来まして」なんて内容だったら、長谷川の恋路は行き止まり、厄介事からは解放されただろう。だけど十三号に彼女はいない。つまり、まだまだ厄介事は継続するのだ。

「なあなあ」椅子を十三号に寄せて、高橋は内緒話の調子で囁いた。「山田さ、長谷川さんっていたじゃん? いるじゃん? 依然いるじゃん? どう?」

「どうと言われましても」

「なんかタイプっつってなかったっけ?」

 十三号のコンピューターが過去の場面を再生した。船長の言葉に従って、たしかにそんなことを言ったことがあった。

「あれは……」十三号には珍しい言いよどみ。「売り言葉に買い言葉です」

「ああ、そう。用法違うと思うけど、ああ、そう」

 これは報告できないな、と高橋は苦笑いして頷いた。そして、

「ちなみに山田は、好きな食べ物ってなに?」

「……」ナウローディング。「卵焼きです」

「純朴だな。昭和かよ!」

 まずまずのツッコミをして、高橋は会話を終わらせた。仕事を再開しようと、パソコンと向き合う。しかし、どうも携帯電話が気にかかる。今にも催促のメールが届きそうなのだ。……あーあ、メンドクセ。

 嫌々ながら高橋は、メールを作成した。

〝山田、今んとこ彼女はいないってよ。あと、好きな食べ物は卵焼きだってさ〟

 普段なら使わない絵文字などを添えてみた。原始的な焚き火の絵文字だ。卵焼きを作るにしては過剰な火力だろ、へへ、送信っと。

 携帯電話を置くか置かないかというところで、また受信音だ。

〝今どき卵焼きって……。昭和の子供じゃないんだから。でも意外と可愛いかも。純朴で〟

 自分と同じことをいう長谷川のメールを見て、高橋はちょっとだけ照れくさかった。案外気が合うのか? なんて思いかけて、ぶんぶんと首を横に振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る