メルト
天使がエデンを襲った夜の、その翌朝。母は緊急で開かれた町の有力者たちの会合に出かけていったまままだ戻らず、わたしはわたしで母に「後は任せたからね」の一言で陣頭指揮を任されていたから、徹夜できりきりと働いていた。壊れたものなんかはだいたい片付いたけど業者を呼ぶのは昼間にならないと無理だし、あー忙しい。と、モーニングコールの時間になった。ベリトさまの部屋から、モーニングコールの依頼が入っていたのである。いや、本来なら内線をコールするだけでいいんだけど、わたしは部屋に直接向かって、ドアをノックする。眠そうな顔の、綺麗な顔をした少年がドアの向こうに顔を見せる。
「お茶をお持ちしました。あと、桃色サボテンの砂糖漬けを」
「そんなもの頼んでないぞ」
「モーニングのサービスです。当ホテルを代表しまして」
「……そうか」
部屋に通される。わたしはかいがいしく給仕を務める。
「昨夜のお怪我は大丈夫でしたか?」
鎧は外しているが、服は着ているからそれ以上のことは分からない。
「なんともない」
「ならよかった。あなたには二回も助けられてしまいましたね」
「気にしなくていい。……あち」
ベリト少年はお茶に手こずっていた。
「猫舌なんですか? 天使の前ではあんなに勇敢なのに」
「おれは勇敢なわけじゃない。天使を滅ぼしたいだけだ」
「……へぇ? あ、ちょっと貸してください。こうすればいいんですよ」
わたしはカップを受け取って、ふーふー、と吹いてお茶を冷ます。
「はい、どうぞ」
「……うん」
ベリト少年はお茶をすする。その頬が少し赤くなるのを、わたしは決して見逃さない。やばい。可愛い。わたしには心に決めた好きな人がいちおういるのだけど、それはそれとして。
「ベリトさまの故郷は、どこにあるのですか?」
「ずっと南の方。ヤシの木が生い茂る、楽園のようなところだ」
法螺話だ。わたしにはすぐに分かったが、話を合わせることにした。
「なるほど。ご家族は?」
「両親と妹がひとり」
それも嘘だと分かるが、しかしお茶の相伴に預かりつつ、適当に相槌を打つ。長話になる。ふと、うつらうつら、と頬杖を突いている自分に気が付いた。いかん。いくらなんでも気を抜きすぎだった。
「あ、ごめんなさい。お客様の前で」
「いいよ。疲れてるんだろ。昨日の今日だ」
「あはは。お恥ずかしい。そろそろ戻りますね」
自分の部屋に向かい(わたしもエデンの中に住んでいるので自分の部屋がある)、隠していたカメラとレコーダーを再生する。わがエデンは客室にカメラを仕掛けるなんて無粋な真似はしないが、わたし自身は別だ。わたしが眠っていた間、五分か十分くらいだと思うが、その間だけ録音と録画が機能するような仕掛けになっている。この荒れ果てた世界で、ただ呑気にお茶を嗜んで暮らしてはいられない。
「シェディム? 寝てしまったのか?」
と、声をかけられたようだ。そのあとが問題だ。
「いてて……」
ベリトはシャツをまくり上げた。昨日の、天使からわたしを庇ったときの傷だと思う、それが露わになる。彼はその部分を自分の手でさすっている。痛むのだと思う。血は出ていない。ただ、剝き出しになっているのは機械と生命体が融合したような何か。
「参ったな。無茶をするんじゃなかった」
薄々、気が付いてはいたのだけど。だって、この地上に、われわれ人間のほかには彼らしか存在しないようなものなのだから。
ベリトは天使なのだ。
われわれが初めて出会った、人間とコミュニケーションする能力を持った、天使。
「シェディム……」
映像の中のベリトは、わたしの寝顔をじっと見つめていた。過去の映像とはいえ、ちょっと恥ずかしい。と、ドアをノックされる。母が戻った、ということを部下の一人に知らされた。わたしは母のところに向かう。
「どうだったシェディム。正体はわかったかい」
「ええ、ばっちりですわ、お母さま。あのベリトという少年ですが」
「うむ」
わたしは母に言った。
「身元の確かな、南部出身のデューンライダーでした。わたしが保証します」
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