六・三

 すぐに着替えて彼の家へ走った。彼はいなかった。どこかへ行ってしまったらしい。急いで電話をかける。しかし繋がらない。どうやらスマホは置いていったようだった。


 どこへ行った。

 まさか、もう——。


 まだだ。まだ諦めるには早すぎる。


 それに私には、彼の行き先に関して一つ思い当たる節があった。


 彼の記憶を読み取ったあの刹那、私は彼の思考も読み取っていた。たしかにその時、彼はイタリアへ行こうと考えていたはずだ。無論確証はない。だから本当にそこに行くと断言することもできない。だが私の直感はその命題が真であると告げていた。


 まだ猶予はある。

 彼がこの世界を去る前に、どうにかして思いとどまらせなければならない。


 残る手立ては空港で捕まえることのみだ。彼が乗るであろうイタリア行きの飛行機はすぐに特定できた。あとは空港に向かうだけ。私はタクシーに乗り込んだ。


 けれどこれは失敗だった。


 事故のために高速道路は大渋滞していた。進むことも降りることもできない状況で無意味に時は過ぎていった。結局私は間に合わなくて、空港に辿り着いた頃にはすでにその便は出発していた。それから何時間も空港の中を歩き回って彼の姿を探したが、ついに見つけることはできなかった。


 これでは打つ手なし。

 私は絶望した。


 だけどここで諦めるわけにはいかなかった。


 この世界で彼を引き留めなければ、もう二度と会えなくなる。決して手の届かない場所へ行ってしまう。それだけは何としてでも防がないといけない。


 それに彼ならこんな時に諦めたりはしないだろう。これまでの世界でしてきたように、彼はきっとあらゆる手段を用いて最後の最後まで抗い続けるのだろう。それは、心の底から誰かを守りたいと思うからこそ成せる業だ。

 ならば私はどうか。


 当然、彼を守りたいに決まっている。


 その瞬間から私は行動を始めた。ユーチューブで配信されている観光地の定点カメラを監視し、SNSに上げられた写真や動画を入念にチェックした。膨大な量だったが彼のこれまでのトライ&エラーと比べれば大したことはなかった。先輩の友人だという情報学部の学生にも声をかけて、研究中の画像・動画解析AIの実験という名目で協力してもらった。

 AIというのはまったく素晴らしい発明である。その恩恵は凄まじく、私達は思いの外早く彼を特定することができた。最初はシチリア、次にポンペイ、ナポリ。それは前の世界の私が思い描いていた行程とよく似ていて、私はそれに沿っているのではないかという仮説を立てた。決め手となったのはイタリア人の若者がインスタグラムに上げた自撮り写真で、コロッセオの前で若者と一緒に彼が映っていた。正直驚いた。こんな時まで私のことを考えているのかと思わず泣きそうになったけれど、そんな暇はないと必死に堪えた。このままいけば、恐らく次はフィレンツェで、最後はヴェネツィア。今までのペースから推測するにヴェネツィアに辿り着くまでにあと四日もないだろう。私はすぐにイタリアへ飛んだ。


 ヴェネツィアに着いてからもネットでの捜索は続けた。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の定点カメラに映ったのを最後にしばらくは見つからなかった。だが今日になって、フェラーラの近くのサービスエリアで、イタリア人と思われる女性と食事をしている彼の写真を発見した。アップロードされたのは昼頃だから、ここに来るまでもう二時間もないだろう。私は街の至る所にカメラを設置して監視を続けた。


 そしてついに発見した。


 水上バスのバス停に仕掛けたカメラが彼を捉えた。行き先はサン・マルコ大聖堂。私は急いでそこへ向かった。


 美しきサン・マルコ広場は人でごった返していた。私は必死になって彼の姿を捜した。大聖堂の前、カフェ、鐘楼。人混みを掻き分けてあちこちを走り回った。だが見つからない。どこを捜しても見つからない。このままでは手遅れになる。あるいはもう手遅れなのか。そんな一抹の不安が頭をよぎった。


 そんな時だった。


 広場の中心で青白い光が空を貫くのが見えた。地面の近くには光輪が見える。


 間違いない。

 あの星空の下で見たのと同じ。

 私は光の下へ駆け寄った。


 ——やっと見つけた。


 雑踏の中で輝く手を伸ばす彼の姿がそこにあった。


 ようやく会えた。

 今までずっと私を守ってくれた人。

 私の大切な人。

 私の大好きな人。

 あなたはいつだって、手を伸ばしている。

 けれどもういいんだ。

 私はあなたに言いたいことがあるんだ。

 あなたを救いたいんだ。


 だから。


 神になんかさせない。

 もう一人で苦しませたりしない。

 今度は私が守る番だ。

 瞳を閉じた彼に向けて私は叫ぶ。


「待ってよ、こーちゃん!」

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