第三章 エンドクレジット

第9話 アバンタイトル

 ――不思議なものだ。

 セドナの葬式は必ず火葬で行われる。

 土葬をしようとすると氷葬となってしまい、いつまで経っても死体が腐敗しないからだ。

 もう亡き者のために貴重な熱量を費やす……その意味がまだわからなかったのだ。




洛雪慧ルオシュフュイ様の棺をお閉めします。

 本日は故人のためにお集まりいただき、大変ありがとうございました』




 表ではそんな感じに閉式がなされようとしていた。

 その一言一言に反応し、隣に立つ少女の名残惜しげな表情が強まる。


「もっと絵を書いてよ」


「もうクラミドモナスがないってば」


 ポックの裏……というか、葬式の裏で真っ赤な絵画が行列をなすとはつくづく不謹慎だと子供ながらに思う。

 それにしても、悪戯イタズラとしてですら少年の絵にリアクションを返す者はいなかった。

 純粋な称賛を送られるとは、彼の人生の中でも破格の待遇と言えた。


「ところで名前は?」


「サカリィ・ヤコン。けーは?」


草加印南そーかいなみ


 真っ白なキャンバスから紅い植物が流れ出し、次第に絵画は様相を崩していった。

 その先を見ると、ちょうど霊柩車が出発したところだった。






「叱られないの?」


「おかーさんが言ったんだもん。私は出なきゃいけないから、その間サカリィは遊んでていいよって」


「ん? あの棺の人の関係者さん?」


「いや」


「??」


「この声だよ」


 くるくる自転運動をしていた金髪の少女は突然止まって、右手をピストルの形にして頭に押し当てた。


「えっ、巫女さん? 星見の?」


「うんっ。星見って呼ばれてるよ」


「……誘拐にゃ気をつけなよ」


 そうこうしてる間に氷でできた真っ白な建物から、望遠鏡を示す筒型の飾りを首に下げた女性が歩み出てきた。

 あれが『おかーさん』かな、と印南は適当な見当をつける。


「違う?」


「んーん、見えん」


 そりゃ見えんだろ、と彼は苦笑した。

 彼女は眩しさに目を細め、ほとんどつぶっていたのだ。


 視力が良すぎるのだ。

 白夜の南天がありとあらゆる氷に反射し、常人でさえ眉をしかめる輝度になっている。


「使いなよ」


「?」


 セドナではもはや生活必需品となった、傘なみにイノベーションが起きず古くからの形態を保ち続ける一品。

 サカリィの金髪が銀世界ではあまりに目立つものだから、印南は王女にでも献上している気分になった。


「サングラス。いーい値がしたぜ?」


 少女の反応は面白かった。

 いまは珍しいものでも扱うみたいに、おずおずとようやく2本の支柱を耳にかけたところだ。


「ど?」


「あ、おかーさんだよ! ね!」


 どうやら本当に初めてらしかった。

 薄く薄いスモーキークォーツ越しの世界に感動したお姫様は、喜びをそのままにこちらを振り返った。


「まぶしっ」


「あ…………、ごめん」


「謝んなって、良かったよ」


 なぜか彼女を謝罪させたことに対して、罪悪感ではなく喪失感がこみ上げた。

 何なのだろう、彼女の笑顔が世界の財産なんていうくっさいセリフに繋がるのだろうか。


「またな、サカリィ」


「うん、ありがと、いなみ」


 ポックの裏はやさしい斜面になっていた。

 スキーヤーになった気分なのか、ブーツを器用に操りながら彼女は母親の元へ滑り降りていった。






「おじさん、また来たんだ」


 500メートル先のアザラシを撃ち殺しながら、印南は背後を見た。

 先日の葬式で目にした喪主らしき若い男が、薄い笑顔を浮かべて彼を今にも褒めようとしていた。


「はは、そんだけ遠いと拾う前に海に沈んじゃうだろ、ボク」


「だいじょぶ。それは向こうの仲間に任せてるから」


「おっ、そりゃトランシーバーか。……ところで。狙撃式は剥き出しにするよりも、銃身を作った方が効果的だよ」


 よっこらせ、と座布団もない硬い氷に男は座り込んだ。

 夏の輝度でもわかるほどに、顔に薄赤い水の跡が流れていた。


 シュるるるる、と巻きつけるとブレスレットみたいだ。

 自分でも結構キレイだと自負する狙撃式を見て彼が呟いたのは、予想だにしない感情の束だった。


「ごめんな」


「なんで謝るのさ?」


「ボクをそんな体にしたことだよ」


 意味がわからない、と言ったのを覚えている。

 男は疑問には答えず、しばしの時間だけ講義を行った。


「炉っていうのはな……確かにセドナで生きるのに欠かせない熱を産んでくれる機械だが、何事もタダなんてものはないんだ。必ず代償が生じる。

 この場合は……毒だ。

 棺で防いじゃいるものの、決して完全じゃない。しかもその毒は放射し、蓄積する。

 だから棺の付近には家がないだろ?」


 教授か政治家か何かのようにスラスラと専門用語が並べられた。

 印南は頷きも質問もせず、セイウチ探しに没頭して遠景に目を凝らすフリをした。


「……本当、どうすればよかったんだろうな。

 絶対に漏れっていうのは生まれてくるんだよ。

 どんなに強固なシステムと安全審査を設けてもだ。

 炉の猛毒は内界を侵し、少炉心へと変質させる。

 その結果が君たち新掃者。ニラクという超能力を持ち、Lvに応じて物質の透過が可能になる」


「やけに詳しいね。おじさんも?」


「いや、オレにそんな力はないよ。ただ職業柄ね、そういうのを勉強しなくちゃならないんだ」


 すると大人の男が何人か興奮した様子で氷の上を駆けてきた。

 どうにも呆れたことに、少年は撃ち殺したアザラシのことをすっかり忘れていたのだ。

 男たちに引きずられてきたアザラシの顔を少し観察すると、もうおじさんはいなくなっていた。





 後で知ったのは、そのおじさんはコラゾンという名前だったこと。

 炉、棺、新掃者、ニラク。それら全てを名付けた男だったこと。

 そして――少炉心についても。

 彼はきちんとすべてを知っていたのだ。

 炉心の由来――新掃者とは、炉と同質の毒を自ら生産する者であることを。







 いったいどれだけの時間潜ったのだろう。

 何度見ても不思議に思う。

 あんなにサラサラと流れるDHMOが固体になった瞬間に驚くほどの強度を持ち、この大地を創り上げていること。

 こないだ測ってみたことには、それが2000メートルばかりも続いているということ。


「――ん」


 地上に顔を出すと、見慣れない機械の群れが蠢くのでもなく、熱に従って律動を繰り返す紅い空間だった。

 確か――炉、とかいう名で呼ばれていたはずだ。



『 お ま 』


 頭の中に声が響いた。

 それが『炉』の中心部から放たれる熱波によるものだと気づくのに、さしたる時間はかからなかった。


『 え は だ れ だ ? 』


 一方で意思疎通コミュニケーションには苦労させられた。

 あんまりゆっくり『ソレ』が喋っていたのも原因だろう。

 名前への質問だと理解するまで、同じ文言を三度みたびも繰り返させてしまった。


 それから……両親はガッカリするだろうが……自分の名前を思い出すのにさえ、多少の時間を要したのだ。




「――――ブニック」

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