第8話 崩壊
「間に合わなかった――」
『え⁉』
「伝達されたんだよ、畜生が!!」
すっかり火力の落ち込んだトーチを宝物みたいに抱えて、印南は霧の中をひた走る。
「――――」
その執行者はまるで考え事でもするかのように浅薄な動きで立ち上がった。
それから彼女にしかわからない永遠の間、その動きを止めていた。
(当たった――)
「息の根を止めようと焦りすぎたな⁉ 草加印南ッ!!」
「ッ⁉」
離れたところから反響が帰ってきた。
視力にはもはや頼らない。
光脈を利用すれば、未だエスカを抜け出せない少年の座標くらい一瞬で割り出せる。
胸に空いた穴に意味はない。
もう零れるものなどないのだから。
心の傷に意味はない。
見せるためのものではないのだから。
刹那の間、彼女は笑ったのだろうか。
そのために残りの時間を費やしたのか。
……静かに。
もはや能力の補助すら受けずに、肉体への負担など
「……来てる」
『何だって⁉』
「走ってきてるんだよ、そこそこ遅いけど! やっぱり余力を残してたんだ!」
『……? いや、そんなはずはない』
彼女の能力なら、そこそこの距離があっても応戦できるはず。
であれば。どうして接近する必要がある?
(単純に今は余力がないだけ?)
いや、それも考えづらい。だったら接近して何をしようというのだ。
『どうせもう潜航はできないってことよ! さっさと撃っちゃいなさい!』
「……? あの、光は……」
それは感知に頼らない印南だからこそ気づけた、仄青い
執行者の胸の傷そのものから漏れ出す残滓だと、果たして彼は気づけたか。
小炉心から漏れ出す汚染。
毒素をもつ物質が、霧の都では発光するのだと仮定すれば――――
「……ヤバい」
『え?』
「離脱だ……! アイツ、わざと当たり所を悪くしてた……!」
『どうしてそんなことが』
「俺たちが
バシャバシャという足音がクラミドモナスを連想させた。
(クソ……もう腕が上がらねー……重たい狙撃式を使いすぎたな)
『はは……! ハハハはははははハハハハハハハあははァ‼
もう駄目だ、もう間に合わない! 調子に乗ってるからだよ!』
「!
『前回も同じ手を使っただろ。
……さて、サカリィ・ヤコンとか言ったっけ。 いくら一度は
「っ……!」
『200メートルじゃ全然足りねーよ! 特に
「バカ、そんなに詰められてないはず……!」
『え?』
ズシャアアア‼ と、であった。
トーチを握った不自然な走り方のために足を滑らせ、明らかに傾斜のある場所へ放り出されてしまったのだ。
それはたった十度ほどの仕込みだったが、気候が気候。
十分に致命的だった。
「くっ‼」
トーチは放り出した。
ガキン! と。なんとかナイフを突き立てて、そのまま滑走するのは防ぐ。
といってもこの先に道がある保証はどこにもないので、エスカへ来た時の道で引き返すために、再び合流するしかない。
それ自体は絶対の方向感覚を持つ彼には問題ではないのだが、滑走に警戒しながらでは計り知れないタイムロスがあった。
『ほうら。言ったとおりになっただろう?』
「……!」
こんなものは先ほど、少年本人もやったばかりだ。
いくつか用意しておいた布石の一つがたまたま当たっただけ。
けれども常に強気で語り掛ける。
『幸運』という暗示で武装するかのように。
二人が再び距離をとるのと、追走者が迫るのはどちらが速いか。
乳酸付けになった体を痛ませながら、彼は足を止めなかった。
そして。
『――もう、体が
小炉心を粉々にしすぎたから……。
やっぱり
――さて。
今度こそ。
それで、全てだった。
汚染の証である凝結核。
その恩恵によって眩い光を発しながら。
溶融の執行者は崩壊した。
黄色い閃きが吹き荒れ、エスカに猛毒が充満する。
彼女がいた証など、どこにも残らない。
もう、顔にかかる不快な極寒の霧はなかった。
逃げているうちにだいぶ遠くまで来てしまったらしい。
「…………、」
荒い息を吐きながら、印南は中心街郊外の入り口にへたり込んだ。
(なんだったん、だろうな)
崩壊、という響きが妙にしっくり来た。
おそらくあれが正しく死ねなかった執行者の末路。
この時点でこうとしか考えられなかったことを誰が責められよう。
セドナの住民であれ――死は恐怖の象徴に違いないのに。
小炉心が砕け散る。
それまで汚染された体を動かしてきた核がなくなる。
よって、その汚染が周囲にまき散らされる。
「地獄の門」から這ってきた、ヤツらなんぞにはおあつらえ向きと言えた。
そうやってじっとしているうちに――微かに、感じた。
地上をたった一本の線がなぞるのを。
誰もが祈った一条を。
印南やサカリィのスナイプなんていうものよりも、よっぽど多くの人を救える……
光が無ければわかるはずのない事象。
つまり……それそのものが、光だったのだ。
続いて、線の輪郭が太くなる。
印南の顔へまともにぶつかった。
そこから先は早いものだった。
あっという間に荒野の全てが照らされ――――数か月ぶりの新世界に、セドナの住民は歓喜した。
太陽。
極夜が明けた。
冷たい季節はもう終わった。
温かい世界へと、また踏み出せる。
「サカリィ。見えてるか?」
『……えぇ』
「キレイだな」
『……えぇ。そう思う』
声と勇気だけを送ってきた彼女には気付けない。
寒さでもなければ、熱でもない。
印南の右手は、確かに震えていたというのに。
「――そうか。そういう、ことか」
「ごめんね、サカリィ」
「ううん――謝るのはリィの方だよ、母さん」
初代『炉』、最深部。
一般に『地獄の門』と呼称される具象式の核にあたる部分で、その
ブニックだのイガラックだの意味のわからない文字列が散乱しているが、それが何を示しているのかはなんとなく
「死者の蘇生法……いや、少し違うな。人間の組成法か。
地獄の門。ここは――」
「失われた生命を叩き起こし、兵隊にする工場。
……無理やり行き場を与えられた内界。つまるところ死者が、執行者の正体よ」
対峙する二人の間で赤い炎が揺れた。
カーポック・ヤコンの姿は影だけになり、やがて飲み込まれて別のモノに改造されていく。
「お出ましか。
『地獄の門』で産声があった。
セドナを塗り替えてしまえるほどの、意味を持つ誕生。
金属を炎へ放り込んだような声がした。
人間としての到達点にして、人間としては落第点。
そんな矛盾が同居していた。
「ここは、地獄だ」
その男はそう信じていた。
だからセドナを地獄へ変えることにも
彼にとっては何も変わらないのだから。
「閉門局・天文台よ。
たった今からお前らの父が帰るぞ」
「願い下げだよ……ッ!!」
サカリィの瞳に円形の模様が浮かぶ。
注意して観察すると、描かれたセドナ文字に気づけたはずだ。
透過の演算方法を示す透過式。
――天体戦闘の開始準備。
「来るか」
炉心融解の悲惨さを表現する、歪んだ鉄塊となった床を蹴る。
炎の動揺よりも
しかし。
「お前……視力が落ちたか?」
背後から届く声からは、些かの負傷も拾えない。
(避けた……うそ、無理に決まってる!!)
「穴だらけ、だぜ――。
次会うことがあれば、そのときに殺してやる」
ビュウッ!! と、建物の中なのに烈風が横殴りに吹いた。
その煽りを受けたのは何故か執行者の残像だけで、炎が力ずくで剥がされたのだ。
残ったのは――一人の女の亡骸だけ。
いつの間にか空いていた胸の穴から猛烈な閃光が放たれ……瞬間、地獄の門を包み込んだ。
炉の座標は手に入れた。
あとは実行に移すだけ。
セドナの生活基盤、南極での生存の前提を破壊する。
それから産声は闇に溶けていった。
ここまで巨大な力が最初から最後まで感知されなかったという異常。
世界は彼を無視し続ける。
強大な透過力は
明らかにほかの執行者とは一線を画す。
死も生もセドナも、全てを彼は知っていた。
「また会いたいな……ブニック」
執行者と新掃者。
最大の激突が始まる。
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