第11話 エンディングテーマ

『だったら中継地を作れば良いんだよ。そこは霧にまみれちゃうだろうけど……人が住まないところなら』


(お前は、死ぬ直前まで仕事の話ばっかりだったよな……)


 棺の衛兵を無理矢理退かし、理不尽な指示に従わなければいけない技術員とまったくの反対方向に急いだ。


(まさか同じことをするとは、思わなかったが……へっ。オレのロジックも穴だらけだな)


 炉の中心部、実際に分裂反応を起こすいわば『本体』。

 導線が植物の根に相当するのなら、それは紅い幹と枝葉だった。


(こりゃ無理だな。二代目を造らないと……)


 と。

 カン、カン、という自らの足音の他に、脳髄に直接響く歌声のような呼びかけがあった。

 しかしそれはコラゾンに向けられたものなどではなく、他の誰かとのダイアログに熱中していた。


 何の根拠もなく。

 頬を伝うものがあった。



「――ブニック?」






 タトクレットはどうしても彼の指示に従えなかった。

 衛兵を脅してハシゴを使い棺の上に降り立ち、異変を感知し次第すぐに職員を動員できる体制を整えていたのだ。

 高台からの監視。

 ピラミッドの中心部に目を凝らしていた彼女だったが、



「……なんですか、アレ」



 突如、だった。

 四角錐の各頂点から絵の具を垂らしたように、びっしりと崩れた真黒まくろの文字が放射状に広がっていった。

 棺の底辺にまで到達したかと思うと再びピラミッドを目指し、今度は螺旋状にその距離を詰めていく。


 30秒も経たぬ間に、円状の領域はすべてが文字に飲み込まれた。


『タトクレットさん……あれ』


 部下の指差しなど見えるはずもなかったが、何を言わんとしているのかはすぐに理解が及んだ。

 降雪は強まる一方だ。

 どれだけ大きい雪の塊が文字に着陸しても。

 ステーキから肉汁が漏れるように、どんどんその形を崩してしまう。


「熱を帯びてる、のか……」


 変化は続く。

 四角錐の底辺。もっとも文字密度の薄いそれらへ、空白を埋めるように4つの文字記号が浮かび上がった。


 アドラートク。

 ブニック。

 イガラック。

 メッサレラーヴォ。


 それに何の意味があるのかなどわかるはずもなく。


 ――文字は紅い光を放ち、召喚式としての機能を得た。





 炉――地底部。


 地上に開かれた召喚式の能力は導線を通じてここに集約され、第5世界の施錠がじり開けられた。


 ギュルんっ! と、水槽でターンする魚のように。

 空間はひずみに歪み、臨界に達すると


 ――裂け目の向こう側は、紅い世界だった。


 ここは『炉』地底部。

 白夜に生まれた暗闇の中で、ひとつの小さな産声が上がった。


 拙い自我に刻まれた命令は一つ。


 ___『 炉 を 破 壊 し ろ 』___


あたし――は、  だ  れ  ?」





『コラゾンさん!! います!!』


「⁉」


です! アナタのほぼ真下にいるんです!!』


「……いや、有り得ないだろ」


 この施設の構造を誰よりも理解しているのはコラゾンだ。

 だからこの下の階の同じ場所に空洞がないことは知っていたし、まず入ろうと思う人間なんていないことも承知していた。


(――まさか、地底部?

 いやいや。考えられない。

 あそこには絶対に入れない構造になってるんだ。

 棺の外側からトンネルでも掘らない限り――)


『接近中!!』


「だからどこに⁉」


! 炉の核に近づいてますッ!!』


「――――!!」




 カン、カン、と足音を鳴らしてみる。

 何度やっても、地に足がつく感覚は久しぶりで奇妙だった。

 金属網が独特の律動で反応し、肉体の支えが不安になる。


 炉の核への距離____直線距離で10メートル、経路に従い100メートル。

 そんなことを無理に計算して、どうにか自分の足を止めた。



「――――あなた?」





『何をする気ですか……⁉』


 タトクレットから罵声が飛んでくるのを覚悟した。

 彼女のトレースでは、コラゾンと核の座標がピッタリ重なったように見えたのだろう。


『止めてください!! アナタの体が……!!』


「だいじょーぶさ。死にはするけど、死ぬほど熱いわけじゃない。

 この核……穴だらけだしね」


『! もう……! 何言ってんのかわからないですよッ!!』


「泣くな。上司命令だ」


 こんな時にすら部下の手綱を『立場』でしか握れない自分が嫌になる。

 ここの職員たちともそうだ。コラゾンは確固たる信頼を築けなかった。


「そうだ。伝言を頼みたい少年がいるんだけど」




 規制鉄柵を電源を落として骨抜きにする。

 熱で溶けたのを利用して穴を広げ、少しづつ近づいていく。


(…………!)


 換気扇などない。

 風なんて吹くはずもない。

 なのに……僅かな空気の乱れが猛烈な熱量を得て、致死の粒子となってコラゾンの肌を焼いた。


「くッ!」


 もう止まらない。

 樹木の形状を取る核部へと――直接、手を伸ばす。


「う――――あああぁっぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 通信はもう切断した。

 苦悶の叫び声がタトクレットの耳にこびりつくことはない。

 だから……思う存分、苦しみを味わえた。


贖罪しょくざい、なのかもな……)


 どうにかして、自分の罪状を洗い出そうとしてしまう。

 けれど……それは、最も身近に転がっていたことを思い出した。


(ごめん、ごめんなブニック。

 オレはここで――)


「おらァァァァァァァあ!!」


 ただれにただれ金属との区別もつかなくなった指先を筆にして、マンガンに図形と文字を刻み込んでいく。


(……誰が迫ってるのかは知らねーが……)


 ニヤリ、と。

 その笑みには世界への恨みが込められていた。


(傑作だぜ……隠蔽式いんぺいしき。もう二度と見つけられねェ……)


「ざまぁ……。

 ……お前もオレが名付けてやるよ。

 ……

 その計画、穴だらけだったなァ……!!」


 言葉が熱に熔けたときには、彼の顔もまた半分がなくなっていた。

 それから全身が炎に包まれるまで、全く時間はかからなかった。





 一つの時代が、終わった。





「……チッ。誰がおじさんの後始末なんか……」


 棺の外側。

 最大射程3000メートル___最強の新掃者が、その射程外から現れる執行者を睨みつけていた。



「―――― あ た し は 」



 何か口を動かしているような気もするが、この距離ではスコープを介してもまともな認識などできるはずがない。

 確信できるのは、あの新掃者が事故直後の棺の内側から出てきたという事実だ。

 それでいい、と彼は思った。



「コラゾン……アンタの遺志なんて継いでやるもんか。

 俺は――最強のスナイパー、草加印南そうかいなみだ!!」





 吹雪の中、金髪にサングラスの少女が彷徨さまよっていた。

 いや違う。確かに目的があり……その目的の少年が、どうしても見つからないのだ。


(おかしい)


 炉心融解メルトダウンの後、彼が炉に向かったという話は聞いていた。

 それ自体に不自然さはない。

 スナイパーとしての名声は大人を巻き込み、次第に彼は有事に頼られるようになっていたからだ。


(おかしい!!)


 しかし……事故からは何時間が経った?

 腕時計が示す時刻は午後2時。

 つまり異常が検知されてから、12時間が経過している。


 それほどの時間を……彼は、本当に炉で過ごしているのか?


(嘘、ウソ……!)


 悪い妄想に取り憑かれてしまう。

 印南の真価はスナイプにあるが、そこから派生した危機察知能力だって相当なものだ。

 そんな、わけ――――



「……?」



 ビュウぅぅぅぅ……!! と吹きすさぶ嵐の中、ブーツで雪を踏みしめる音が届いた。

 この歩調、速度、材質と跳ね返り。

 ……すべて、覚えている……!


印南いなみっ!」


 影が次第に濃くなり、やがて完全に色白の少年を作り上げた。

 あれほど焦がれた姿がいま目の前にある。


「よかった、よかった、よかった――!」


 凍りついた体に再び熱がともっていく。

 その感覚に従って脚に信号を送る。

 ……今日ぐらいは、首に手を回しても、いいような気がした。



「――――」


「――――え?」


 彼に触れる直前、少女のサングラスが妙な光を発した。


 そして。


 サカリィ・ヤコンの肉体は、草加印南そうかいなみを追い越した地点に着地していた。


「……違う、リィじゃない! 信じてよ!」


「疑わないさ……だって俺が操作してるんだから」


 吹雪で聴神経が凍りついたんだと思った。


「…………は? え?」


 もう抱きつこうなどと思わなかった。

 手を握るだけでも良い。

 どうにかして彼の体温を感じたかったのだ。


 だから……ただ手を伸ばした。


 なのに。


「……っ」


 今度ははっきりと見えた。

 2つの肉体が交差し、しかし決して衝突しない。

 途端に、自分の肉体が怖くなった。

 何より、そんな状況を作った印南を恐れた。



「穴だらけになっちゃったな……俺の体」


 真っ赤に染まった耳元に。

 綿を押し当てるように、彼は優しくささやいた。


「サカリィ。君は――遅すぎた」





 それからどれだけの時間が経っただろう。

 吹雪の中でずっとうずくまっていると少年の姿は消えていて、同時にひどく体温が冷えていったのを覚えている。

 次に目が冷めた時、サカリィは自宅の温かいベットに寝かされ、部屋は可能な限りの暖房に包まれていた。


 なんてもったいない、というのが最初に出てきた感想だった。

 うちは決して裕福ではないのに。



 チラリと眼球だけを動かすと、そこには動き回る母の姿があった。

 まるでサカリィが死にでもするみたいにせわしく――いや、実際にそうだったのだろう。


 他ならない低体温症メモセピアはセドナにおいて最も多くの命を奪う病である。


「オーロラ……だって、予報が」


 母が彼女の意識を保つために吐いた嘘だと思った。


「きっとあの子も見に来るわよ」


 印南はもう来ないよ。

 もう……終わったんだ。


「ここからじゃ、間に合わない」


 どうしてか実際に口をついたのは別の切り口からの反論だった。


「――――」


 母はサカリィの手を握った。

 ギュっ、と……不思議と、体が熱で満たされる感覚などなかった。

 あるのは彼女がサカリィの死を確信していて、同時に認めるのを拒んでいるという強烈な情報の束だった。


「死ぬん、だね」


「死なないわ」


 どこから来る自信なんだろう。

 いや、自信でないことは明白だった。

 彼女自身の手がこんなに震えているのでは。


「私の少炉心をあげるわ――どうか、はやつよい新掃者に」


 目眩がするほど大量の文字が小さな民家で躍動した。

 それが全てだった。







 誰かが言った。


「こんな結末許せるか」



 誰かが言った。


「全部――ぶっ壊してやる!!」










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