第7話 英雄だった女
「――! ここは?」
「心配いらない。
紅い世界。
しかして機械仕掛けだった。
そこら中に鉄や亜鉛やアルミでできた丸いドームじみた構造物、細く伸びた棒、足元は網目になっている。
そして……黒い袋に包まれたナニカが、空間とすっかり溶け込んでしまっていた。
金属の光沢なんて忘れさせるほどに、炎の色彩は強烈だ。
「――
声の情報だけで
強力な個性が熱を塗り替えている。
本当に――幼子が広い庭を持ってしまったような、そんな危うさ。
「姓は
寒気でか、歓喜にか。
ぺりぺりと。
よだつような怪音と共に、暗闇に潜んでいた唇が裂けた。
「ひひひひひひひ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ‼
自分ルールってやつだよ――
……いいやぁ、せっかくならもっと!
できるだけ多くの命に迷惑をかけて、やるせない気分にしてやれたいんだよ‼」
「……引きずり込まれといてなんだが、俺は忘れないからな」
「あん?」
まるで劇場か絵巻物のように、空間に映像が映し出される。
それはほんの数瞬前の現実。
『 気が動転していたのか、彼女はこう呟いてしまった。
遮る森も何もなく、ただ平坦な青い大地を駆け抜けていくスナイプについて。
霧の助けを受け、四方八方に
彼女がセドナに踏み入る以前、一度も見ることのできなかったような。
迷いなく自分に向かうその直線。まるで視線のようなその力。
文字通り射抜かれて、その口から出てきたのだ。
――――きれいだ、と。 』
「違う。ちょっと昔を懐かしんだだけさ」
「それにしては――、」
「ふん。……
「どうやら意識が2つあるみたいだ……不思議な感覚だな」
紅い世界と霧の都。
2つの世界に印南は全く同時に存在していた。
この原理を紐解けば量子とかに繋がるのか? ……とかは、炉さえ理解の及ばない現代セドナっ子には思いつくはずもなく。
ただ
『ねぇ。わざわざここに来たってことは、その
それも――執行者で連携が取れていると仮定すれば――彼女にしかできない作業のようなものが』
「何か、思いつかないのか?」
『前提としてターゲットはわざわざエスカに移動してきた。その意味を考えるべき』
少し前までなら、印南はこの前提を覆してしまったかもしれない。
そんなのアイツの気まぐれなのだと。
ただ今は違う。
洛と接触し、イガラックを乗り越え、地下道を踏破して。
執行者もまた人間のカタチなのだと。そう思えるようになったから。
「地獄の門とエスカの差異……霧の都の立地を見直してみるか?」
『そもそもその地に霧が立ち込めるのは……張り巡らされた『導線』のせい』
「ん? ここには人が住んでないだろ。なのに導線が通ってるのか?」
『うん。実際に利用するわけじゃなく、炉で分かたれてから再集合する合流地。流れを整理する役割だよ』
「ほー、それで地面が少しづつ蒸発してるのか。普通セドナの導線が無為に熱を消費するなんてありえないんだけどな。
それに内陸だから風も滅多に吹かないと。……勿体なくない? 熱」
『それは閉門局が口出しすることじゃない、水門局の領分……。それで。思い当たることは?』
「うーん……よくわからけど、
なら、炉絡みでいちばん影響がデカいことなんじゃないのか……? ! あ」
『
言っていた。
確かに彼女は宣告していた。
「マズい……マズい、マズいマズい! たった一人の女に皆殺しにされる‼」
『え⁉』
急に怒鳴り始める印南を前にして、少女は理解しようと努めながらも引いてしまった。
「来れないのか⁉ サカリィ!!」
『今はちょっと』
「なら通信だけでもこっちに専念しろッ‼」
「……? 本当にどうしたの。一体エスカで何をしようって――」
悪寒が止まらない。
例えるならサカリィと数年ぶりに対峙したあの時のような、そんな底知れない寒気に襲われる。
「わからないのか!? ここは街中に導線があるんだろ、ならそれを辿って調べるモノなんてアレだけだろ‼」
「――待って。そんな、ありえない。
そんな、快楽のために他のすべてを犠牲にするようなやり方――‼」
「それができるからヤツらはオレたちの敵なんだろうが‼」
「ッッ‼」
――セドナが、崩壊する。
「妖怪溶解野郎が調べてるのはな――――座標だよ、二代目『炉』のな……‼」
「っ!」
現実と少炉心の区別がつかなくなっていた。
その上、紅い世界の中では若返ったような違和感があるので……
いや、これは――
「ぜはっ、はっ、ゼー、ゼー………………ぁ………………ぁ」
「まさか、この紅い世界は……っ!」
「最初から言ってたろう?」
「アンタはまだ
無理矢理俺を
「ああ。今
「……なら。押し通る!」
『ラジオトレーサーへの接続を確認。ユーザー:
「心の中までありがとよっ!」
この距離でスナイプはない。
先程と同じく剥き出しのままの銃撃式を
「ふふ。ふふふふふ」
ギン! ダン! と屠殺業者が耳に残しているような、打撃じみた音が連続した。
洛の足の甲からは炎が上がり……彼女の両腕の断面だけを照らし出し、次第に血の滴りに押されて消滅していく。
「なん、で……⁉」
「この世界は多少の融通が効くんだよ、ルーキー。
それにこの方が……あの子の気持ちに近づけるしね」
そのザラついた、喉を擦り上げて出しているような。
そんな言葉だけが聴神経に張り付いて。
網膜では、2人の姿が重なっていた。
「――アンタ――?」
極夜の暗闇の中、眼球の160センチ下が光だす。
いやそれだけではない。
見渡す限り、霧で包まれたその奥まで、同じように黄色く何かを
「導線か!」
「ご名答」
大樹の根? 電子回路? 毛細血管? 水道網?
……とにかくビッシリと、大地を光源が覆っていたのだ。
そしてそれは――《少年の膝までをも這い上がってくる》》――!
「動けないってのは、こういう――!」
「ふふ。ははははっくはははははァ!!」
全身の炎が悲鳴を上げる。
明らかに稼働の限界を超えている。
いっそ死さえ希望してしまうような、どうにもならない灼熱が内界で猛り狂っていた。
ぎちぎちと。
ギシギシと。
只人であればその部位が軋む音だと知って、どのように思うだろうか。
まず立ってはいられまいな、と
今まで自分が演出してきた地獄のように、視界が端から
すでに固まった墨を炙るように、そもなかったモノが浮かんでくる。
かくん、と――
モノを掴むにしてはあまりに
いっそクラミドモナスにさえ置き去りにされかねないほど。
緩慢さに耐えながら、確かに彼女は最後の役割を果たした。
すなわち、もはや自分の制御下にない水の骨へと。
たった一度、最後の口づけを。
それを通して、彼女だけに伝わる特別な言葉が返ってきた。
――そこまで、だった。
ようやく、長い長い責務から解放されたように。
これまでの永遠はきっとこの一瞬のために。
短い短い二の句があった。
――ああ、よかった――と。
既に最後の能力、最後の
よってこの一瞬は、向こう側へ届いてはいない。
執行者もそれで良いと思った。
今はただ、最後に迫る最期を独り占めしようと。
自分は願いを叶える側じゃなかった。
多くの人が自分のために傷ついていく、そんな光景はとうとう見ることができなかった。
物足りなさには確かな理由があった。
敵役になる前に、こうしてフェードアウトしていくのだ。
まだこれからなのに。
ここからがクライマックスなのに。
だけど。
だけど、だけど、だけど、だ。
その遺志は確かに伝わっている。
なら、それで良いだろう。
――まるで自分に言い聞かせ納得させるような語尾だったと、小さな人間は覚えていない。
「違う。これで良いんだよ」
纏う空気が、変わる。
瀕死のハエのそれから、ハエが放つ死臭へと。
さあ、覚悟は決めた。
ここから先は延長戦だ。
見ることのできなかった夢の単片。
オープニングにはまだ間に合うはずだ。
「英雄と呼ばれたからには、諦めることはできないんだよ。
――――
少年の膝を侵食していた怪物の触手は、光を失って闇に消えていった。
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