実の探し物

「拓也ー、勝手に入るよー?」



 礼儀程度にノックをした後、実は返事を待たずにドアを開けた。



 拓也はベッドに座って本を読んでいる。

 かなり集中していたらしく、彼は自分がドアを閉めた音でようやく本から目を上げた。



「ああ、ごめん。気付かなかった。」



 言いながら本を閉じる拓也。



「拓也ってさぁ、相変わらずの本の虫だよね…。泥棒に入られても、気付かないんじゃないの?」



「不穏な気配にはすぐ勘付くから大丈夫だよ。」



「まあ、確かに。」



 実は否定しない。



 自分たちの神経はそういう風に育てられている。

 万が一こんな所に泥棒が入ったなら、十中八九拓也たちにこてんぱんにされるだろう。



「で、相談って? 俺が思うに、尚希さん絡みだと思うんだけど?」



 断定口調で問うと、拓也は言葉をつまらせた。

 やはり、予想は当たっていたようだ。



 拓也は何も言わずに黙り込む。

 実もしばらくはその沈黙に付き合ったが、ただ無為に時間が流れるだけだった。



「ま、いいや。」



 早々に切り上げたのは、実の方だった。

 実はかばんを床に置いて、拓也の眉間に寄せられたしわを指で弾く。



「った…」



「そんな怖い顔しないでよ。無理に聞き出そうってわけじゃないんだし。言いたい時に言って。それまで、ちょっと探し物させてもらうね。」



「探し物?」



 拓也が実を見上げ、怪訝けげんそうに眉をひそめる。



「別に家探しするわけじゃないよ。用があるのはあっち。」



 そうして実が指差したのは、部屋にある本棚だった。



「本?」

「そ。」



 実は本棚の前に立ってさっと本の背表紙を眺めた後、背表紙に文字がない本を取り出してタイトルを確認し始めた。



「やっぱ、読めるんだな。」

「何が?」

「向こうの字。」



 実が読んでいるのは、全て拓也がアズバドルから持ってきた本。



 つまり、そこに記されているのは日本語ではないし、そもそも地球の言語ですらないのだ。



「ああ…。一応これでも、アズバドルで育った時期はあるからね。」



 手を休めないままに、実はさらりと答えた。



「あ、あったあった。さすが拓也。きっちりバランスよく揃えてるなぁ。」



 本棚の一番下の段から、実が一冊の本を持って立ち上がる。

 胸に抱えるほどの大きさのそれは、分厚い辞典のようだった。



「封術大全集? 探し物ってそれ?」



 実が手にした本の表紙を見て、拓也はますます眉を寄せる。

 実があの本を必要とする理由が分からなかったのだ。



 実は拓也の勉強机に本を置き、ポケットから取り出したメモを見ながらページをめくっていく。



「えーっと…。一五七八ページ……これか。」



 実がページをる手を止めたので、拓也はその紙面を覗き込んだ。



「これ…」



 そこには、細かな装飾が施された輪の絵が描かれている。

 そして拓也には、この絵によく見覚えがあった。



 自然と、実の左手へ目がいった。



 まくったシャツの袖から伸びる実の手首に、きらりと銀色が光る。



 そう。

 このページに描かれているのは、実の手首にはまる魔封じの腕輪に刻まれた魔法陣だったのだ。



 ついでに、実が持つメモに目を走らせる。



 ―――〝これで困ったことがあったら、封術大全集一五七八ページ〟



 そう、短い文章が書かれていた。



「最近この腕輪、ちゃんと力を抑えきれてないからさ。まあ、その原因は俺にあるんだけどね。」



 本につづられた文字をさらさらと読んでいく実。



 その集中力は拓也に負けず劣らずといったところで、実は一通り読み終えるまで本から一度も目を離さなかった。



「……ふーん。なるほどね。」



 しばらくして、実は本から顔を上げる。

 すっかり納得したような表情が、そこにはあった。



 拓也はぎょっとする。



「もしかして、全部理解できたのか?」



 うたぐるように訊ねる拓也に対して、実はというと―――



「まあ、一通りの構造や仕組みは。」



 あっさりとそう答えた。

 それに、拓也は今度こそ絶句する。



 読み込んでいる自分は知っている。

 この本が、いかに難しいかを。



 この本は、魔法上級者向けのもの。



 読者が魔法の基礎とある程度の応用を知っていることを前提として書かれているので、記されている単語は専門用語ばかり。



 しかも、やたらと理屈をこね回したようなややこしい文章構成をしているので、知識だけがあっても完全に理解するのは至難のわざなのだ。



 この本を一度読んだだけで理解できるということは、それだけ実が魔法について様々なことを知り尽くしているということ。



 以前に実は魔法について、まんべんなく学んだが故に深くは知らないことが多いと言っていた。



 しかしこの本を理解できる時点で、ある程度深い知識は持っている。



 一体どんな教育を受けたから、ここまでの知識を五歳までに詰め込むことができたのか。



「………」



 拓也は口をへの字に曲げる。



 自分もエリオスに教えを受けていたので、その教育方針や厳しさはよく知っている。



 しかし、エリオスが幼い実にここまでの知識を叩き込んだ教育の実態は、とても想像がつかなかった。



 そして、その教育をものにしている実の理解力なども相当のものである。



「拓也?」



 無言で実をじろじろと見る拓也に、実は怪訝けげん深そうに首をひねる。



「いや、さすが親子というべきか……お前の能力には、脱帽ものだなと思って。」

「はあ? 何それ?」



 実がますます懐疑的な表情を浮かべた。



「別に、すごくもなんともないよ。それはそうと、一つ頼んでもいい?」



 また本に目を戻して、実は本の文字を指でなぞる。



「なんだ?」

「大したことじゃないんだけど、水もらえる? ちょっと使いたいから。」

「そっか。分かった、持ってくる。」



 拓也は一つ頷いて、部屋を後にした。


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