恋愛衛星

@itsushima

第1話 日曜日

 彼女は日曜日の昼下がり、ちょっとした買い物の途中に、レンタルビデオ店に立ち寄った。これといって目的があるわけではないのだが、併設の本屋に退屈をやっつける何かしらを期待して、彼女はふらふらと店内に吸い込まれた。

 雑誌を立ち読みしたあと、彼女はレンタルDVDの棚の前を歩き回った。いまいち映画って気分でもない彼女は、ふ~ん、といった顔つきで、タイトルの文字を拾って歩いていく。そこに、棚の向こう側から、店の人の話し声が聞こえてきた。

「ちょっと田中君、これ、どういうこと?」

 と、一人の声は、静かだけど確実に叱責の口調だった。怒られているらしいもう一人は、弁解も謝罪もしていなかった。

「なにを勝手に飾りつけてんの? これ新作でもなんでもないよね?」

 怒っている方は、ここで一旦言葉を切って、何かの反応を待った。数秒の間。

「……え? なにその頷き?」

 どうやら怒られている方は、ただ堂々と無言で、こっくりと頷いただけらしい。その不可解さに、怒っている方はたじろいだ。そりゃ不気味だ。

「もういいよ、とにかくこんなのさっさと片付けて。どうせ誰にも借りられないよ」

「はい」

「……時々勝手なことするなあ」

 なんてぶつくさ言いながら、声は遠ざかっていった。それからは、早速せっせと片付けを行っているらしい音が聞こえてきた。彼女はちょっと興味をもった。ぐるりと棚を回って、その場を見てみる。

 そこにいたのは、外国のロックバンドのボーカルのような、恰好いいけど近寄りがたい、だけどちゃんと店のユニフォームを着た男だった。男が片付けている棚には、贅沢な幅をとって手作りのポップが貼られていて、一本の映画をぐいぐい推していた。ポップには、気味が悪いほどの細かい字で、あらすじや出演者、いかにこの映画が素晴らしいかが書かれていた。百点満点中千点、と飲み込めない評価がされていた。

 彼女は気まぐれに、その映画を手にとってみた。パッケージ裏などを見てみる。

「それはアクション映画です」

 英語を訳したような調子で、男が突然言った。彼女はびっくりしたが、なんとか不器用に「へ、へぇー」と言うことができた。なるほど、アクション映画だ。

「アメリカの監督の作品です。アカデミー賞は受賞していません。監督は七十歳にして三度目の結婚をしました。去年の秋のことでした」

「ふ、ふ~ん……」

 そのまま棚に戻そうかとも思ったのだが、すぐ横で佇む男に、彼女は謎のプレッシャーを感じてしまい、結局その映画をレンタルすることにした。男は真顔で、またこっくりと頷いていた。それでいい、といった風に。

 レジにいたのは、さっき怒っていた人だった。彼女が置いたDVDを見て、その人はちょっと驚いていた。つい今さっき、こんなの、と言った手前、どうも立場がない。

 彼女は財布から会員証を取り出す。ピッ。レジのモニターには「島村咲子」と、彼女の情報が表示された。



 彼は、だらだらと過ごしてしまった日曜の夜、コンビニエンスストアに行くつもりでアパートを出た。だらけて過ごしてしまった休日。あっという間の夜。そんな倦怠感に、彼の足取りもやや重たい。

 晴れた夜道を歩くうち、彼はなんとなく、レンタルビデオ店に寄ることにした。彼のアパートから最寄りのそこは、本屋の併設もなにもなく、シンプルに映画だけを扱うという、このご時勢に中々渋い営業方針を打ち立てている店だ。彼は車の絶えた好機を見て、車道を小走りに横断した。青信号と街路灯が、滑走路のように連なっていた。

 レンタルビデオ店は案の定、閑散としていた。大丈夫だろうか、経営は。

 目当ての映画もとくにない彼は、自分の興味と相談しながら、パッケージを眺めて歩いた。サスペンス、ヒューマンドラマ、ラブロマンス。殊にラブロマンスなんて、彼の食指をちっとも動かさなかった。「けっ」と吐き捨てて、足下のゴミでも蹴飛ばしたいくらい、彼はむしろ反感を覚えたほどだ。

 そうして彼は、さも事も無げに、なじみの蕎麦屋みたいな自然さで、十八歳未満の立ち入りをお断りしている暖簾をくぐった。こっちのラブロマンスには興味があるわけだ。目くるめくエロス。ピンク色の世界。

 十五分ほど経って、彼はその区画から出てきた。まれにカップルなんかが目の前にいて、やりきれない屈辱を舐めさせられることがあるが、幸いそのときは無人の通路があるだけだった。足音も軽やかにレジへ向かう。

 こういうとき、レジが男なのは大変気が楽なものだ。彼はどこか共犯めいた感覚で、エロDVDを置いた。恥ずかしながら三枚だ。レジの男は、外国のロックバンドのボーカルのような風貌で、似合わないエプロンを着けていた。まったくの無表情だった。

 彼は会員証を差し出し、店員の男はそれを受け取る。無言。レジだけが、ピッ、と音を立てていた。「高橋友彦」とモニターに彼の名前が表示されていた。分かりきっている金額を支払い、DVDを渡される。なんと店員の男は、終始無言だった。最後にこっくりと頷いただけだった。その頷きにこめたのは、男と男の、みたいな理解なのだろうか。

 それからコンビニエンスストアに寄って、彼はとぼとぼ家路を辿る。手にはコンビニの袋と、DVDの入った簡素なバッグ。そのバッグには、彼が借りたよりも一枚多いDVDが、店員の男によってそっと滑りこまされているのだが、彼はそれを知らない。

 彼はもうすぐ終わってしまう日曜日と、もうすぐ始まってしまう月曜日を考えて、ちょっとだけ気持ちを沈ませる。名のない気詰まりを蒸発させるように、夜空を見上げた。

 消えそうな星と、欠けた月。

 ……ん、UFO? と彼は夜空に目をこらした。残念、それは単なる飛行機だった。あるある。しかし彼はそれでも夜空を見上げていた。一瞬、それとは別に、キラッとした光が見えた気がしたのだった。

 流れ星かな?



 彼の視線の先を、どこまで真っ直ぐに辿ってみよう。高度をぐんぐん上げて、成層圏やオゾン層を突き抜けて、無重力の宇宙空間へ。そして地球の衛星軌道に到達する。そこに浮遊するのは、地球人的な呼び方をするならば、アダムスキー型の飛行物体、そう、UFOだ。全体的に銀色で、丸みを帯びた可愛らしい形をしている。とは言え、大きさは学校の体育館くらいはある。

 内部のメインコントロール室は薄暗かった。たくさんのモニターがアタック25みたいに並び、その前にはカラフルなボタンをあしらった操作盤があった。照明を落として、モニターやボタンの輝きだけを光源とした室内は、巨大なカジノの警備部門のようなおもむきだった。

「……うん?」と、その室内に一人きりの男は呟いた。「なんでこっちを見る? なんだよ、見るなよ、こわいだろ」

 そう言う男が見ているモニターには、地上を俯瞰した映像が映っている。先ほど辿った視線の、今度は逆をいく感じだ。超長距離の地上と宇宙船とで、目が合ったようなわけだ。

 しかしモニターのなかの男は、すぐに夜空を見上げるのをやめて、歩き始めた。

「そうだよな、気付くはずないよな、ふふふ」

 陰気に笑って椅子にもたれる、こちら宇宙船の男は、冬の船乗りのような恰好をしていた。頭にはそれっぽい帽子もある。これらは、どうしてもいい恰好をしたい男が、わざわざ自分で揃えた品だった。

 それからしばらくして、自動ドアが滑らかに開いた。

「おつかれさまです、船長」

 入ってきたのは、男の唯一の部下の女性だった。女は、別に制服でもないのだけれど、趣味で軍服を着ていて、長い髪を後ろで一つに結っていた。地球の基準に照らせば、凜とした感じの、かなりの美人と言えた。

「おや、サヨコ君。ご苦労。本部への報告は済んだかね?」

「はい」

 サヨコは答えて、部屋の中央にあるテーブルの椅子に腰を下ろした。ため息をつきたそうだった。

「本部はなにか言っていたかね?」

 船長はモニターから目を外さない。

「……大変だね君も、って言われました」

「え?」

 ここでサヨコは本当にため息をついて、そして力なく笑った。

「船長、あんまり人望ないんですね」

「む」

「あの人の仕事に付き合わされて、君も大変だろうね、って労われました」

「いいよ、ちゃんと言わなくて」

 船長はすねたように、座っている椅子をくるくると回した。

「本部は」とサヨコは報告を続ける。「とにかく早くしてほしいとのことです。正直それほど期待してないけどね、とのこと」

「馬鹿な! サヨコ君、これを見たまえ」

 やにわにムキになって、船長はボタンを操作した。一番大きなモニターに、散らかった部屋の様子が映った。「ちょっと待って、今、二画面にしてみよう」さらにカタカタとボタンが押され、画面が分割された。二つの部屋が並んで映る。

 一方は畳を敷いた和風の部屋で、ジャンクフードのゴミや空いたペットボトルなどが散乱している。気まぐれに買ったらしいダーツなどが、なんだかダサい。

 もう一方はしっかり整頓された瀟洒な部屋だった。間接照明が穏やかな色を広げ、オシャレな生活感を演出していた。アロマとかをしてそうだった。

 どちらの映像も、部屋を斜めに見下ろす角度で、盗撮カメラのような質感だった。というか盗撮カメラなのだ。

「彼と彼女、高橋と島村の部屋ですね」

「そうだ。上手くいけば、今に面白くなるぞ。あとで吠え面かくなよ」

「実際にそれ言う人、はじめて見ました」

 そうこうするうち、映像のなかで、トイレに行っていたらしい高橋が戻ってきて、だるそうにソファーに寝転んだ。一方、台所でコーヒーを淹れていた島村も、カップを手にしてソファーに座った。姿勢や品は違えど、二人は同じくぼんやりと、テレビを眺めていた。やがて思い出したようにDVDを持ち出して(高橋の方は、心当たりのないDVDに首を傾げたりしていた)ほとんど同時に、映画を観始めた。それはかなり奇跡的なタイミングだった。

「どうだサヨコ君、すごいだろう」

 えっへん、とばかりに威張って、船長はモニターを指差した。「人望はなくとも、それなりの仕事はする。そういう男なのだ、私は」

 サヨコは、カッコ悪いな、この人、と思ったが、一応は上司にあたるのでそれは口に出さず、代わりに質問をした。

「どうやって仕組んだんですか?」

「ふふん、サヨコ君、分かりきってるだろう? 十三号だよ」

 得意になった船長は、芝居がかった口調で、どのように十三号を動かしたかを説明した。

 十三号というのは、この宇宙船から地上に送り込んだロボットで、見た目はしっかりと人間の容姿をしている。地球人の男性タイプとして作られた十三号は、外国のロックバンドのボーカルのように、やや粗野な容貌をしていた。しかし頭には高性能な集積回路、そして体は疲れを知らない超合金。十三号は宇宙船からの指令を受けて、確実にその指令を遂行するのだった。

 眠る必要も食べる必要もない十三号は、二十四時間をフルに使って、様々な職に従事していた。あるときは交通整理をし、またあるときは夜間の警備員。素晴らしい物覚えの良さは、どの職場でも即戦力だった。別々のレンタルビデオ店でアルバイトすることなんて、お安い御用だ。指令により、時々突拍子もないことはするが、十三号はどの職場でも、まず重宝がられた。

「……というわけで、高橋と島村に、同じ映画をレンタルさせることに成功したわけなのだよ」

「ああ、そうですか」

「反応薄っ」

「だって、それがどうなるんですか?」

「分かってないなあ、サヨコ君は」船長は肩をすくめて言った。サヨコが眉間に皺を寄せたが、気にせずに続ける。「いいかね、何事においても下地というものが肝要なのだよ。いきなり目標を達しようなんて、事を仕損じるばかりだよ。ちゃんと段階を踏んで、それからようやく、成功に手が届くんじゃないか」

「まあ、異論はありません。なんだか言い方が不愉快ですが」

 サヨコは唇を尖らせて言った。

「だからこれは、準備のようなものなのだよ」

「でも迂遠すぎませんか? あ、恋愛映画を見せて恋愛に興味を持たせようって、そういう作戦なんですね」

「いや、アクション映画だけど?」

 船長がそう言うと、サヨコはこれ見よがしに顔をしかめて、先ほどのお返しのつもりで、肩をすくめた。

「え、なんで? いいじゃんアクション映画。痛快で」

「まあ、いいでしょう。船長にあんまり期待するのもアレですから」

「ええ~……。どうしよ、さっきから部下が冷たい」

 船長とサヨコが実りのない会話をする間も、はるか地上の高橋と島村は、深夜の映画鑑賞を続けていた。


 船長が言うとおり、それはアクション映画だった。公開当時からあんまり話題にならず、それはDVDになっても変わらなかった。別段目新しいストーリーでもなく、一流のスターが出演しているわけでもない。この映画が大好きという人は、携わった人を含めても、それほど多くはいないだろう。

 主人公は拳銃を撃てりゃなんでもいいといった、むしろお前が取り締まられろ、という感じの刑事で、その刑事から情報を得ようとまとわりつく、女性新聞記者のヒロイン。その二人がいがみ合いながらも、たまに協力し、危険な現場を乗り越えていく様を描いた作品だ。人気にこそ火はつかなかったが、制作費のほとんどは爆発のための火薬代だという。

 今、映画はクライマックスのシーンをむかえていた。

 どうしてそうなったのかは省略するが、疾駆する豪華客船の船べりで、テロリストのボスに捕らわれ、背後から首筋にナイフの刃をあてられるヒロイン。海は荒れに荒れ、大波がざぶんざぶんしている。そこに我らが主人公、向こう見ずの刑事がズタボロの姿でやってくる。交わされる言葉は、叫ぶような説得と要求。

 人質のある分、余裕のボスは、

「拳銃を捨てて両手を挙げろ、クソ野郎」

 と狂気のような笑みを見せて言う。

 主人公は覚悟を決めた顔をして、目の高さから拳銃を落とす。ここでスローモーション。落下途中の拳銃をキャッチした主人公は、華麗だが不必要な前転をくるっとして、肩膝立ちで発砲。弾丸は見事、ボスの肩に命中。うめき声を上げ、バランスを崩したボスは、ヒロインもろとも、荒れた海へと落ちていきそうになる。ヒロインの手が虚空を掻いて……。

 その手を主人公が掴むのだ。ボスはそのまま海へ落ちて、たぶん死んだのだろう。知らない。ともかく主人公とヒロインは、ドラマチックに見つめ合った。

 そのあと色々あって、二人は穏やかになった海を背景に、熱いキスを交わすのだ。数十人の死傷者を出したが、なんとなくハッピーエンドの雰囲気で、エンドロール。


 サヨコは「……」としか言いようのない心持ちで、モニターを眺めていた。どう贔屓目に見てもつまらない映画だった。地上の高橋と島村も、きっと同じ気持ちだろう。

 無言だった船長が、くるりと椅子を回してサヨコの方を見た。失敗の重みに耐えかねたような、でもそれを表に出すまいと平静を装った、複雑な表情をしていた。簡単に言うと、吠え面だ。

 船長は口元に強張った笑みを繕い、

「ど、どうしたサヨコ君、変な顔して」

「こっちのセリフですよ」

 すると船長は逆上したかのように立ち上がり、その辺を行ったり来たり、つかつかと歩き回った。そして独り言みたいにぶつぶつと、

「たしかに、もしこれが恋愛映画であったなら、その、なんだ、双方が恋愛したい気持ちになって、こっちとしてもやりやすくなったかもしれん。しかしサヨコ君、少なくともこれで一つ、二人の共通の経験ができたわけじゃないか。いやいや、もしかしたら、この映画を観て、もう二人はそんな気持ちになってるかもしれないぞ。今ごろ窓辺に立って、ロマンチックなため息でもついてるんじゃないか。なんたって主人公とヒロインは、あんなにもキスをしていたし、案外恋愛の要素もあったような……」

「船長」

 サヨコはなおも呟き続ける船長の言葉を遮った。

「高橋がエロDVDを観始めました」

「なっ」

「島村はもう眠るみたいです。つまらない映画に疲れたのでしょう」

「ぐっ……」

 モニターに並んだ二つの部屋の様子は、それぞれ、もうまったく別の有様になっていた。それぞれの部屋の主であるこの男女が、出会い、語り、恋をするなんて、未来永劫に起こらないように思われた。

 船長とサヨコは、あらためて任務の難しさを噛み締めるのだった。

「もう今日は、監視の必要もないでしょう」サヨコが席を立ちながら言う。「それにしても、わざわざ恥をかいてまで、あんなエロDVDを借りるってのが理解できませんね。情けないと思わないんでしょうか」

「……悪いか」

「いえ、船長のことじゃなくて」

 数秒の間のあと、船長とサヨコは簡単な挨拶を交わし、メインコントロール室を出て、それぞれの部屋へと戻っていった。

 誰もいなくなったメインコントロール室のモニターのなかでは、ようやく高橋も寝ることにしたらしく、部屋の明かりを落とそうとしていた。深夜のテンションでおかしくなっているのか、高橋は手を拳銃の形にして、誰にともなく発砲の真似事をしていた。少しは例の映画が気に入ったのかもしれないが、恥ずかしいぞ、高橋。早く寝ろ。時計の針は午前二時。もう月曜日になっているというのに。

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