暗夜編

第四章 天文台

第12話 前夜

 なぜだろう。



 ――どうしてあんな事を言ってしまったのか、ずっと不思議に思っていた。


『興めも良いところだな、ええ!?』

『唯一の汚点が、こうやって生き残っちまってるんだぜ!?』


 普段なら。

 普段であれば、あんなに乱暴な言葉遣いも、残酷なセリフも。

 吐かないはずだった。


 自分はそういう『人間』ではなかったのに。



「――ん? 来てたのか」


「ええ。少し話がしたいと思ってね。座る場所ある?」


「あるけど冷たいよ?」



 コイツといて、同じ時を過ごして。

 一緒に戦って。

 一緒に執行者を殺して。


 それで気づいた。

 やっとわかった。



 俺は彼女を遠ざけたかったのだ。

「地獄の門」の中から覗く、ドス紅い深淵から。


 きっとそれは守りたいからではない。

 俺にはそんな力はない。

 もっと汚く醜い理由によるものだ。



 世界は冷たい。

 執行者は冷たい。


 だったら、俺は奇跡を見ていたはずだ。

 こんな極地の中で。光すら閉ざされる砂漠の中で。



 ――あんなに温かく生きる、人間たちを。



「炉」の汚染を受けた者もいる。

 生まれる前から不幸を定められた者もいる。

 他人を排斥する者も。

 愛する者を手に掛けた者も。



 けれど、その生き方は。

 その体温だけはもう俺には真似のできないものだから。

 だからこそどうしようもなく惹かれてしまう。諦めきれないのだ。



 俺もサカリィみたいに敵をバッタバッタと倒せるかな?

 俺もコラゾンみたいに……、



 セドナは熱を奪っていく。

 こんなところにいては、彼女まで凍えてしまう。

 だから離したくなかったのだ。


 他人に熱を渡すくらいなら、俺が全てもらいたかった。

 それすら叶わないのなら――――、






 セドナ閉門局、最大基地「天文台」。

 数多くのスナイパーと戦闘のスペシャリストを抱え、事実上のセドナ防衛の最前線にして最終防衛線である。


 この地には『正しい』シラギなどいない。

 全てが全て、炉から漏れる毒に当てられて内界が少炉心へと変質し、必然の偶発によりニラクという超能力を得たゲテモノだ。


 そして彼らには共通点がある。

「透過力」だ。

 強弱の違いはあれどモノをすり抜け、一方的に感知や攻撃ができる能力。

 しかも「透過」はニラクではなくオプションなのだから尚更使い勝手は良い。

「全くのゼロ、Lv.αレベルアルファ」と自己申告したステゴロスナイパーでさえ、他と比べると遥かに格下ではあるもののキチンと持っている。


 空気に対する透過力。

 もしそれがなければ彼女の体はとっくに燃え尽きている。

 彼女がそれに言及しなかったのは、空気摩擦の概念がなかったからではなかろうか。

 セドナでは研究の余裕などはないので、天文以外の学問、例えば自然物理なんかは手つかずで放置されている分野・領域である。


 さて。

「棺」を突破するだけの透過力、つまりLv.P以上の使い手であれば、目覚めて間もない執行者をタコ殴りにできる。

 そういった背景から、天文台にはスナイパーが重宝された。

 力なき執行者にとって――その暴力は紛れもない「地獄」であっただろう。


 そして、スナイプのための高台タワーを指す呼称が「天文台」。

 できるだけ多くの者が活動できるように、複雑に編み込まれた立体建造物だ。



 そんなに、これ以上ないほど適切な異物があった。

 セドナで間違いなく二番目のスナイパー、草加印南そうかいなみ



 いくら敵の首魁が感知不可能でも、単騎で突っ込んでくることは決してない。

 よって大勢の見極めをラジオトレーサーに委ねても問題はない。

 現在「地獄の門」では、敵勢力の整理が進んでいた。

 それが示す答えは……明日未明、襲撃が開始されること。


 決戦前、最後の夜だった。





 洛雪慧ルオシュフュイの目論見は、2名の小規模対応班ノーネームカードを完全に敗北させた。

 二代目「炉」の座標。

 導線を辿り、そのあまりにも大きな情報を与えてしまった。


 そしてそれをヤツらが得れば、もちろん次のアクションは決まっている。


 すなわち――炉の破壊。


「……ふうっ、」


 二代目「炉」を護れ。期間は無期。


 最重要目標は敵の首魁。

「透過力:Lv.Xレベルクリット




 天文台からの眺めはさして良くはない。

 昼間には目を保護する装備がないとすぐに病気にかかるほどの白さだが、その光度はいま鳴りを潜めていた。

 ここでも変わらず。

 ペンギンの子供もスヤスヤと。


 ――世界が、彼らの会話だけで満たされるような気分だった。


印南いなみ


「む?」


「……えと、ありがとうね!」


「……ばっ、それはこっちのセリフだ! 俺が君に何をしたか――」


「それも含めて、だよ」


 やはり雪が付着し、相応の湿気が残っている。

 寒すぎて飽和水蒸気量がゼロに近く、全然蒸発しないし。

 そこを彼は逆に考えた。

 毛皮のズボンの濡れ具合を嫌がるようにして、サカリィから目を逸らしたのだ。




 この時点では2人とも、夜が明けないのを望んでいただろう。

 それは災禍の延長でもあるし……何より、このひとときがどれだけ大切か、今の彼らには分かったのだ。


「サカリィはさ、一回でどれだけ跳べるの?」


「うーん、一キロ超えると地球が丸いことが影響してきちゃうんだよねー。リィは直線移動しかできないから、それが限界かもしれない」


「でもさ、息継ぎを繰り返せば行けるんじゃないの?」


「どこへよ」


「――セドナの外の街」


「……っ」


 あっははははは、と。

 呆気にとられる少年を他所に、その空間は少女の笑い声で満たされた。


「え? ギャグじゃないよ?」


「いやっ、はは……だってさ、何か不思議じゃない?」


「へっ?」


「うん――」


 寒がりの少年はサカリィの唇を注意深く眺めていた。

 彼女がなかなか笑いを止めないのでむずがゆそうにもした。


「だって、すごく印南らしいのに。

 どうして今まで、それを聞いてこなかったんだろうって――、」


「――――」


 まるで雪玉でも放り込まれたみたいに、印南の喉は固まった。

 氷のように苦々しく、もう少しで奥歯を噛むところだった。


 心臓を冷気が包み、肺静脈を黒ずませた。



「サカリィの夢ってなに?」


巫女みこさん!」


「……誰か教えてくれるの?」


「いや、分からないから適当にズバズバ言いまくるんだよ。

 そういう人がさ、許される……っていうか、生き死にと離れたことをしたくてさ」


「あはは、ははは! サカリィ……うん、やっぱり君はサカリィだよ」


 ――どうしてあんな事を言ってしまったのか、ずっと不思議に思っていた。




 だけれど、これでようやくわかった。


「……はは、ありがと、話に来てくれて‼ 今日はよく寝れるはず。

 サカリィ。

 ……生き延びような」


「――うん!」



 決心がついた。

 諦めと言い換えてもいい。

 希望と言い換えてもいい。


 とにかく草加印南そうかいなみはここに完成した。

 彼女に会えるのは明日が最後だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る